寄り添い
それにしても、匠先輩は何処に行ったのかしら……そう響が思ったのも束の間、
「待たせたな」
と、北條は走って戻ってきた。
「もう一度、足を見せて。ストリートの端にあったドラッグストアで買ってきた」
そう言って北條が小さな緑色のレジ袋から取り出したのは、絆創膏の小箱だったのだ。
北條が絆創膏を二枚、器用に使って、響の小指の潰れたマメに貼る。
その間、生足の指を北條に触れられている響の心臓はバクバクと大きな動悸を打っていた。
何か、とてつもなく恥ずかしい……。
響は自分のドジを今更ながら恥じ、出来ることならこの場から消え入りたいとしみじみ思う。
「これでいいだろう」
北條はようやくホッとしたように呟いた。
「何から何まですみません……」
「右の足指でなくてまだ良かったな。左でも良いわけはないが、右だったら、ペダリングの負荷がよりキツイだろう」
どこまでも響を、そして響のピアノを想う北條だった。
しかし、響は不意に涙ぐんだ。
「痛むのか……?」
響の隣に座りながら、北條が優しく問う。
「い、いえ……」
響は目を軽くこすった。
「今日は。今日は、お忙しいのに本当にどうも有難うございました」
響が座ったまま、改まってそう北條へ一礼した。
そして、言おうかどうか迷いあぐねた風情だったが、遂に思い切って切り出した。
「今日は……本当は。これを……先輩にお渡ししたかったんです」
そう言って響は籠バッグの中から、「PRESENT FOR YOU」と書かれた赤いシールが貼ってある小さな包みを取り出し、おずおずと北條の目の前に差し出した。
「これは? 何だ」
「どうぞ開けて見て下さい……」
視線を逸らしたまま、小さく響が呟く。北條はゆっくりとその白い紙袋を開けた。
「ポケットチーフか」
入っていたものは、一枚の白い上質なシルクのポケットチーフだった。
「はい……。それをコンクールの時に身につけて頂ければ……コンクールの御守りになればと。勝手に思って」
響は俯いたまま、更に続ける。
「明後日は匠先輩の十八歳のお誕生日で、本当は当日にお渡ししたかったんですけど。でも、その日は北條家の正式なパーティーですから、私が出席してもとてもお渡し出来ないと、思って……。それで、今日……」
その時。
一瞬、北條は響を愛おしそうに見つめ、そしてその顔をゆっくりと響の右肩へと埋めたのだ。
「せ、先輩……?!」
「全く。響にはかなわないよ」
その突然の北條の行動に驚く響に構わず、北條が続ける。
「本当は……。俺は不安で堪らないんだ。東京国際で優勝なんて大きな口を叩いてるだけで、内心は戦々恐々。真に『GIFT』(天与の才)に恵まれているお前と、凡人の俺とは違う」
「そんな……! 先輩の演奏は本当に素晴らしいです。ヴァイオリン科一の奔放な表現力、テクニック。何より先輩はヴァイオリンを、芸術を愛していらっしゃるじゃないですか!」
「頼む。それ以上、俺を追い詰めないでくれ。そして……もう暫くだけお前の肩を貸していてくれないか……」
それきり、北條は口を開かなかった。
響には、北條の言葉の意味することが理解できない。
ただ、ドキドキと高鳴る胸の鼓動を意識しながら、自分の右肩にその麗しの顔を預ける北條を見守っている。
好きな人気俳優の出演するドラマでこういうシーンを観たことのある響は、そのドラマチックなシチュにただ戸惑い、しかし、無防備な素顔を晒して自分の肩に添う北條を心から愛おしく思う。
短いのか長いのかわからない二人の時間は、しかし、
「……クシュン」
という響の可愛いくしゃみで破られた。
「すまない。五月の晩はまだ寒い」
北條は静かに呟き、そのまま響を軽く抱き寄せた。
「先、ぱい……」
「有難う。響。何より嬉しいバースデープレゼントだ」
その時だった。
北條の口唇が響の口唇に近づいてきて、響の口唇にスッと触れた。
響は何が起こったのか、とっさには理解できない。
きょとんとしている響を前に、北條は響の顎を掴み、上向かせた。
「せ、んぱい……」
北條の瞳の中に響は自分の瞳を見る。
それは自分ではないような気がした。
ふたりの口唇と口唇が、ゆっくりと重なる。
ふたりにとって初めてとなる出来事だった。
どのくらいそうしていただろう。
北條はようやく響を解放し、響は恥ずかしさのあまり身の置き所がないかのようにただ俯いている。
「全く。お前は……」
北條は軽く溜息を吐いたが、温かい笑顔で響に声をかけた。
「さ、帰るぞ。もう夜風が刺すようだ。家まで送っていくよ。響」
北条が響の右手を握った。
「え、え……?!」
「左脚に負担がかかったら大変だろう」
「そ、そんな……」
響は度を失っている。
北條は『恋人繋ぎ』をしてきたのだ。
それもふたりにとって初めてのことだった。
響はまた紅くなったり、青くなったり、ひとしきり一人百面相をしていたが、意を決したように北條の左手をぎゅっと握り締めた。
「それでいい」
フッと再び北條は笑み、響の左脚に負担がかからないよう気を配る。
俺も前途多難だな……そう思いつつも、それはまんざらでもない。
そして二人は寄り添いながら歩き出す。
お互いの手の温もりを噛みしめながら。
了
本作は、アンリさま主催『私の神シチュ&萌え恋企画』参加作品です。
彼氏は王子キャラ・彼女は天使のような女の子というカップルで、名門音楽学校の中でも特に才能に秀でている高校生同士の初々しい理想のデートを書いてみたくて書いた作品です。
作中、『耳つぶ』『肩ズン』『顎クイ』『初キス』などなど萌えを詰め込みました♪
願わくば、読者さまの萌えキュン心を少しでも刺激できていましたら幸いです。
企画に参加させて下さったアンリさま、お読み頂いた方、本当にどうもありがとうございました!(^^)