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3/5

完璧な演奏

「ここの『タルト』はフルーツが新鮮で、サクサク感が堪らないんです」

 響はまた嬉しそうに、品の良い小さな金の飾りのついた銀のフォークを手にする。

 北條も、薄くスライスされた苺・キーウィ・メロン・オレンジ・バナナと盛り沢山のそのフルーツタルトを一口食してみた。果たしてそのタルトは響の言う通り、サクサクと食感が良く、又、フルーツも良い素材を使ってあることが北條にはわかる。

「美味いな」

 北條のその一言に、響は目を細める。

 北條がロイヤル・ミルクティーに口をつけると、こちらはミルクを割る水の比率が幾分多いのか、思ったよりすっきりとした味わいだ。しかし、そのさじ加減がタルトの甘みを損なうことなく、実に絶妙なバランスだった。

 クラブハウスサンドのターキーには気付かない響だが、味覚自体はかなり洗練されているようだ。


「ところで、響。最近、学院の方はどうなんだ? またイジメられてはいないだろうな」

「イジメはもうありません。二年生になって新しいお友達も沢山できました」

「本当か?」

 響のその言葉に、北條はむしろ邪推を覚える。

「このお店には実はこの前の休日、クラスで一番仲の良い神田(かんだ)瑠璃(るり)ちゃんとも一緒にお茶しに来たんです」

 響はまた目を細め、噛みしめるようにそう呟いた。

「そうか……」

 北條はようやくホッとして、響が注いでくれた二杯目のティーを味わった。

「先輩こそ。コンクールの課題の仕上がり具合は如何ですか?」

「問題ない。今年は一位優勝を狙っている」

 北條はあっさりとそう答える。


 そんな風に二人は、食後のお茶も充分に堪能した。


 喋るだけ喋り、ポットのティーが空になって、タルトも食べ終わると

「これからどうしたいんだ?」

 と、北條は響に話を向けた。

「先輩さえよろしければ、『YAMAHA(ヤマハ)』で楽譜を見たいんですけど」

「楽譜か。いいな。俺も見てみたい」

「では、そろそろ行きましょう。……あ! 先輩!」

 慌てたように、響は北條を制した。

「ここは私がお支払いします!」

「女性にこんなものを出させるわけにはいかないな」

 そう言って、北條は勘定書を手にしている。

「いえ! 今日は、私がお誘いしたんですから!」

 と、響はいつになく強引に北條からそのプレートを奪った。

「このくらいのお小遣いは私も持っています」

 響は更に言い募った。

「今日は私に出させて下さい」

「……言葉に甘えるよ」

 北條は響の好きにさせることにした。

「はい!」

 やはり響は嬉しそうにそう答えると、いそいそとレジへと向かう。

 その後ろ姿を追いながら北條は、一体今日はどういうわけなんだ、と、少し訝しんでいた。



 ◇◆◇



 そうして、北條と響の二人は『PRIMEROSE』を後にした。

 『YAMAHA』は、『港本町本通り』のメインストリートを暫く行ったところにある。人混みを歩き、二人は『YAMAHA』へと辿り着いた。

 早速、二階の『楽譜コーナー』へと足を運ぶ。

「ここは、本当に沢山楽譜がありますね」

 北條に言うともなく、響は嬉しそうに呟く。

 もう響の視線は、数々の楽譜の群れへと注がれている。

 北條も、楽譜コーナーの中でも響とは別の場所へと足を向けた。

 暫し行動を別にしていた二人だったが、一通りの楽譜を見終わった頃、どちらともなくまた合流した。

「何の楽譜を買うんだ?」

 二、三のヴァイオリン用の楽譜を手にした北條が問う。

「はい、モーツァルト『ピアノ協響曲第二十三番』の総譜と、バラキレフの『東洋風幻想曲イスラメイ』のピースと……」

 それらは、どれも技術的にF難度の曲ばかり。それをあっさりと選んでくるのだから恐れ入る。


「せっかくここに来たんだ。楽器も見ていかないか?」

「ええ。私もここのピアノが見てみたいです」

 そうして、二人は一階の『楽器コーナー』へと移動した。

「わあ。フルコンのグランドだわ!」

 響が思わず駆け寄った楽器は、果たして、『YAMAHA』のフルコンサート用・グランドピアノだった。


「よろしかったら、弾いてご覧になりませんか?」

「え? いいんですか?」

 傍に居た中年の男性の店員が、響にそう声をかけたのだ。

「お嬢さんなら弾き方も心得ておられるようだ。何なら、そのモーツァルトの二十三番の触りの部分でも?」

 彼は響が抱えている総譜に気付いて言った。

「では。お言葉に甘えて……」

 響はそう言いながら楽譜を立て、ピアノの前に座ると、もう鍵盤に集中している。

 そして、その大曲をおもむろに弾き始めた。


「これは……」

 彼が思わず息を呑んでいる。

 響は、ピアノのパートとオケの主旋律を即興でアレンジしながら、その二十三番のピアノ協響曲を、まるで一曲のピアノ曲であるかのように、軽々と弾いている。

 しかも、勿論ミスタッチなどなく、音の粒、キレ、そして表情豊かな音楽性……何をとっても申し分のない、それは完璧な演奏だった。


 長く弾くことはせず、響は曲の途中で指を止めた。

「お粗末でした……」

 響は恥ずかしそうに、小さくそう呟いた。

「いや! すごい!」

 しかし、彼は本音で圧倒されている。

「ここのピアノを弾いて行かれる方は大勢いらっしゃいますが、全く群を抜いている!」

 パチパチと拍手をしながら、

「プロの方ですか? いや、でも、まだかなりお若い……」

 彼は響の短い即興演奏の余韻に浸るように、言葉にならない。



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