ソロモンの女王
これは、始まりの物語であり、終わりにいたる始まりでもある。
読んでいただきありがとうございます。
第一章 冬の始まり
今日、僕はまたこの場所に来た。
海が一望出来る海岸沿いの崖の切っ先、海に消える夕日がとてもキレイな、静かなここで、僕は何度も何度も身を引き裂かれる、あの過去を繰り返す。
その時から、もう二年が経っているのに、鮮明に、鮮烈に、苛烈に、その過去は。
僕を苛む。
それが、僕にとっての罪なのだ。与えられた罰なのだ。
それを確認する為に僕は、何度もここに来るだろう。
償いなど出来ない…あの時の事を繰り返し、苛み、苦悶する。
さあ…また、ここに来て繰り返そう。
苦しむ事こそ、僕の与えられた罰。苛む事こそ、僕の生きている意味なのだから…。
僕、桜田 戒の罪の始まりを…。
あれは、二年前の冬が近付く、季節の境目だった。
桜田 戒、まだ十五の少年は、自転車に乗り住宅街を走っていた。
自転車の荷台には、出前用のケースが載り住宅街を颯爽に進む。
自転車をこいで体が温かい筈の戒の体を、冷たい北風が包む。
「ああ…寒い…」
戒は、空を見上げると夜が近付く夕空だった。
その夕空は、キレイに澄み渡り、雲一つない。今夜は冷える事が間違い。
夜になる前に急いで…と、戒は自転車のペダルを踏む。
注文された出前を届けた先は、同級生の自宅だった。
戒は、出前のボックスから注文の品を取り出し
「はい、これで…」
玄関で受け渡しをしてくれたのは同級生の女子だった。
「これが、代金ね」
同級生の女子がお金を戒に渡し。
「はい、確かに…それじゃあ」
「あ、ねぇ…戒くん」
同級生の女子が呼び止める。
「何?」
戒は、不思議そうな顔で玄関のノブに手を置いて止まる。
同級生の女子は、ハニカミながら
「戒くんって進路、どうするの?」
戒は口元に笑み
「そんなの決まっているよ。店を継ぐから、近くの料理専門学校へ行くよ」
「そう…か…」
同級生の女子は、肩を竦める。
戒はドアノブを回し
「じゃあ、また明日、学校で」
「うん、じゃあねぇ…」
同級生の女子は手を振り、戒はお辞儀しながら出て行った。
同級生の女子は、頭を項垂れ
「ああ…戒くん。やっぱり、そうなんだ…」
奥から母親が現れ
「なぁに…良いじゃない。遠くに行く訳でもないし、何時でも会えるじゃない」
「お母さん。だって…」
娘が何か言いたそうで口を紡ぐ。母親はニンマリ笑顔で
「そんなに好きなら告白するれば良いじゃない」
娘は、肩を落として
「けっこう…戒くん人気あるから、自信がない」
母親は、置かれた料理の品をお盆に載せながら
「アタックする前から、そんなんじゃあふられるよ」
「お母さん」
娘は、驚き加減で声を上げた。
注文の品を届け終えた自転車の戒は、自宅である桜田定食店に続く商店街を進む。
商店街にはシャッターの閉まった店が多く、人通りも少ない。
ゆっくりと着実だが、終焉が近付く商店街を進みながら戒は、桜田定食店へ帰宅。
「ただいま…」
店の入口を開けると
「おかえり」
定食店の主人である戒の祖父が、洗い物をしている。
「ああ…いいよ。おじいちゃん、僕が洗い物をするから、料理の仕込みをしてよ」
戒はすぐ様、カウンター奥にある調理場へ行き、祖父と変わろうとするが…。
祖父は笑顔で
「仕込みは終わったから、こうして洗い物をしているのさ」
もう、洗い物が終わっていた。
戒は、洗い終わった食器を片付けながら
「お客さん、来た?」
その問いに祖父は、肩を竦めて
「この時間じゃあ…そんなに来ないさ。夜にならないとなぁ…」
「そう…」
戒は肩を落としていると、祖父がポンと戒の肩を叩き
「そう落ち込むな、悪い事は続かない。大丈夫さね」
「うん…」
戒は、頷きながらテーブルを拭く布巾を取り、テーブル席へ向った。
この桜田定食店は、戒と祖父の二人で賄っている。戒の小さい頃は、父や母も手伝っていたが、二人が原因不明の蒸発をしてからは、細々と続けている。
何時か、両親が帰ってくる…と。
夜の八時、多少はお客さんが来て賑わったが、九時近くなると誰も来なくなる。
人通りも疎らな商店街では、致し方ない事だ。
もう、これ以上は来ないだろうと、祖父は明日の仕込みの準備を始め、戒も手伝いに入り、祖父と共に明日の料理の仕込みをしていると…。
「こんばんは…」
戒はお客さんだと喜び。
「いらっしゃいませ」
声を張り、客席へ移動したが、直ぐに足を止めた。
「あ…」
戒は嫌な顔をする。
店の入口を開けたのは、黒いスーツに身を包むサングラスを掛けた黒の長髪の女と、同じ様相の男達四人の五人組だった。
「どうも、夜分遅くに申し訳ありません」
黒の長髪の女が、サングラスを外し口元に笑みを携え、戒に近付く。
「何の用ですか…」
戒は、明らかに不機嫌な顔を向ける。
女は、嫌みを浮べる戒の顔を見つめながら
「あら、折角のキレイなお顔がそんなんじゃあ勿体ないわ…。君、けっこうかわいいのに、お姉さん残念だわ」
戒の祖父も奥から現れ
「何の用だね…」
表情は変えずとも、険悪な雰囲気を醸し出す。
女は、口元に笑みを携えたまま
「先日、ご提案しました。新しい土地活用について、そのご意見をお聞きに参りましたので…」
戒は眉間を寄せて
「帰って下さい」
拒絶の大声を張る。
女は、肩を竦め
「いいご提案だと思いますよ。こんなシャッター街なんかにいるより、新しい新天地へ…なんて。もし、就職先が未定でしたら、御用達しましょうか…」
祖父は、溜息を吐き
「悪いが、地上げ屋にここを売るつもりはない。帰って下さい」
女は、サングラスを横に差し出すと、お付きの男がサングラスを受け取り、女は店内のイスに座り。
「じゃあ…嫌でも動いて貰うようにしましょうか…」
女がアゴでお付きの男に指示を出すと、男が懐から一枚の紙を取り出し、女の座っている席の上に置いた。
女は、その紙を右手で摘み上げ
「これ…なんだと思います?」
祖父と戒は、女が上げる紙に視線を集中させると、そこに戒の両親の名前があった。
「え…」
戸惑う戒の横を祖父が通り過ぎ、女の掲げる紙を奪い取る。
「これは…」
祖父は驚きの眼差しで紙の内容に目を通していた。
女は、テーブルに両肘を乗せ
「これ借用書です…。ねぇ…桜田 元さん。アナタの息子とその嫁が作った借金です」
祖父、桜田 元は借用書を女の前に叩き付け
「ふざけるな! こんな事は有りえない」
女は、呆れ加減で肩を竦め
「有りえないって、あるんですよ。ここに、確かにそれを証明する書類のコピーですが…」
戒は、祖父が叩き付けた借用書を取り、その内容を確認する。
「ええ…一億五千万…」
借用書の内容には、戒の両親の名前と共に印鑑や、その額、一億五千万の記載がある。
戒はその日付にも注目する。その日は、今から二年前だ。
つまり、両親は生きているという証明でもある。
生きてる…父さんや母さんは生きている…。
戒は驚きと期待に包まれているそこに、女が戒から借用書を取り
「とにかく、これには…ちゃーんと借金しましたよって証明が成されているので…。この借金返してくれませんかねぇ」
祖父は、怒りでテーブルを叩き
「いい加減にしろ。こんなのデタラメだ。第一に二人は」
祖父は、ハッとして口を塞ぐ。
祖父の態度は明らかに何かを隠していた。
「おじいちゃん…今…」
と、戒は聞こうと祖父の裾を掴むが、祖父は戒から視線を逸らした。
二人から取り残されたようになった女は、席を立ち
「まあ、とにかく、この借用書は本物ですから。訴えても意味はありませんので。ですから…よーく、お考えぐださい。この借金がこの店を明け渡すだけでチャラになるんですから」
女は、懐から名刺を取り出しテーブルに置く。
「良い返事を期待していますよ。ああ…それともし、お早い連絡が必要でしたら、連絡先に名刺の名前を告げてください。私の峰ヶ崎 八重子と…」
峰ヶ崎 八重子と名乗った女は、配下の四人を連れて出て行く際に、戒へ
「ねぇ…君、もし職に困ったら私の所で働かない? 君みたいにかわいい子だったら大歓迎だから」
一団は去るが、戒と祖父の間に重い沈黙が降りていた。
この日、寝るまでの夜の間、戒と祖父は一言も会話を交わせなかった。
布団に巻き付きながら戒は、祖父の行っていたあの言葉に困惑していた。
第一に二人は
祖父は、何かを知っている。両親についてだ。
そんな疑念に包まれながら戒は、瞳を閉じた。
翌朝、戒は学校へ行く寸前に祖父が
「気をつけてな戒」
と、微笑みながら送ってくれる。
戒は、店の出口で立ち止まり
「ねぇ…おじいちゃん。昨日の事…」
祖父は困惑と諦めの交じる顔で
「…そうだな…。もう、戒が知るべき年に来たのかもしれんなぁ…。今夜、話そう」
「うん」
戒は頷き手を挙げて
「じゃあ、行ってきます」
学校に着いた戒を友人達が囲む。
「今年の冬はどうするんだ戒?」
「どうするんだって?」
困惑する戒。
「いや…聖夜のクリスマス間近だそ。彼女とか作らないのかよ」
「そんな気なんて無いよ」
「うーそだろう。お前、なんでそんなに無頓着なんだ?」
「そうかなぁ…。別に僕なんかと付き合っても面白くないから」
友人が戒の額を小突き
「お前、どれだけ恵まれているか判ってない。だってお前、男の俺からみてもキレイじゃん。女装しても絶対に女子と思われるくらい美人顔じゃん」
「はぁ…女っぽいって事?」
「まあなぁ…。だからよ。一回、俺とデートしようぜ」
「はぁ?」
戒は顔をしかめる。
「良いじゃん。一回くらい。お前が女装して俺がエスコートする。どうだ?」
「却下」
戒は手で友人を払う。
「ケチ…」
膨れる友人に、戒は呆れて項垂れるそこにチャイムが鳴った。
担任が教室に入り、授業が始まる。年末のこの頃は、時間が早く過ぎる。
特に十五の戒は、卒業間近で色々と周囲が忙しく回る。進路や受験と日々が過ぎる。
一日が終わり、寒空の下を戒は帰宅へ商店街を歩いて行くと
「すいません…」
戒の後から呼び止める声がする。
「はい?」
と、戒は後を振り向くと戸惑いに瞳を染めた。
後にいたのは、金髪の髪を一括りのポニテールに縛り、白を基調としたドレスを着こなす同年配の少女がいた。
寒さを忘れる程に戒は、不思議な感覚に囚われる。まるでこの世の者でない程に、この彼女の纏う雰囲気は、神秘的だった。それは、透き通り真っ直ぐな、雨雲の切れ間から漏れるエンジェルリングのような彼女は、碧眼の瞳を笑みにして戒に
「あの…道をお尋ねしたいのですが…」
「あ…はい」
と、戒は背筋を伸ばしてしまう。まるで王様に命令されるように改まってしまう。
「そう、緊張をなさらなくても」
彼女は、口元に手を置き微笑む。
「ああ…すいません」
戒は後頭部を搔く。どうしてか、緊張してしまう自分に戸惑う。
「この辺りに桜田定食店というお店は、何処にありますでしょうか…」
「え…家にですか?」
戒は自分を指差す。
彼女は碧眼を驚きにして
「え、家という事は?」
「あ、はい。僕の家です。桜田定食店は」
彼女は、両手を合わせて優しげに笑み
「そうですか…良かった。もう、幼い頃の記憶で何処にあるかと困っていましたので」
「はぁ…。家に何のご用で…」
彼女は、口元に笑みを携えたまま
「元様に…お話が…」
「祖父にですか?」
彼女は、碧眼で戒を見つめ
「貴方は、もしかして戒くんですか?」
「あ、はい…そうですけど…」
「申し遅れました。わたくし、リーナ・フェルバ・リーシャ・ソロモン…リーナです。昔、貴方のご両親にお世話になった者です」
「え、父と母にですか」
戒は驚きと困惑の顔を向けた。
戒は、リーナを自宅である桜田定食店へ案内すると、店の前であの地上げ屋の峰ヶ崎 八重子という女とその取り巻き四人を、前に祖父が言い合っている状況だった。
「帰ってくれ」
声を荒げる祖父に、峰ヶ崎という女は、借用書をちらつかせ
「良いんですか? この借金、返せる見通しがあるんですか?」
「そんなのデタラメだ」
祖父が怒鳴るも峰ヶ崎は怯む事無く
「デタラメ、どこにデタラメがあるんですか? こんなちゃんとした借用書に」
そこへ
「アンタ、何をしているんだ」
戒が怒鳴り込む。
「ああ…僕ちゃん」
峰ヶ崎は、楽しげに笑みながら、戒の背後へ行き手を回して、戒の眼前に借用書を見せびらかし
「アナタのおじいさんが、この借金を返さないって言い張るのよ。どう思う」
「それは…」
戸惑い硬直する戒だが、戒の眼前にある借用書をリーナが奪い取る。
峰ヶ崎が借用書を奪い取ったリーナを睨み。
「何、アンタ」
リーナは、借用書に目を通すと、フッと呆れた笑みを浮べ
「この借金を直ぐに返せばいいんでしょう」
「はぁ?」
峰ヶ崎は、眉間に苛立ちを浮べる。
祖父は、リーナの姿に驚きの瞳を向け
「ああ…貴女は…」
リーナは祖父に微笑み
「お久しぶりです元様。この問題、直ぐに解決しますので」
と、リーナは脇のポケットから携帯を取りだし、コールする。
「ああ…わたくしよ。今から言う金融機関の債権を処理して」
「ちょちょちょ」
焦る峰ヶ崎を他所に、リーナは携帯へ借用書にある金融機関と案件名を告げ終え、携帯を切る。
「これで完了ですわ」
唖然とする峰ヶ崎の懐にある携帯が震え
「もしもし」
と、峰ヶ崎が携帯を取り連絡を受け終えると、鋭い視線でリーナを睨み
「あんた、何してくれてんのよ」
リーナは余裕の笑みで
「もう、借金は無いのですから。お帰りになったら」
峰ヶ崎は、リーナに詰め寄り
「ああ…なめた事をしてくれるわね。アタシの峰ヶ崎グループをなめるんじゃないわよ」
リーナは苦笑して口元に手を当て
「貴女、峰ヶ崎の人なんですか…」
祖父が峰ヶ崎に近付き
「止めときなさい。このお方は、フェルバ財団のご息女さね」
「え…」
と、峰ヶ崎は体を引かせ
「マジで…あの…」
祖父が追い打ちを掛けるように
「ヨーロッパ全域や、アメリカに多大な影響を与える巨人の財団と、日本の一グループじゃあ比べものにならないだろう」
峰ヶ崎は、ホホを吊り上げて痙攣させる。明らかに苛立ちと焦燥が浮かんでいるが。
「良いでしょう。今日はこれまで…という事で、行くわよ」
峰ヶ崎は取り巻きを連れて去った。
祖父がリーナに近付き
「ありがとうございました」
深々と頭を下げると、リーナは困り顔で両手を出し
「そんな、お気になさらずに…これもご恩返しですから」
祖父は頭を上げると、戒に顔を向け
「戒、すまないが…この方と二人だけでお話がしたい。ちょっと何処かに行ってくれないか」
「え…」
と、戒は唖然とするが、リーナと祖父の二人を見回し
「うん、判った。近くの公園にいるから。終わったら携帯に連絡して」
「ああ…」
祖父が肯き、リーナを
「さあ、どうぞ小汚い店ですが」
店の中へ案内すると、正面の営業中の札を準備中へ変えた。
戒はそれを見届けた後に公園へ向った。
寒い夕空の下、戒は一人ブランコに乗って淋しく揺れ、その両手には、携帯が握られている。
早く終わらないかなぁ…。
そう念じながら寒空の下で携帯の画面を点けたり消したりする。
確か、あの子…父さんと母さんにお世話になったって言っていたなぁ…。
どんな関係なんだろ…?
と、考える戒のホホを冷たい風が撫でる。
「ああ…寒い。何かコンビニで買ってこよう」
ブランコを離れ、公園に敷かれたレンガの道に出る。
「ん?」
戒の正面、公園の出入り口に黒いコートの男が立っている。
道の真ん中に仁王立ちし、まるで何かを待っているような男を不審に思う戒に
「キサマは、桜田 戒か?」
不意に自分の名前を告げられ、戒は背筋をビクッとさせ
「え、僕ですか…」
戒は自分を指差す。
男はゆっくりと戒に近付きながら
「キサマに用がある」
「はぁ…」
無機質な靴音を響かせながら男は近付く。
戒は、後ずさりする。男が近付く度に雰囲気が尋常ではなくなり、瞳は鋭くまるで獲物を狙う狩人のようだ。
男と戒との距離が、三歩程度の間隔になった所で男が立ち止まり
「桜田 戒、悪いが我らの為に死んでくれ」
「はぁ?」
戒は、意味が判らず困惑の顔をする。
「そう困った顔をするな、苦痛も無く楽に死ねる」
男の背後から二頭の真っ黒な獅子が現れる。
黒獅子は、獣唸りを低く呟きながら戒の両脇を抑える。
「え、え…え?」
戒は突然に現れた黒獅子に混乱し、抑えられた左右を交互に見回して棒立ちになる。
木偶の坊の戒に、黒獅子達は狙いを定め、同時に襲い掛かる。
黒獅子の太い鉤爪と、鋭い牙が戒を嚙み砕こうと迫る。
混乱し防御姿勢を出来ていない戒。
戒には今の事が現実として認識が出来ていない。これまでの一連が夢現の如く感じている。
呆然とする戒の背後から二つの何かが飛び出す。それは腕である。二つの腕が戒の背後から伸び、襲い掛かる黒獅子の口に填る。
黒獅子の獣牙の口に入り込んだのは、銃身である。
黒光りする鉄塊の銃口が、黒獅子の喉奥に入った次に、暴力な爆発音と鉄が焦げる悪臭をバラ撒いた。
黒獅子は、それまで向っていた方向のベクトルとは別の方向へ跳ね飛ぶ。
戒は、爆音に驚き反射的に耳を両手で塞いでいた。そして、周囲を一望する。
両脇には、頭が完全に消し飛び肉片をバラ撒く、二頭の黒獅子の死骸。
鼻をつく火薬の悪臭と、二丁の黒光りする銃身の発射口から煙が漏れている。
「よう…ボクちゃん。ボケーとしていると死ぬぜ」
戒の背後で、その銃身を持つ男がニヤリと笑う。その顔が異様に不気味で怖いと戒は感じていると、黒獅子を出現させた男が背中に手を回し、何かを掴み引っ張り出す。
「キサマ、赤地 鎌かぁぁぁぁぁ」
と、叫びながら背中から取り出した剣で、戒の背後にいる赤地 鎌と呼んだ男に斬り掛かる。
「ご明察」
赤地 鎌は両手の銃を剣で襲い掛かる男に向け、引き金を弾く。
爆音と薬莢が飛び跳ね。飛び出した弾丸が、剣の男に向って走る。
だが、弾丸は男を貫通するではなく、男の体に当たる寸前で軌道が変化して別の方向へ飛ぶ。
「面倒クセェ…」
と、赤地 鎌は呟きながら両脇に転がっている黒獅子の死骸の一つを軽々とサッカーボールのように蹴り飛ばす。
赤地 鎌に蹴られた黒獅子の死骸は、ふき飛ばした頭から血をバラ撒きながら、斬り掛かる剣の男に迫る。
剣の男と赤地 鎌の間に黒獅子の死骸が位置した瞬間、赤地 鎌は銃口を飛ぶ黒獅子の死骸に向け発砲した。
連続する発砲の次に、銃弾を浴びた黒獅子の死骸は爆発、辺りに血煙をバラ撒く。
剣の男は、正面を塞いだ血煙に怯み動きを止める。
飛んでくる肉片の一部が、戒のホホを擦った次に、何かに腕を取られ引っ張られた。
剣の男は、目の前を塞ぐ血煙を、剣の一刀で振り払う。
「ん」
正面にいる筈の戒と赤地 鎌の姿が消えていた。
「逃げたか…。まあいい、この公園から逃れられん。ジンによって閉じ込めているからな」
戒は赤地 鎌に腕を掴まれ、公園の奥にある林の中に身を潜めていた。
「ふぅ…まあ、一息だな」
赤地 鎌は、懐にしまった二丁銃のカートリッジを外し弾数を確認している横で、痛ッと戒は、肉片が擦ったホホを触る。肉片には砕けた骨が交じっていたらしく、それによって戒のホホを切ったらしい。
戒は、右ホホを触った右手を見つめる。痛みの次にべっとりする自分の血と、肉片に含まれていた血が混じり、赤黒く手が染まる。
なんだよこれ…戒は言い知れぬ恐怖に震えると。
「おい…」
と、赤地 鎌が戒の頭を叩く。
「ボーとしていると死ぬぞボクちゃん」
戒がホホの切れた顔を赤地 鎌に向けると
「ああ…ケガをしていたのか…」
赤地 鎌が戒の切れた右ホホに触れ、その手が数回程、光を放ち
「ほい。完了」
手を引かせると、切れていた筈のホホの傷が消えていた。
ええ…と、戒は困惑しながら、再び傷があった筈の右ホホに触れるが、そこに傷は無く痛みもない。
「何、びっくりしてんだ?」
と、赤地 鎌は外したカートリッジに弾丸を込めている。
「いや…だって、さっきまで傷があった筈なのに…」
驚愕し混乱する戒を他所に、赤地 鎌は補充したカートリッジを銃に換装させ
「ああ…ジンの力だよ。組み合わせ次第でこういう事にも応用出来るんだよ」
戒は、困惑した顔で首を傾げ
「え…。どういう事ですか?」
赤地 鎌は、然も当然という顔を戒に向け
「ああ…ジンだよ。お前だってジンを使えるだろう」
「ジンって何ですか…?」
戒の問いに赤地 鎌は右ホホを引き攣らせ
「おい、マジかよ…。ジン持ちなのにジンが使えないってどういう事だ?」
と、顔を戒に急接近させる赤地 鎌。
「いや…その…」
戒は、仰け反りながら赤地 鎌の顔から逃れる。
赤地 鎌は、戒から顔を離し両手に握る銃をコンコンと額に当てながら
「マジか…マジかよ…。てっきり、奴さんが殺しに来ているから、ジンを使えるんだと…。ああ…そうか、だから、あんな不様なピンチに…」
悩んでいる赤地 鎌に戒は
「あの…その…僕は」
「アアァァ」
赤地 鎌は声を唸らせ戒を睨み、戒は怯む。
「はぁ…」と赤地 鎌は溜息を吐き項垂れ
「もう…どうしようもねぇなぁ…。向こうはジンが六つ持ちだし…。俺のジンは四つだし…手札がなぁ。マジに…」
赤地 鎌のホホが釣り上がる。その顔は、獲物を前にして喜ぶ獣だった。
「ああ…マジだ。マジすげぇ。楽しくなってきた」
心底喜んでいる赤地 鎌の全身から冷たく深い闇の空気が漏れる。
戒は、その空気に触れ背筋が冷たくなり震える。
この人、もしかしたら…まともじゃないかもしれない。
戒は、赤地 鎌の顔が死を剥き出しにした髑髏に見えた。
唐突に赤地 鎌の顔が鋭くなると、隣にいる戒の頭を押さえ込み地面に伏した。
「な、何ですかいきなり」
戒が苛立ちの声を漏らすと、赤地 鎌はシーと指を立て林の切れた草原を指差す。
そこには剣の男と、その脇に先程と同じ黒獅子が数体も付き従って闊歩する姿があった。
「静かにしてないと、見つかって一巻の終わりだぞ」
小声で赤地 鎌は呟く。
「何なんですか? 何でこんな事になっているんですか?」
と、戒は恐怖で両手を震わせる。
「ああ…状況説明なら簡潔に済ますから、良く聞けよ。まず一、お前は殺されそうになっている。二つ、相手は殺し屋のサーラスって野郎だ。三つ、これが重要だ。生き残る為にどんな手段も使え。だから…」
赤地 鎌は懐から銃を取り出し、戒の右手に握らせる。
「ああ…」
と、戒はズッシリと右手に乗る銃の感触に手が震える。玩具の銃ではない、本物の拳銃の感触に戒は戦慄を感じているのを他所に赤地 鎌は、銃の取り扱いを説明する。
「まず、脇の安全装置を解除、銃身を引いて撃鉄を起こし、後は狙いを定めて、引き金を引く以上」
的確に説明を終えた赤地 鎌は両手に銃を握り締め
「じゃあ、俺がアイツと戦っている間、逃げ続けろ」
「ちょ、逃げ続けろって」
戒を一丁の銃を両手で握り締めて震え、赤地 鎌は伏せた体を起こし
「大丈夫だ。まあ、何とかなる。じゃあなぁ、見事な逃げっぷり期待しているぜ」
と、言葉を残した次に赤地 鎌の姿が瞬く間に消えた。
「え…」
と、困惑する戒が視線を泳がせると、その姿を確認出来た。
赤地 鎌はサーラスと目される男の頭上の空中に浮かんでいた。
サーラスと自分達の隠れていた場所の距離は、十数メータもある。その区間を赤地 鎌は無音で移動し、サーラスの上に飛んでいた。
サーラスの頭上を飛ぶ赤地 鎌は両手の二丁拳銃の引き金を弾いた。
完全な不意打ち、サーラスは反応する事無く頭上から降り注ぐ銃弾の餌食にされる筈だが、銃弾は又してもその軌道を大きく変え、サーラスから逸れた。
空中から落ちる赤地 鎌は、銃撃を続けながら体を反らし、サーラスの背後に着地すると
「甘い…」
サーラスが背後へ剣の一閃で斬り掛かる。
「甘いのは…そっちだろうが」
赤地 鎌は左から迫るサーラスの一閃を銃を掲げ盾にして防ぎながら、右手の銃をサーラスに伸ばす。銃口がサーラスの眉間に当たる寸前、赤地 鎌は引き金を弾く。
サーラスは大きく体勢を崩し、銃口から逃げると同時に発射された弾丸がサーラスのホホを掠めた。
それを見た赤地 鎌の顔は、地獄の底で笑う悪魔のようだった。
サーラスは、体勢が崩れても剣の一閃を放ち、同時にサーラスが両脇に連れる黒獅子達も、赤地 鎌に牙を剥く。
赤地 鎌は悪魔の笑みのまま、サーラスに特攻する。
サーラスの鋭い一閃が赤地 鎌の目線スレスレを擦り、赤地 鎌の両銃は、黒獅子達の爪牙をすり抜け、その顎門に密着した途端、銃が火を噴いた。
黒獅子達は、頭部を消し飛ばされ、サーラスに近接していた赤地 鎌はサーラスの右脇に蹴りを放つ。
その蹴りの威力は、並でなかった。
サーラスの体がくの字に曲がり、放たれた砲丸の如く放物線を描いて飛び、そのまま林の木に激突するかに見えたが、空中で体勢を直し、サーラスは地面に着地した。
サーラスは、蹴られた右脇を左手で押え、剣の切っ先を赤地 鎌に向けて立つ。
赤地 鎌は、離れたサーラスを嘲笑で見下ろしながら
「殺し屋風情が、堂々と現れるからこうなるんだよ」
銃口をサーラスに向ける。
サーラスは、損傷した右脇を押える左手を外し、左手を背中に回し、剣を取り出し両手に備える。
「ほう…やる気満々だね」
赤地 鎌は両銃の引き金を弾こうとした瞬間、黒獅子の死骸が飛び起き、消し飛ばし無くした頭部の大穴から血を噴きながら、健在な前足の爪牙で襲い掛かる。
「ケ、ゾンビかよ。芸がねぇなあ」
と、ボヤキながら赤地 鎌は動く黒獅子の死骸に弾丸を連射させ、粉々にする間にサーラスが疾風の如く離れた距離を詰め、サーラスは左右から両剣で斬り掛かる。
挟み込む斬撃に、赤地 鎌は両手拳銃を盾にして両剣を防ぎ、頭突きをサーラスに咬ます。
強烈な頭突きにサーラスが仰け反り、赤地 鎌の嘲笑が現れる。
「死ねや」
赤地 鎌は無防備に仰け反るサーラスへ銃弾を叩き込むが、弾丸はサーラスの体に触れる前に軌道が逸れ何処かへ飛んで行く。
サーラスは体を反転させて体勢を直すと、両手の剣を交差させその場に立ち止まる。
そこへ容赦無く赤地 鎌は銃弾を浴びせるも、やはり弾丸はサーラスから逸れて何処かへ流れる。
その流れ弾が、林で隠れている戒の脇を擦る。
戒は、ビックと体を震わせると、視線を感じた。その元は赤地 鎌である。
赤地 鎌がもの凄い殺気の篭る眼光で、戒を横見してアゴを動かす。
戒は、その意図を直感で理解する。
さっさと逃げろや。と、赤地 鎌は言っているのだ。
戒は、林から飛び出しその場から全力で逃げ出した。
サーラスは横目で、逃げる戒を見つめ
「良いのか、あの小僧、一人にすると危険だぞ」
サーラスに効かない銃撃を続ける赤地 鎌は、口の端を吊り上げ
「別に、守る手段は与えた。いたって邪魔なだけだし」
サーラスはフッと笑い
「では、死んだも確定だな。何故なら…」
サーラスの背後から、黒獅子達が次々と出現する。
「コイツ等を大量に放ってある…」
黒獅子達は散開し、大きく迂回して銃撃をする赤地 鎌へ向い疾走する。
ガチンと、赤地 鎌が連射していた銃の弾が切れる。
「ああ…弾切れか…」
と、赤地 鎌は銃を掲げるそこへ、黒獅子達の爪牙が襲い掛かる。
幾つもの爪牙が赤地 鎌の背後を捉えるも、吊された半紙を叩く如く紙一重で赤地 鎌は回避。次々と黒獅子達の爪牙が赤地 鎌に迫るも、どれも寸前で回避される。
黒獅子達の攻撃が乱れ飛ぶ領域を赤地 鎌は踊るような軽いステップで避けつつ、銃の空カートリッジを捨て去り、懐に常備してある次段カートリッジを装填したと同時に、爪牙が乱れ飛ぶ領域から霞の如く消えた。
サーラスが、「何?」と戦慄し身を怯ませた背後に、赤地 鎌が銃口をサーラスの後頭部に向け引き金を弾く。
だが、寸前の所でサーラスは、気配を察し身を屈ませながら背後へ両剣を突き立てる。
「あら、残念」
と、言葉を残して又しても霞の如く赤地 鎌は消えた。
サーラスはピーと口笛を鳴らし、離れていた黒獅子達を呼び寄せ、自分を中心に周囲を警戒させる配置に付かせる。
その正面に赤地 鎌が霞の如く出現した。
サーラスは両手の剣を交差させ
「ジンによる無音高速移動か…」
赤地 鎌は両手の銃口をサーラスに向け
「当たり…。それじゃあ、テメェの弾が何故、当たらないか種明かしをしてやるよ」
霞の如く消える無音高速で赤地 鎌が消えた。
サーラスは意識を研ぎ澄ませた右に、赤地 鎌が出現し右コメカミに銃口を当てていた。
赤地 鎌が引き金を弾くと同時に、サーラスは体を反らせ発射された弾丸を避け、剣を右へ突き出すも、赤地 鎌は消える。
サーラスが苦々しい顔をする左の離れた所に赤地 鎌がいた。
赤地 鎌はニヤニヤと嘲笑を向けながら
「俺はジンを使って力のベクトルを曲げる防護を形成していると思っていたが、それだと色々と不都合だ」
と、赤地 鎌は銃口をサーラスに向け、引き金を弾く。
発射された弾丸は、相も変わらずサーラスに触れる寸前で軌道を変え、何処かへ飛んでいく。
赤地 鎌は銃口をサーラスから外し
「そこで、俺はこう考えた。防護でなく磁力を纏っているとしたら…弾丸は、当たる寸前に磁力で引っ張られ軌道を変えられてしまう。どう?」
サーラスはフフ…と微笑し
「よくも気付いたものだな、だが…」
爆ぜた音と共に、サーラスの周囲を囲んでいた黒獅子達が粉々に砕け、黒い砂塵となってサーラスを渦に包む。
「はぇ…」
赤地 鎌は右ホホを皮肉に吊り上げ
「地面に含まれる砂鉄を使った人形って訳か…」
サーラスは剣を掲げると、地面から黒い砂塵が吹き出し、赤地 鎌とサーラスのいる広場を全体を黒い砂塵の嵐が包み込む。
「赤地 鎌、覚悟しろ。全力で殺してやる」
殺気を何倍にも膨らませて瞳を輝かせるサーラス。
「はいはい、だったら最初から全力でやれっての」
赤地 鎌は肩を竦めた次に、無音高速で消えたが「ん」と消えた場所の直ぐ傍で止まり、姿を曝す。
己の体を絡めるように黒い砂塵が、纏わり付き動きを縛る。
そこへ、サーラスが指揮者の如く剣を振り向けると、膨大な数の黒獅子の顎門が出現し赤地 鎌の全方向を囲む。
赤地 鎌は嬉しげに笑み両銃を掲げる。
「やっと、らしくなってきたなぁ…ジン持ち同士の殺し合いに」
戒は全力で公園を走り、気付けば出入り口前に着くと「ハァハァ」と、息が詰まりその場で止まり、公園の門柱に背を預ける。
まだ、息が荒い最中で右手を見ると、赤地 鎌から渡された銃が握られていた。
何なんだよ。どうなっているんだよ?
次々と疑問が湧き起こるが。
ここから逃げよう。
と、銃を投げ棄て出口に踏み出した瞬間、体が後へ飛んだ。
「え…」
地面に背を付けて転がった戒は、驚愕して固まる。
体を起こして、もう一度、出口に向うと、何かの見えない力に引かれて出口から外に行けない。
「な…」
戒は出口から離れ、出口の脇に連なる柵に手を掛け、跳び越えようとしたが、出口の時と同じく後に弾き飛ばされた。
「そんな…出れない。何で?」
困惑する戒の背後に、土を踏み締める音がした。
戒は、恐る恐る後を振り向くと、黒獅子が二頭が戒に狙いを定めて近付いて来る。
戒は、右へ逃げ出すも、その先にある植木から黒獅子が飛び出し、塞いだ。
「ああ…」
三方向を完全に塞がれた戒は、じっくりと追い詰められる。そして…。
「な、なんで…」
と、呟く頃には、背に門柱が当たった。
追い詰められた戒の前に三頭の黒獅子達が止まる。その一頭が前足の爪牙を戒の右足に振う。鋭い爪牙、戒のズボンの生地を切り裂き、傷を負わせる。
「アアア」
戒は、痛みに屈んで傷つけられた右足の太腿を押える。
焼けるような痛みと、生暖かい出血の感覚が押える両手に広がる。
獲物、戒を動けなくして黒獅子達は、牙を剥きだしに顎門を広げる。一斉に戒へ襲い掛かる準備に入る。
戒の脳裏に、自分が殺される様が過ぎる。
黒獅子達は、戒に飛び掛かり、喉仏を嚙み千切った次にゆっくりと体を引き千切り、内蔵、腕、足とバラバラにしてその腹に収めるだろう。
嫌だ。なんでこんな死に方をしないといけないんだ?
戒は恐怖と混沌で、涙が滲み震える。
獅子に追い詰められ喰われる寸前の子鹿の如く、戒は絶望的な状況だ。
黒獅子達は、体勢を低く構え前に飛び出す。
戒は腕を上げて組み小さく丸々。
もう…僕は死ぬんだ。
死がよぎる戒の耳元で声がした。
”戒、必ず守るから”
優しい声に戒は聞き覚えがある。父と母の声だ。懐かしい両親の声が聞えた次に、戒が輝く。
戒から発生される強烈な光に、黒獅子達は怯み下がる。
優しく暖かな空気が戒の全身を包んでいた。
「ああ…暖かい…」
恐怖から救われるような心地よい空気に、戒は安堵している間に、傷つけられた右太腿の痛みが消えた。
「え…」と戒は、右太腿を触ると、傷が消えて回復していた。それは、赤地 鎌にホホを治された時と同じ様に傷が跡形も無い。
そして、戒の正面へ唐突に二つの白い剣が現れ地面に突き刺さり立つ。
”さあ…剣を取りなさい。戒”
と、戒の耳元で両親の声が聞える。
戒は、立ち上がり正面にある二つの白い剣を両手に取り、地面から引き抜く。
剣は涼やかな音を響かせ、地面から抜ける。
戒は、両手の白い剣を正面に、黒獅子達に向ける。
黒獅子達は、暫し戒を観察すると、直ぐに臨戦態勢へ移り、牙を剥き出しに三頭同時に襲い掛かる。
戒も、その動きに合わせて剣を振り押しながら飛び出る。
殺れない。このまま、死ぬものか。
必死の戒の一閃と、黒獅子達の牙が交差した瞬間、戒の振う二刀の剣から炎と突風が噴出し、炎と突風が混合し巨大な炎嵐へ変貌し、黒獅子達を呑み込んだ。
それでも炎嵐は、収まる事無く爆発的に巨大化して、公園を突き抜ける。
黒い砂塵の嵐の真っ直中にいるサーラスと赤地 鎌。
サーラスの繰り出す黒い砂塵の顎門達を、赤地 鎌は銃撃で砕く。
黒い砂塵の顎門の攻撃は、縦横無尽にして背後からも赤地 鎌を襲い掛かるにも関わらず。赤地 鎌は、その攻撃全ての軌道をタイミングを読取り、的確にまるで精密な無人兵器の如く銃弾で弾く。
砂塵で無音高速移動を封じて、攻撃手としてサーラスが圧倒的に優位の筈なのに、赤地 鎌に圧倒的不利な様子が一切無い。それどころか、赤地 鎌は楽しそうに嘲笑っている。
ク…と顔を苦しく歪めるサーラス。
赤地 鎌の嘲笑いが唐突に消え、左に視線を向けた。
「な、何だ?」
と、サーラスが赤地 鎌を同じ方向を見ると、光があった。
何だアレは?とサーラスが疑問を浮べた次に、光は爆発的な炎の渦となって、サーラスの広げた黒い砂塵の嵐の領域を呑み込んで公園を突き抜ける。
それに、いち早く気付いていた赤地 鎌は、全力で黒い砂塵の嵐から飛び抜け、巨大な炎嵐を前に木の枝に乗っている。
公園を端から向こうの端まで突き抜ける炎嵐に驚愕の視線を向ける赤地 鎌は
「なんだ、コレ?」
と、炎嵐が来た方向を再度確認する。
戒は正面に現れた現象にただ、驚愕していた。
黒く炭化した大地と、高熱によって地面が融解し赤色光を放ち、見ているだけでも皮膚を焦がす熱さを感じた。
「なんだコレ…」
戒は自分の両手に握る白い剣を見つめる。
黒獅子達へ向け、剣を振った瞬間、右手の剣から炎、左手の剣から風が巻き起こり、炎と風は互いに混じり合いながら爆発、黒獅子達を呑み込み公園の端まで突き抜けるような炎の嵐、炎嵐を起こした。
何でこんな事が起こったのか?と、疑問を巡っているそこへ
「よう」
と、赤地 鎌が隣に現れた。
戒はビックと背筋を驚きに伸ばし
「ビックリした…」
と、体を引かせていた戒に、赤地 鎌は近付き
「ほう…上位二十位以内のジンが顕現した武器か…」
興味深そうに戒の両手にある剣を覗く。
「コレ…」
と、戒は両手の白い剣を掲げ
「貴方は何なのか判るんですか?」
その問いに赤地 鎌はニヤリと笑い
「まあ…説明すると長くなるから、この状況が落ち着いたら、詳しく教えてやる。俺は監視者だからなぁ」
「は、はぁ…」
戒は訝しい顔をする。
ジュッと何かが焦げる音が正面で鳴る。
戒と赤地 鎌は音のした前を見つめると、地面が融解して赤熱光を放ち歪む空気の向こうから、人影が来る。
熱を帯びる地面を踏み締めて、焦げを連続させる足音。
その人影に戒は瞳を広げて驚愕を、赤地 鎌は皮肉に歪めた笑みを、向けた。
そこには、両腕を失い全身の大部分を黒炭と化したサーラスがいた。
サーラスは、近付きながら
「全く、こんな事は想定外だ」
と、戒を睨むが出会った時程の強さは無い。
素人の戒にも判る程、サーラスは手遅れだった。
次にサーラスは、赤地 鎌を睨み。
「キサマ…こういう事になると判っていたのか?」
赤地 鎌は肩を竦めて笑み
「さあぁね。殺し合いじゃあ何が起こるか判らない。それだけさ」
悲しげな顔の戒と、見下すような笑みの赤地 鎌を前にサーラスは、歩みを止めその場に膝を崩し
「一つだけ言って置く。キサマ等にジンを渡しはしない」
赤地 鎌はフンと溜息を吐き
「いらねぇし、勝手に死になぁ」
サーラスが項垂れるながら
「後は頼みます。聖父様…」
空から何かが降る。それは巨大な氷柱だった。氷柱はサーラスを背後から貫き、口から血を噴き出し、氷柱の串刺しになったサーラスの骸が戒と赤地 鎌の足下に転がる。
「ああ…」
戒は絶句して一歩引き、赤地 鎌は顔を引き攣らせ
「はぁ…今、何って言った?」
と、足下にあるサーラスの亡骸から正面、公園の奥まで続く赤熱の広場へ視線を向けると、空気の歪みが目に飛び込む。
戒は、無残なサーラスの亡骸に震えている隣で、赤地 鎌は顔を困惑に引き攣らせ
「マジか…洒落になってねぇぞ」
「え…」
戒は、赤地 鎌の言葉に反応して亡骸から視線を赤地 鎌に向ける最中、気付く。
公園の奥まで続く赤熱の広場の向こう側が、白く歪んでいる。
そこへ、戒は目を凝らすと三人の小さな人影が見える。
「え…子供?」
と、呟いたその腕を赤地 鎌が掴み
「バカ、逃げるぞ」
声を荒げて赤地 鎌は、戒を引っ張った。
戒は意味の判らず赤地 鎌に引かれ、公園の出口に来る。
「あ…そこは」
と、戒は出ようとした時に弾かれた事を思い返し、踏み止まろうとするが、赤地 鎌の引く力が強力な為に、引き摺られ出口に差し掛かったが、今度は弾かれず公園を抜けてしまった。
「えええ?」
混乱する戒を他所に、赤地 鎌は戒を引き摺り、公園を出て街中へ消えた。
戒と赤地 鎌が去った公園では、サーラスの亡骸の傍に三つの人影があった。
十歳程で黒髪と、パーティー会場に出そうなゴシック調のドレスを纏った少女。
同じく十歳程で、黒髪の子供用タキシードを纏った少年。
二人より少し年上な感じでラフなズボンとジャケットの少年。
この三人が、自分達より年上であろうサーラスの亡骸に嘲笑を向け
「バカじゃあない。やっぱり私達が来た方が上手くいったのに」
ゴシック調のドレスの少女が。
「本当だよ。結局、尻ぬぐいはボク達にさせるんだから」
ジャケットの少年が。
「そうだよ。聖父様の弟弟子だから仲間に入れてあげたのに、これじゃあねぇ」
タキシードの少年が。
三人とも、死者に対する弔いの気持ちさえなく、ただ…嘲笑でサーラスの亡骸を見下ろしていると、サーラスの亡骸から六つの光の玉が浮かぶ。
ゴシック調のドレスの少女が、光の玉を指で数え
「え…とジンが六つだから、三人で分ける?」
「これ以上、持ってもなぁ…」
ジャケットの少年が面倒臭そうに腕を組む。
「何をしている…」
と、三人の後から男の声が響く。
三人は同時に後へ振り向き「聖父様」と同時に男の呼び名を告げる。
黒灰色の牧師服、胸元にロザリオを下げる男の目に光は無い、まるで深海の底のように光を吸収し続ける様な瞳をサーラスの亡骸へ向け、無表情に
「我が兄弟よ。安らかに眠れ。後は、冥府で我らを見守るがいい」
と、右手で十字を切った瞬間、サーラスの亡骸が青い炎に包まれ形も残らずに焼き消えた。
「聖父様」
と、ゴシック調のドレスの少女が、聖父と呼ばれる男の左手に抱き付き
「役立たずだったコイツのジンをどうします?」
空中に浮かぶ六つの光の玉を指差す。
聖父と呼ばれる男は、ゴシック調のドレスの少女の頭を優しく撫でながら
「お前達で分け合いなさい」
ジャケットの少年が首を傾げて
「ボク達はもう、十コ以上持ちですよ。これ以上は…」
タキシードの少年が、六つの光の玉を両手に載せ
「聖父様にどうですか? 聖父様は一つしかお持ちでない」
聖父と呼ばれる男の下へ、タキシードの少年は持ってくるが。
「よい。私のジンは最上位のジンなのだから、数は必要無い」
と、聖父と呼ばれる男は左手で押した。
「はぁ…判りました」
タキシードの少年は、六つの光の玉から両手を離すと、六つの光の玉は、二つずつ三人の子供達の体に消えた。
「お前達に、また、仕事をして貰いたい」
と、聖父と呼ばれる男は呼び掛けた。
赤地 鎌は戒の片腕を取り商店街を走っていた。
「ちょ、何でそんなに急いでいるんですか?」
戒は掴まれた片腕を振り解こうと、踏ん張るも、赤地 鎌の膂力の方が遙かに上回り、足が引きずられる。
そうして到着した場所は、桜田定食店、戒の家だった。
「え、家?」
と、戒が呟くのを尻目に無言で赤地 鎌は玄関を潜る。
「いらっしゃい」
祖父のお客を迎える声が来た次に、何かを落とす音が響く。
「あんたは…」
驚く祖父と、赤地 鎌に掴まれて困惑する戒。
「な、何? おじいちゃん…知っているの?」
赤地 鎌はニヤリと怪しげな笑みで
「お久しぶりですね元さん。あの時の借りを返済しに来ました」
店の奥にいた祖父は、戒と赤地 鎌の傍に来て
「アンタ、何か…戒に喋ったのか?」
祖父の顔は、今まで無い程に厳しく鋭かった。
赤地 鎌は肩を竦め
「別に何も…。ただ、この小僧さんが殺されそうになっていたんで助けた所ですよ」
祖父は戒に、鋭く厳しい視線を向け
「戒、何があった…?」
戒は首を振り
「判らない。公園で待っていたら、突然…もう…何がなんだか…」
祖父は、戒の肩に手を置き
「そうか…」
その顔は深く沈み痛烈だった。
「あの…」と赤地 鎌が割り込み。
「お話中申し訳ないですけど、今すぐ、ここから全力で逃げましょう。でないと死にますよ」
戒は掴まれていた片腕を離し
「ちょっと何だよ、どうして逃げないといけないんだよ」
声を荒げて訴えていると、赤地 鎌が鋭い殺気の視線で自分が潜った玄関の外を睨む。
「クソ、もう手が回りやがったか…」
「はぁ?」と戒は意味が判らず、顔を顰める背後に白い煙が乗る。
戒は「え…」と玄関の外を見つめると、そこは真っ白だった。
信じられない事に、都会の真ん中で数センチ先さえ見えない濃霧が発生していた。
「ええ? ええ…」
困惑する戒は、外に出ようとしたが、その首根っこを赤地 鎌に掴まれ中へ投げ飛ばされた。
イスやテーブルにぶつかり転がる戒と、開けた玄関を荒く閉める赤地 鎌。
「痛い…」
と、戒はぶつかった背中や足を労り摩る。
「大丈夫か戒」
と、祖父が戒の隣に足を崩した。
赤地 鎌は懐から携帯を出して、時刻を睨み。
「勝負は五分か…」
「どういう事だよ?」
戒は立ち上がり問い質す。
赤地 鎌は「アア…」と殺気じみた視線を戒に向け
「バカか? これは敵のバラ撒いた探索と攪乱の霧だ。触れたらいるって事がばれるだろうが」
「はぁ? へぇ…」
戒は疑問の言葉しか浮かばなかった。
「さて…どう逃げようか…」
赤地 鎌が右手をアゴに当て思案していると、祖父が
「わしが囮になる。その間に、戒を連れて逃げてくれ」
「え、何? どういう事? おじいちゃん」
戒の混乱の度合が更に深まるその肩に、祖父が触れ
「戒、殺されて死んだ息子達両親やわしよりも長く生きてくれ」
「は、なにそれ、おじいちゃん」
と、困惑する戒の体に電流が走り、戒は気絶して祖父に凭れ掛かる。
赤地 鎌は、後頭部を搔きながら
「ああ…クソ、これで貸し借り無しだと思ったのに…」
祖父は、両腕に抱える戒を赤地 鎌に渡し
「頼んだぞ監視者の赤地 鎌殿」
祖父は赤地 鎌が抱える戒の頭を優しく撫でた次に傍にあったメモ用紙に書き込みをして、その紙を赤地 鎌のポケットに差し入れる。
「今、帝国ホテルにソロモンの女王様が」
「知ってる」
と、赤地 鎌は祖父の言葉を遮り
「全力で走れば、一時間で到着する。安心しろって言っても死んじまうんじゃあなぁ…」
呆れ気味の赤地 鎌に、祖父は苦笑を向け
「あと…わしの代わりに戒に謝って置いてくれないか」
「ケ…」と赤地 鎌は嘆息しながら戒を肩に抱え
「そんなの死んで幽霊なってから枕元で言え」
と、冷たくあしらって店の二階へ昇りながら
「じゃあな、元さん」
戒を肩に抱える赤地 鎌を見送った祖父は、近くにあったイスへ座り時を待つ。
戒を運ぶ赤地 鎌は、二階の窓から側にある電柱の天辺へ飛翔し、軽やかな羽毛の如く細い三本の電線の上に着地すると、疾風の早さで電線を道にして疾走する。
先さえ見えない濃霧の街を、三つの小さな影が過ぎる。
その三つの小さな影は、桜田定食店の前に来ると、玄関の扉が突風に襲われたかの如く飛ぶ。
濃霧の世界からゆっくりと、店内に入って来たのは、あのゴシック調のドレスの少女と、タキシードの少年に、ジャケットの少年の三人だった。
「あれ? 誰もいない」
ゴシック調のドレスの少女が首を傾げる。
ジャケットの少年が店の奥に入りながら
「…逃げたのかなぁ…」
タキシードの少年が、入って来た入口に手を伸ばすと、弾かれた。
「大丈夫だよ。どうやら、誰かが残ってボク達を閉じ込めたみたい」
ゴシック調のドレスの少女が、両手を口に当てクスクスと笑い
「じゃあ、炙り出そうか…」
と、呟いた次に、ゴシック調のドレスの少女の全身から閃光が広がった。
巨大な爆発だった。桜田定食店を中心に半径百メータ四方が消滅、その爆発雲は、気化爆弾を投下したのと同等だった。
街全体を覆っていた濃霧は、その爆発の衝撃波で一瞬の内に掻き消され、衝撃波が数キロ離れた電線の上を走っていた赤地 鎌の所まで届く。
「おっと」
赤地 鎌は、電線から隣の家の屋根に飛び乗り背後に広がる、巨大なキノコ雲を凝視する。
「ムチャクチャしてくれぜ」
爆発による業火の世界を悠然と軽やかに三人は一望していた。
ゴシック調のドレスの少女は、右手を額に当て
「さて…五体満足にあるかなぁ…」
タキシードの少年とジャケットの少年が同じ方向を凝視し、歩み寄る。
瓦礫が動き、そこから戒の祖父が姿を現す。
「ハァハァハァ…」
と、祖父は息を荒げながら足を埋める瓦礫に手を伸ばすと、その手をタキシードの少年が踏み締めた。
「へぇ…爆発する瞬間、閉じ込めたジンの力を防御に回したんだ」
ジャケットの少年は、祖父の喉へ蹴りを放ち
「他の連中は何処に行った?」
その問いに喉のを蹴られた激痛で悶える祖父は、笑みを向け
「…知らないなぁ…」
タキシードの少年は、苛ついた顔で祖父の髪を鷲掴みして顔を起こし
「いいよ。答えなくて頭の中をジンで覗くから」
祖父の額に青筋と汗が噴き出し
「この悪童共が…一緒に消して」
次の言葉が紡がれる前に、祖父の額と心臓がある胸部に短剣が突き刺さり、祖父は絶命した。
「お前達、遊び過ぎた」
ゴシック調のドレスの少女の後に、聖父と呼ばれる男が両手に短剣の束を握り締めていた。
『聖父様』と三人の凶悪な子供達が、男の下に駆け付ける。
聖父と呼ばれる男は、短剣の束を仕舞い
「子供達よ。引き上げるぞ」
ゴシック調のドレスの少女が
「でも、聖父様。他の連中はどうしますか?」
その問いに、聖父と呼ばれる男は遠くを見つめ
「行き先は判っている。ソロモンの女王の下だ」
「なら、早く」
タキシードの少年が離れ飛びだそうとすると、聖父と呼ばれる男がその肩を掴み。
「よい。今、追っても間に合わない」
「は、はぁ…」
タキシードの少年は、立ち止まる。
絶命した戒の祖父の体から三つの光の玉が浮かび上がり、聖父と呼ばれる男の下へ浮遊して来る。
聖父と呼ばれる男は、自分の下に来た光の玉達を静かに見つめると。
「ちょっとアンタ達、何してんの」
瓦礫の丘の上に、あの地上げ屋の女、峰ヶ崎がいた。
「何、アイツ…」
と、ゴシック調のドレスの少女、タキシードの少年にジャケットの少年が殺気の視線を向ける。
峰ヶ崎は、う…と身を引かせた。
小さい子供の筈なのに、まるで猛獣に睨まれているような気迫に、峰ヶ崎は戦慄していると、聖父と呼ばれる男が自分の下にある三つの光の玉を峰ヶ崎に向って投げる。
「確か、お前もジンの保有者だったな…。恵んでやる。お前の保有している弱小のジンよりは階位が遙かに上だぞ」
峰ヶ崎の体に三つの光の玉が触れ、その体に溶けた。
「どういう事…」
と、峰ヶ崎は光の玉が溶けた腹部を摩りながら訝しい顔を向ける。
「交渉だ。我々が去るまでそこを動くなそれだけだ」
と、聖父と呼ばれる男は告げて背を向けて歩き出す。
それに子供達も続いて行く。
「あ、待ちなさい」
峰ヶ崎が声を荒げると、聖父と呼ばれる男は峰ヶ崎に横目を向ける。
その視線に捉えられただけで、峰ヶ崎の体が硬直した。
深く極限の深度を誇る闇の瞳は、峰ヶ崎に点火した怒りさえも吹き消し、恐怖と畏怖の念を呼び起こして体を石像の如く変えた。
聖父と呼ばれる男は、顔を正面に戻し子供達と共に、瓦礫と炎の向こうに消えた。
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