私の心を占めるもの
「綺麗な絵だね。すごく好い」
そろそろ卒業式の3月上旬だった。
「えっ、だれで……宮野会長、ですか?」
「うん。部費のことで話があって来たのだけど……部長さんは?」
「あ、今ちょっと、先生に呼び出されてて」
「そっか。じゃあ少しここで待たせてね」
「はい」
はい、の声が妙に震えた。人見知りの自分にとってこんなの苦行でしかない。
相手がみんなの憧れ生徒会長なのも、拍車をかける。こんなとこ、クラスの女子に見つかったら。なに言われるか分からない。
「あれ、こっちの絵は飾らないの」
「それ、は……失敗作なので」
何か違うと思って、仕上げも足りない気がして、そっと布で覆って隠してきた絵。勝手に見るなんて。
「俺にくれませんか? 画家先生」
「は?」
「だって綺麗だから」
射し込んだ夕陽をバックに笑う会長は、なんだか儚かった。消えてしまいそうで、ゆったりとしていて。どこか、
神々しくて。人間味のない、姿だった。
「ね、俺にくれない?」
「どこに飾るつもりですか、そんな悪趣味な暗い絵」
「俺の部屋に。ほら、見てよこれ。ずっと和室だったからね、さすがにフローリングがいいって変えてもらったんだ。そうしたら随分と部屋が殺風景に見えてしまって」
必要最低限のものしかない、確かに殺風景な部屋だった。でもそれより距離感が気になる近い離れろ嫌だ。いくらイケメンでも嫌なもんは嫌だ。
ああ、でも。私の絵を認めてくれるのは、いい人。少なくとも私にとっては、いい人かも。
「先輩なら……何色、足しますか?」
「さぁ……僕の美的センスは皆無に近いから。けれどそうだね、朝焼けの色がほしい」
「黒、なのにですか?」
この絵は、とても暗い。自分で言うのもなんだけど、結構悪趣味。だってこの絵は、
「この絵はまるで、星空を黒で塗りつぶしたみたいな絵だね?」
勢いよく会長の方に振り向いてしまった。だって、どうして、私の絵を見抜けたの?
「だから、夜明けを。夜を切り裂いて現れる太陽の色を。でも、太陽そのものは眩しすぎるだろう? だから、朝焼け」
なにも言わずに、私は筆を手に取った。今なら絶対に、完成させられる。
ああ、ここだ。ここで赤を足すのをやめて。そして僅かな黄色を混ぜて。端から包み込むように、夜空を覆う闇の上へ。夜空さえ見えないのは、私の上でだけ。他の人の目には星空、あるいは朝焼け、人によっては昼さえ映るのだろう。でも私は、闇だけ。いつか端に見える朝焼けに行けるように。
そのために私は、私の世界を絵で表す。私が描くのは、そのとき私の心を占めるものだけ。
「素敵な絵になったね。前よりも、もっと、ずっと」
「先輩のお陰です。……それで、これ、ほしいんですか?」
「君がいいなら。今のその絵は、さっきまでよりずっとほしい」
「あげます。ここにいるより、先輩の殺風景な部屋で飾ってください」
「もちろん。大事にしますよ、画家先生」
調子のいい人だなぁ。そう思いつつも、くすっと笑いそうになった自分がいた。
「あ、見て」
突然かけられた声に、一瞬驚いた。よく見れば相手は宮野会長。
「はい」
「これこれ。……あ、僕がスマホ使ったのは内緒ね?」
「廊下ですけど、大丈夫ですか?」
「先生来なきゃ大丈夫。見て、飾ったんだ」
本当に飾られた、私の絵。
「額縁をね、買おうかと思ったんだけど……。なんだか気取らない感じがするでしょ? こっちの方がね」
イーゼルにぽんと乗せられている。なんだか作業途中のような気軽さがあった。
「今日、絵の具も買いに行くんだよ。もっとこう、『作業中』って感じにしたいから」
「へぇ……」
興味がないわけではないけど、どう返せばいいのか分からなくなった結果の返答だった。
「また見せるね!」
「あ、はい」
繰り返すけど興味がないわけじゃない。
「見て!」
えらくテンションの高い人が来たな……ああなんだ会長か。部室には今日も私だけ。幽霊部員の多さがひどい。まぁ美術部が一番楽だもんね、描かなくてもなにも言われないし。部長は呼び出し。成績悪いもんな。
「できたんだ、飾る場所」
「うわ、すごい……」
イーゼルの横には丸椅子が置かれ、そこにはパレットやペインティングナイフ、油壷も置かれている。本当に私の作業場そっくりだ。
「すごいですね」
綺麗ですね、とか、ありがとうございます、とか。言うべきことはあるはずなのに。言葉が出ないもどかしさったら。
「ねぇ、お願いがあるんだけど」
「なんですか?」
お願い? 私に?
「絵を描いてくれないかな? 君の思うようにでいいよ。なんの指定もしない」
「そんな抽象的だと、1年かかるかもしれませんよ」
「それでいいんだよ」
くすくす、と楽し気に会長は笑った。
「僕の大学はここだからね。届けてくれないかな」
「え、いや、でも」
彼の言う大学は、届くかどうか微妙なところだった。全力で勉強すれば、なんとか……。だとすると今からしなくちゃ。あ、でも。
「絵、描く時間なくなりますけど……」
「いいよ。いくらでも待つから。気は長い方なんだ、すべてにおいて」
「そんな感じします」
くすくす、とまた会長は笑う。
私の頭の中をよぎったのは、会長のことを絵で表したらどうなるかな、だった。
仲のいい人をイメージした小説でした。でも作中の人と会話する瞬間の緊張感的なものは、私が思ってることそのものですね(笑)




