床屋ウロボロス
こんばんは、今回文フリの投稿です。
読んで下さる幸いです。
それでは、どうぞ…
私が住むこの街には、1つ有名な噂話があった。
街の商店街を抜けて、山へ向かう道の途中にある、さびれた床屋。
みんな口を揃えてこう言う。
「あの床屋の店長は不老不死なんだ。」
だから、その人の名を知っている人は誰一人いない。
不老不死、その言葉を恐れた人は次にこう言った。
「あそこには不老不死の化物が住んでる。」
そして、何年もかけて、噂は書き換えられた。
「悪い子はあの床屋に攫われるんだ、だから近づいちゃいけないよ。」
でも、私はそんな噂をちっとも信じていなかった。
そんなおとぎ話、あるはずがない。
そう、信じていた。
雪だ…雪が降ってる…
その日は、記録的な大雪が降り積もった。
川を白く染め、山を白く染め、街を、そしてあの床屋をも白く染める。そしてそれは今も続いていて、灰色の空から落ちた白い雪は道端の雪だるまに帽子を被せる。
白い商店街をザクザク踏みしめながら、あの急勾配の坂を転げ落ちないように上って行く。
ザクザク、ザクザク。
時々、ギュッとブーツの踵が音を立てながら。
今から向かうのは、あの床屋だ。私は今年の冬あの噂を確かめる。これは高校生最後の自由研究なんだ。
果たして、YouTubeに投稿されている、心霊スポットに行ってみた系の人らと何が違うのか、という自問は置いといて、何度もスリップしながらやっと辿り着いた。
「うわぁ…」
ちょっと訂正、私も心霊スポットに行ってみた。
その床屋は話で聞いた寂れ具合を通り越して廃墟そのものだ。元は真っ白だったはずの壁は、ひび割れそこに植物のツタが入り込んでいる。明らかに台風や地震が来たら一発で終わってしまうような見た目をしている。そのせいだろうか…私、佐藤桜。生まれて初めて底知れぬ恐怖を感じています。
更にタチが悪いのが、この床屋以外、周りに何も無いことだろう、威圧感がいつもの何倍も大きい。
そこで思い出されたあの噂。悪い子はあの床屋に攫われる。「大丈夫、私、悪いことしてない。空き缶拾った。ペットボトル拾った。困ってる人助けた。」
大丈夫、大丈夫、大丈夫…
傍から見れば、その短い言葉と低すぎる語彙力のせいでロボットのように聞こえただろうか。
もう一度大丈夫と唱え、大きく呼吸をして錆びたドアの取っ手に手をかけた。
勢い良くドアが開かれ、中の生暖かい空気がドッと外に流れる。なんか下手気なお化け屋敷よりもずっとスリルがあるんですけど…
そんな私、佐藤桜が十八年の人生の中で培った、怖い時の対処法を紹介しよう。
こういう時は大きく息を吸って。
「こここ、こん、こんにちはー!」
なんと、怖さの対処法だというのにドモリまくった。
とまぁ、人間とは最終的に叫ぶことしか出来ないんだなと一層自覚させられるのだった。しかしその頑張りに帰ってきたのは、静か過ぎる静寂と生暖かい風。
もう一度呼んでみる。 「こんにちはー。」
明らかにさっきより萎縮した声だったが、決して小さくはないはずだ。それでも反応がないということは、つまりそういうこと。
「あの噂はガセだった…」
そう、口にしたら少しずつ恐怖心が消えていき…
次第に私の中で自己完結が始まった。「こうして、この世界にまた一つ新たなトリビアがう」
「あ、どうもいらっしゃい。」
「え?」「え?」一回目の「え?」が私で二回目の「え?」が店の奥から現れた店長と思わしき男性のものだ。
不意を突かれたその声に思考が一瞬だけ止まる。その原因はいくつかあったが、一番はあの噂が真実に一歩近づいたということだろう。
私は真っ先にコレを聞いた。
「あの…もしかしてここの店長さん、ですか?」
当たり前だ。
自分で言っておいてそう思った。案の定、困り顔で頷く店長さん。
そして「カットですか?」と言う問に思わず、「ハイ」と答えてしまい、予定にもなかったカットをすることに。
椅子に腰かけるように言われ、待つこと10分、あの店長が戻ってきた、銀色の鋏と櫛を持って。
銀色の輝きが目に入り、あぁ、あの鋏で喉元切られて…なんて想像してしまったのが顔に出てしまったのだろうか、
「お嬢さん、肩の力を抜いてくださないな、疲れてしまいますよ。」
と鏡の向こうで微笑む。
あはは、と苦笑いしながらも、私は店長を鏡越しに凝視した。
体格は小太りしていて高身長、そのせいで後ろ姿に威圧感を感じるものの、いざ向き合ってみれば、細めの目に笑顔を忘れないその表情は、見た目五十歳の優しいお父さん。
もう、その時点であの噂話はガセなのだろう、それならとんだ中傷被害だ。
失礼します、と首から下を白い布で覆いかぶせる。これはあれだ、切った髪の毛が服の上に落ちないようにやるやつ。
どうでもいいことを、まるで『This is a pen』のように自己解説。そんなこと見れば分かると自答する。
「お嬢さん、髪型はどうしますか?」
「あー、そうですね、髪型…」
そうだ、いざ髪型と言われても今まで全然意識したことがなかった。きっと産まれた瞬間から黒髪のストレートだったのだろう、それ以外の髪型をしている自分を知らない。
「私、髪型をあまり気にしたことがないので、とりあえず肩ぐらいまで短くしてください。」
「分かりました、それでは失礼します。」
そう言って、シザーを二回鳴らす。鮮やかな鋏さばきの一投目が私の髪を断ち切る。
シャキシャキ、普段は決して聞くことのない音が、生まれて初めての床屋という非日常に浸らしてくれた。
常にストレートという何の変哲もない、例えるならドラクエに出てくる村人Aのような髪型をしている私は、部屋に新聞紙を敷き詰めて百均の鋏で切っている。
そのためかどうかは知らないが毛先が一本一本あらゆる方向に荒ぶっていて、それは個性のぶつかり合いという言葉が一番似合う。
友達の「この髪型さー、最近流行りのやつなのよね。」とか「私さ、行きつけの美容室があって、月一で東京に行ってるの。」と正直どうでもいい会話を聞き流している。
…ちがう、はっきり言って興味がない。
「お嬢さん、一ついいかい?」
鏡越しに目を合わせてこう言った。
「床屋は、初めて?」
「はい、初めてです。」
「へぇー、そうなのかい、で、なんで人生初の床屋にウチを選んだんだい?」
あの噂を聞いてきました!なんてことは口が滑っても言えない。というか、ここの店長はあの噂を知っているのだろうか?
「まぁ、なんとなく分かるかな。」と店長は一人つぶやく。ほんの少しの沈黙に、とてつもない罪悪感を感じた。
やばい、どうしよう…こういう時なんて言えば…
「あの、その…すみません。」
とりあえず謝った、だって私が悪いのは目に見えてる。
「いいのいいの、お嬢さん謝らないで。」
ニコッと微笑み続ける。
「その代わり、おじさんと話をしてくれれば良いから。」
正直、酔った中年の怪しいオッサンだったら今すぐ左ポケットのスマホで通報していたセリフだ。
しかし初対面のこの人に対してなぜか、私独特の警戒心が働かなかった。
それはこの人から発せられるお父さんのような雰囲気からなのだろうか。
お父さん、か…
その単語に対して過敏に反応してしまうのは、やはりあの事が原因なのだろう。
「お嬢さん?」とシザーが止まった。
「もしかして、痛いところあったかい?」
「え、あ!すみません、そんなことはないです。」
私はいつもこうだ、こうやってまた周りの人を不幸にするんだ。
「なんて言うか、店長さんのことを見ていますとお父さんのことを考えちゃいまして…私、何いってるんだろう、すみません続けてください、仕事の邪魔してすみません。」
「仕事の邪魔なんて滅相もない、いいんだよこれがウチ仕事なんだから。」
そう言って、再びシザーが進む。
シャキシャキ、シャキシャキ。その一定のリズムで髪がカットされていく。その手つきは本当に見事だ。下手くそな表現だがそれはまるでゼリーの表面のように滑らかで、川のように流れる動作。これがプロなんだ。
この時初めて、人にプロっていう言葉を投影された。
鏡越しにシザーを持つ手を見た。そこで、あることに気がついて、好奇心旺盛な私はもちろん質問する。
「鋏ってそうやって持つですね。」
「おーいいね、いい質問だねお嬢さん。」
「そうなんだよ、ウチらの業界で鋏っていうのはこうやって持つんだ。指穴に薬指を入れて他の指を添える。それと親指は深く入れすぎないことが重要なんだ。手首は常に柔らかく、それから…」
微笑みながら語るその目、少し細くなったその瞼の奥にハッキリと職人さんの瞳を見た。
一つのことを完璧にしたという自身と誇り、それを兼ね備えて初めて職人さんなんだ。
この人は本当にすごい人だ…それは直感でもその技術でも伝わってくる。
「凄いですね、私言葉選びが下手くそなのですが、職人さんっていう言うのはこういう人のことを言うんですね。」
「やめてくれよお嬢さん、僕はねぇ、褒められると失敗しちゃうんだ。」
その後に、「頭半分無くなっちゃうかもよー。」と、面白おかしい冗談を織り交ぜて来るあたり、客商売というものを理解している。
そんな人柄だからだろうか、この人になら私のお父さんの話をしてもいいと思った。何かいい答えをくれると思ったんだ。
「店長さん。」
「なんだい?」
新呼吸をして。
「さっきの、私のお父さんの話、聞いてくれませんか?」
「もちろんだよ、なんでも聞くよ。」
「あと、最初に言っておきますけど、全然面白い話とかそういうのじゃなくて、店長さんの気分を損ねてしまうかもしれませんよ?」
「いいんだよ、床屋って言うのはお客さんとおしゃべりをする所でもあるんだ。それにその話は悩みと受け取っていいんだろう?悩みって言うのはどこかで愚痴らないと毒だからね。」
遠慮なんてする必要はないさ。と鏡越しにあの笑顔を、私に向けた。
「ふっふふふ。」なぜだろう、なにも面白いことなんて無いのに不思議と笑ってしまった。それほどまでこの人に対する警戒心がないんだろう。
「あ、すみません、それじゃあ話しましょうか。あれはそうですね、今から六年前のことです。」
記憶の奥深く、嫌な思い出がドロドロに溶けて溜まったヘドロの中から、あの日の記憶の一ページを引っ張り上げる。
あれは私が中学一年生の頃の話だ。まだ子供っけが抜けなかったあの冬の話。
私の家は今と違ってそこそこ裕福な暮らしをしていたと思う、毎日美味しいご飯を食べて、時々ちょっとお高めのレストランに行って、いい洋服ばかり買ってもらって。
おまけに庭が広いおかげで、ある程度の運動はここでできたのも自慢の一つだ。
あの頃の私は当時の暮らしをどう見ていたのかは、すっかり忘れてしまった。しかし確実に言えることはある。それは今の私から見たら幸せだった。
幸せだった…
私が通っていたのはこの辺りでは有名な私立の中学校だ、だから小学生のクセして受験と面接もやった。でもほかの人と違ったのは私は特待クラスで入学したことだろう。ちなみに特待クラスの入学はバレーで得た推薦入学によるもの。
小さい頃からバレーが好きだった。それはきっと裕福な家庭に生まれようが生まれなかろうがそんな気がする。
スパイクを打つ瞬間、この時初めてチームプレーから個人プレーに変わる。そう、一度上に飛んでしまえば後はブロッカーとの一騎打ちだ。でも、そう考えるとなぜか体の内側からゾクゾクする。私でもそれがなんだかは今でも分からない。たぶん武者震いの一種なんだと思う。でもその度に「戦え。」と声が体の内側から聞こえた。
そして、不思議な事にこの瞬間、周りの時間が遅くなったようにゆっくり見えるんだ。その世界で思いっきり手を振り抜くと、ゆっくり動く世界に似つかわしくないスピードで相手コートに落ちる。
そしてドダンッと音を立てて時が動く。
「ナイス!さくら!」「ナイススパイク!」自分の背中側から聞こえる声援。仲間の弾ける笑顔、不思議と私も釣られて顔の筋肉が緩む。
私はこの瞬間が好きだった。姉妹がいない私には誰かと何か一つを成し遂げるという経験がなかった。だから仲間と一緒にコートに立てる、笑える、戦える。それだけで嬉しかった。
でも、幸せっていうのはある日突然、カードを裏っ返したように正から負に変わると知った。
中学三年生の時だ、夏の大会前だから七月の後半だろうかハッキリと覚えてないがあの日から私の人生は負の連鎖に巻き込まれる。
朝の登校中のこと、一台の車が私の左側面から突っ込んだ。そしてそいつの嫌なところはその場から逃げたんだ。私の左足と、バレーを奪って。
病院で目覚めて怒り狂って暴れて、泣いて泣いて、死のうとして。
悔しかった、ただただ悔しかった。お見舞いに来てくれた監督や仲間は私を元気づけるために「全国に行く。」と言ってくれた。全国大会まで進められれば、私が試合に出ることはなくともベンチには座っていられると思ったのだろう。
しかしそれも儚い夢の跡、その一週間後に「ごめんさくら…負けちゃった…」と申し訳ない顔で謝罪した仲間を見て、押しつぶされそうな気持ちになった。
それからその不幸が尾を引いてその冬、私達の家族はバラバラとなる。それはお父さんの会社が倒産したことによる、多額の借金のせいだ。
家に帰ると毎日毎晩言い争っているお母さんとお父さん、やめてと言ってもそれが止まることはなかった。
そして決定的になったのはあの日、関東地方で記録的な大雪が降ったあの日だ。
学校から帰ると、なぜか今日はあの言い争いが聞こえなかった。おかしな話しだ、だって昨日まではあんな狂ったように言い争ってたのに。
変なのと思いつつもリビングのドアを開けた。
でもこの時初めて、知らない方が幸せという言葉を知ったんだ。
その光景に私は息を呑む。一言で言うなら惨劇の跡。ひろいリビングの白い床と壁に飛び散った深紅、その中心に霞ヶ浦のように歪な形に広がった血溜りと、包丁がグッサリと刺さったお母さん。
その様子は、まるで糸が切れてしまったマリオネットのようだった。
少し遅れて嗅覚が戻る。あまりにもの血生臭さに思わずその場でゲロった。ぴちゃぴちゃと音を立てて昼食のサンドイッチが飛び散る。
嫌な夢ならさっさと覚めてほしい、そう願って目を瞑った。
しばらく経って、静寂の中、再び目を開けるとやっぱりそこにはお母さんがいて、一層私を精神的に追い詰める。
やばい、どうしよう、救急車?警察?、電話はどこだっけ、えと、あー、あぁ。
「ああああああああ!」忘れていた叫びがやっと喉を通った。思いっきり叫んだせいか、喉の奥から血の味がしてまた吐き戻す。
それでも何とか自我を取り戻し、うつ伏せに横たわるお母さんを揺さぶる。「お母さん! お母さん、目あけてよ! ねぇ!」
結局何も出来ないまま、ふらふらと廊下に設置された固定電話のボタンを110と押した。
「殺人です、お母さんが死んでます。住所は…」
一方的にそれを伝えて電話を切った、そして眠気にも似た目眩は私を暗闇のドン底へと引きずり込み、どこかへ連れていった。
「その後すぐ、具体的には二日後ですね。自宅から一〇〇キロ離れた海辺の街でお父さんは死んでました。リアス式海岸の崖から飛び降りた自殺だったそうです。」
「…そうかい、辛かったね。」
それだけを言うと店長さんは黙々と髪を切るスピードを上げた。たぶん私がこんな話をしたから、さっさと終わらせたくなったんだろうな。
そうだ、いっそのことそれがいい、私だってさっきの楽しい雰囲気を壊してしまったという罪悪感と、店長さんを逆に困らせてしまったという後味の悪さがあるんだ。
そして、カットも終盤に差し掛かった時だった。
「お嬢さん、さっきの話の事なんだがね。」
「はい、なんでしょうか?」
「君のお父さんの名前は佐藤光一さんだよね。」
その名前を聞いてドキッとした。恐らく店長さんもニュースや噂を聞いたんだろう、その犯罪者の名前を知っていた。私はその名前を聞くと、恐怖と怒りが湧き上がる。
「そうです、光一です。お母さんを殺して私を捨てた犯罪者です。」
捨てた、すてた、捨てられた。汚名を着せられ捨てられた。あの男に。
そして、自制が効かなくなっていく。
「私の父…いえ、佐藤光一は自己中な男でした、そうですよ、よく考えれば食事中も自慢話、外食だって家のことをほったらかしにしているからだ!高い店に連れていけば誤魔化せると思いやがって!そのくせお母さんを殺した罪から逃れるために自殺?私はお前のせいで犯罪者の娘なんだよ!」
誰にキレているのか、理解しているようで実は分からなかった。お父さんに対してキレているのか、犯罪者に対してキレているのか、それともあの時何も出来なかった、喧嘩を止められなかった目の前に映る私に対してなのか…
もう、それすらも分からなかった…
「おい、なんで泣いてるんだよ…お前。」鏡に向かってつぶやく。同じように対峙する私もこちらを睨み返していた。
そのあと、初めて泣いているのが私自身だと気がついた。頬を伝う涙が、カットされた髪の毛と一緒に流れる。
「お嬢さん、ちょっと失礼するよ。」
そう言うと店長さんはシザーを止めて、代わりにタオルで涙を拭ってくれた。
すると不思議なことに体の内側からフワッと温かな感覚が広がった。それはやがて足の指から、髪の毛の先端まで。
「ごめんねお嬢さん、決して泣かせるつもりはなかったんだ。」
「…こちらこそすみません、取り乱してしまいました。」
泣いた後の嗚咽を噛み締めて、質問をする。
「それで、なんでお父さんの名前を知っているですか?やっぱりニュースとか噂ですか?」
それに首を降ると。
「いやいや、光一さんはウチの常連だったんだ。そうか急に来なくなったと思ったらそんな事が…」
「え?店長さん知らなかったんですか?」
「うん、そうなんだよ、今この話を聞いて知ったところさ。」
そうか…光一さんが…と呟くと、鏡越しに悲しそうな顔をしていた。
「お嬢さん、もしかしたら癪に障るかもしれないけどいいかい?」
「お父さんの事ですか?」
「そうだ、光一さんのことだ。だけどお嬢さ…いや、佐藤桜さんには知っておいて欲しいんだ、お父さんは君のことを愛していたことを。」
佐藤桜、その名前を聞いて再びドキッとした。だってそうだ、私はまだ店長さんに名前を言っていない。
率直に疑問を投げかける。
「なんで私の名前…知っているんですか?」
「知っているさ、光一さんがここに来るといつも君のことを話していたよ。名前は佐藤桜、長い黒髪が美しくて、パッチりと見開いた瞼、瞳は髪の色と同じ透き通った黒。鼻が高くて、唇が薄い、バレーが物凄く上手くて、非の打ちどころがない自慢の娘がいるって。」
一瞬、息を呑んだ。まさかあのお父さんが…
「嘘ですよね、そんな…お父さんが」
「いいや嘘じゃない。」私が言い終わる前に言葉を遮るとそのまま続けた。
「君のお父さんは立派な人だった、出来るだけ君に苦しい思いをさせたくなくて仕事を頑張っていた、美味しいご飯を食べさせたくて一生懸命働いていた、それでも、仕事を失って全てを失っても光一さんは君のことを第一に考えていた。」
「一度、光一さんはここに来たんだ、たぶん大雪が降った日だからあの時だ、彼は酷くやつれていたよ、会話も途切れ途切れで成立していなかった。でも、不思議と君のことを話す時は笑顔になるんだ。そんな彼が私に託した物がある。それはいつか君がここに来た時に渡してくれと渡された一通の手紙だ。」
そう言ってシザーを止めると、机の引き出しから何の変哲もない茶色の封筒を出した。
「この手紙はここに置いておくから、カットが終わったら読むといい。」
その間、私は何も言えなかった。なんだろう、よくわからないが認めたくない。認めてしまったら何かが変わってしまうような気がして。
カットが終わり、髪を洗面台で洗い流すと、シャンプーをして、また泡を洗い流す。櫛で整えながらドライヤーで髪を乾かすと全ての工程が終了となった。
「これでカットはおしまいだよ。お疲れ様。」
ボサボサだった毛先が全ての同じ方向に向いて、なんともサッパリした髪型になった。
「ありがとうございます…」
そして、そのまま机に置いてある封筒を開けて、中から二枚の紙を取り出す。
全体的に筆圧が濃く荒ぶる文字の手紙、その一行目には『桜へ』とどこか懐かしい字で綴られていた。
私は深呼吸をして、覚悟を決めると、上から順に読み上げていく。
桜へ…
桜、最初に何を言えばいいか分からないが、とにかく幸せな家庭を壊してしまったことをまず、謝罪したい。ほんとにすまなかった。きっとこれは一生お前の記憶に残りつづけるんだろうな。謝っても許されることが無いことは重々承知だ。
俺はこの手紙を店長さんに託した。だからこの手紙を読んでいるということは、お前があの床屋に行ったということだろうな。どうだ? そこの店長さんの腕は凄いだろ、本当に一流だ。俺が世界で一番信用している床屋なんだ。
話をいっぱい聞いてもらえたか? もし悩み事があったらそこの店長さんに聞くといい。なんせお前の名前を付けたのは店長さんだ。自慢の娘に自慢の名前を付けてくれたんだ、きっと正しい答えを導き出してくれるさ。俺も今思えば店長さんに相談していればよかったな、そうすればもう少し違う答えが出たかもしれないのにな。
手紙は二枚目に続く。
桜は覚えているか? お前が小さい頃はよく、お父さんと結婚すると言ってくれたんだぞ。俺はなそれが嬉しかった。今でも覚えているよ、お前を抱き上げる度に重くなって、その度に成長したんだなって思った。そのうち幼稚園に上がって、小学生になってバレーを始めて、気がつけば県を代表するぐらいまで上達したな。でも正直バレーが上手くなったよりも、いつまで経っても反抗期が来ないことの方が怖かったんだぞ。だって、普通の女の子なら中学生になるとお父さんには近づかないのに、お前はそうじゃなかった。だから嬉しさ反面怖かったんだ。
でもなそんな時だ、お前は事故にあって絶望していたな。実はあの時俺は、事故を起こした男を殴ってしまったんだ。自慢の娘を傷つけて、平然とノコノコ出てきたあの男を許せなかった。
それが原因だった、それが社会に広まり、世間に広まった。当然会社の評判はガタ落ち。会社は潰れたんだ。
もちろん自分の感情を抑えられなかったのは反省してる、でもなそれもお母さんと喧嘩した時に耐えられなくなってたんだ。
なんであなたはいつもそうなの、あの子が怪我をしたぐらいで。
俺はそう言ったお母さんが許せなくて、気がついたら包丁を刺して逃げていた。
その途中で、ペンと紙と封筒を買ってこれを店長さんに渡したんだ。
ごめんなこんな形でしか真実を伝えられなくて。でもな桜これだけは信じてほしい、お前は、俺の大事な一人娘だった。仕事を失ってもお母さんを刺しても、どれだけ俺が犯罪者の汚名を被ろうとも、桜のことがいつも俺の心の中にあった。
それじゃあ、桜、この先辛いこともいっぱいあると思う。それでも強く生きていけよ。俺みたいに不幸な人にならないように。ずっと見守ってるからな。
あと、気が向いたらまたバレー始めろよ。いいな?
佐藤光…
桜のお父さんより。
知らないうちに、手紙の最後の方が滲んでいた。あれ?おかしいな、雨漏りでもしてるのかな。
頬が暑い、おまけに目も焼けそうだ。
でもなんか変なんだよ、さっきから視界がぼやけていて、これじゃあまるで…
「泣いてる…みたいじゃん。」
鏡に映る少女は泣いていた。顔を歪めて、声にならない嗚咽を目から流して。
なんで私はいつもこうなんだろ、ずっと一方的にお父さんを否定していた、本当の事を知りもしないくせに。
失ってはじめて気づいたものそれは他でもない、何よりも変えがたい父からの愛だった。
でもそれに気がつくには遅すぎたんだ。
私はとうとう我慢出来なくなって、嗚咽を漏らしながら泣いた、いや泣き叫んだだろうか、まだ残っているかもしれないお父さんの温もりを少しでも感じられるように、手紙をギュッと握りしめながら。強く、強く。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…お父さん、私はあなたの事を何も知らなかった。そのくせにお父さんのことばかり責めて…」
「お嬢さん、もう、いいんだよ。きっと光一さんだって分かってるさ。だから顔を上げなよ。」
そう言って、店長さんはタオルを手渡した。フワッフワのタオルを顔に押し付ける。その瞬間、不思議と懐かしい匂いがした。小さい頃、どこかで嗅いだことのある匂いが。
しばらくして、嗚咽がまだ尾を引いていたが、すっかり涙は止まった。
「店長さん、ありがとうございました。」
「いえいえ、どういたしまして。それでどうだい? 気持ちはスッキリしたかい?」
はい! その問に私は、数年ぶりに心の底から笑顔を見せたと思う。
「気持ちもスッキリしましたが、髪もスッキリしました。改めて店長さんは凄い人です。お父さんが通っていたのも理解できます。」
「おぉ、そうかい、それなら良かったよ。」
「ふふふ、あ、そうだお金っていくらですか?」
「あぁ、それならいいさ。いわゆる初回限定ってやつだよ。」
「いや、でもそれじゃ店長さんに悪いですよ。ちゃんと払います。」
「んー、参ったねー、それじゃあお金はいいからまたバレーを始めてくれるかい? それだけでいいから。」
え? と聞き間違いを疑うも、店長さんの目は本気だ。
「そんな事でいいんですか?」
「うん、それだけでいいよ。」
「…そうですか、それなら分かりました。私、佐藤桜はまたバレーを始めることを誓います。」
そう、宣誓すると店長さんは満面の笑みで拍手をくれた。
「それでは、店長さん、また髪を切る時に来ますね。」
「うん、待ってるよ。その時はバレーの話は聞かせてね。」
「はい、それでは。」
錆びたドアの取っ手に手をかける。古さびた音を立ててドアが開く。
その時だ、店長さんからこう、呼び止められた。
「そうだ、言い忘れてたよ、 きっとこれは君がここに来た理由の答えになるかもしれない。」
一瞬、何の事だっけと首を傾ける。ほんとになんだっけ。
ここに来た理由…あ、もしかして。
「これは僕からのアドバイスだ。きっと今すぐには分からないだろけど、あと数十年後にきっと分かる。いいかい? 人はどれだけ歳を重ねても、何か一つ、なんでもいいから、始めることを忘れなければ老いることはない、ずっと若いままなんだ、この話を真に受ける必要はないよ、でも覚えていおいてね。」
「え、それって…」
それだけだよ。言うと店長さんは店の奥に消えていく。その顔は振り返り際少しだけ笑っていたような気がした。
店内に外の冷たい空気が流れ込む。それは私を夢の世界から連れ戻すように、ツンとした風が私の頬を刺す。
私はまた現実に向き合わなければならない。きっとこれから辛いことの積み重ね、お先が真っ暗すぎて光ですらも抜け出せないかもしれない。
けど、もし、完璧に行き詰まってしまったその時はまたここに来よう。きっといい答えをくれるはずた。
「それに、あの噂の正体も解明出来たことだしね。」
カランカランと音を立ててドアが閉まった。
外はいつの間にか雪が止んで、嘘のような青空が広がっている。
「うわぁ。」思わずその光景に息を飲む。坂の上から見えた景色は、青と白が無限に広がる銀世界だった。
私が住むこの街には、1つ有名な噂話があった。
街の商店街を抜けて、山へ向かう道の途中にある、さびれた床屋。
みんな口を揃えてこう言う。
「あの床屋の店長は不老不死なんだ。」
だから、その人の名を知っている人は誰一人いない。
不老不死、その言葉を恐れた人は次にこう言った。
「あそこには不老不死の化物が住んでる。」
そして、何年もかけて、噂は書き換えられた。
「悪い子はあの床屋に攫われるんだ、だから近づいちゃいけないよ。」
でも、私はそんな噂をちっとも信じていなかった。
そんなおとぎ話、あるはずがない。
そう、信じていた。
…
しかし、そこには恐ろしい化け物なんていなかった。
あの噂やっぱりガセだったのだろう。それならとんだ風評被害だ。
でも、そんな時代でも、私だけが知っている真実がある。
そう、これからも書き換えられていく床屋の噂、そのどれとも違う唯一無二の真実。
訪れた人に希望を与える床屋があるということ。
この街の傍らに、誰かの傍らにひっそりと寄り添う、決して名を持たない、素敵な店長さんが営む、幸せの床屋であることを。
私だけが知っている。
こんばんは、嘘月です!
床屋ウロボロス、どうでしたか?読んでいる時に楽しんで貰えたなら嬉しい限りです。
さて、佐藤桜は前へ歩き出しました。ここでこの物語は終わってますね。
しかし、ここから先は皆さんの想像で物語を紡いで下さい。私はこの後の話を書くつもりはありません。
なぜか、それは読者さん、一人一人に佐藤桜の人生があるからです。例えば、バレーを始めた桜もいます。その傍らもしかしたら、バレーではなく野球を始めた桜もいるかもしれません。
そうです、この物語は皆さんが想像したアフターストーリーが加わって真のエンディングと行ってもいいでしょう。
そして皆さんがその後に幸せになってくれたなら、それが本当のハッピーエンドです。
と、まぁ今回はここら辺で失礼させていただきます。正直疲労困憊しているので、早く寝たいのが本当です。
皆さん、お仕事、勤務、学校、お疲れ様です。そんなお忙しい中、この小説を読んでくれたことに感謝しております。
本当にありがとうございました。
それでは皆さん、いい夜を…