エピローグ
青天に、つがいの鳥がくるくると回っている。キィークルルと片方が鳴けば、もう一羽も伸びやかに鳴いた。
渡り鳥の仲間だろうか。太陽が高く昇っていて、逆光で姿はよく見えないが、翼が大きい。遠いところまで旅をするのに適した翼だ。顔の上を横切り、赤茶色の砂地を遠ざかっていく影を見送って――タミアはがばっと身を起こした。
「おお、起きたか。やっとだな」
「なん……、え? 私なんで?」
砂漠だ。どうして砂漠のど真ん中で眠っていたのだろう。唖然として砂をはたくわけでもなく、自分を確かめるように腕や膝を触ったタミアを見て、ログズは呆れたように口を開いた。
「お前、昨夜倒れたんだよ」
「え?」
「ジンと戦って――ま、気力体力いろいろ限界だったんだろ。光がさめて、隣見たらお前まで倒れててさ。死んじまったのかと思って焦ったぜ?」
どこから採ってきたのか、熟れたナツメヤシを葉っぱに山ほどのせてある。彼はそれをひとつ齧り「なかなか起きねーし」とからかうようにつけ加えた。
ぼんやりしていた頭が、だんだんと冴えてくる。
タミアは昨夜、自分がジンの放った最後の光に呑まれて、眩しさに意識を手放したことを思い出した。ということは、と視線を巡らせて探した神殿は、遠くかすかにそれらしきものが見えた。この場所はどちらかといえば、タフリールに近い。
昨日、焚火をしていたところだ。残骸がうっすらと砂に埋もれかかっていた。
「あそこにいると、じきに調査隊が来るだろうからな」
「ああ、そうよね。爆発とか聞こえたでしょうし。……ごめん、私寝てたってことは、連れてきてくれたのよね?」
「寝言いってたぜ。アルヤル先生、って」
「うっ、うそ!」
「ウソ」
言葉を失くしたタミアに、ログズはケラケラと笑った。何という悪質なカマかけだ。実を言うと、十年前の夜のことは何度か夢に出てきているので、タミアは一瞬本当のことだと思って心の底から焦った。
だからこの人は嫌なんだ、杖も戻ったし、早くやるべきことをやってアルヤル先生のところへ行かないと。かぶりを振ってそう思ってから、タミアは「ああ!」と声を上げた。
「灰! 灰、拾ってない!」
「バカかお前、俺がちゃんと持ってきたに決まってンだろ」
「あああ……ありがとう。ほ、本当に?」
「なんでちょっと疑ってんだよ。ほら」
ログズがポケットを漁って、小瓶を投げてよこす。受け取って、タミアは恐る恐る手を開いた。
手のひらほどの細長い瓶の中に、灰が積もっている。一見、普通の白と黒に見えるその灰は、太陽に翳すと目映い金色に光り輝いた。
痛いような苦しいような、どうしようもなく締めつけられる胸に、よみがえるのは最後の姿ではなく、遺跡で二人話したときの一場面だ。すごい。王妃様みたいね、と笑ったタミアに騙されて、一瞬笑ったように見えたジンの顔。
ログズであってログズでない、誰の真似をしたわけでもない表情を、あのとき垣間見た気がした。ただの油断と言ってしまえば、それだけの表情。でも、ジンにはジンの心があるのだということを、強く実感した。
「それ、お前が持ってってやれよ」
「え、どうして? 戦ったのはほとんどあなただわ」
「手元に残したきゃ、先に半分取っときな。どうせ聖兵団に預けたら、アイツを解放したあとは花壇にでも撒いておしまいだぜ」
くあ、と欠伸と伸びを一緒にして、ログズは胡坐を組み替える。そうか、と妙に納得して、タミアは瓶を受け取った。綺麗な思い出というわけではないけれど、忘れたくはない思い出になるだろう。魔法使いとして、これからの人生を歩むにあたって、少しくらいは携えていきたいかもしれない。
「まあ、まだ始まってもいないんだけど……!」
「ん? 何が」
「いや、色んなことがあったけど、私まだアルヤル先生の弟子になってすらいないのよねって思って。なってないっていうか、なれるかどうかもこれから決まるっていうか……」
大きなことをやりきったからだろうか。急に現実味のある心配が戻ってきて、タミアはうなされた子供のように力なく唸った。ほとんどついていっただけとはいえ、一応ジンとの戦いまで経験したのだ。もう弟子になる素質を証明できるだけのことは結構やったと思うのだが、話したとしてどの程度信じてもらえるかどうか。
ログズはナツメヤシを口に放り込んで「あー」と頷いた。ポケットの手紙に手のひらを当てて、どうか大丈夫ですようにと祈るタミアに、いつもの調子で答える。
「それはもう、心配ねェよ」
「そうかしら」
「お前は合格。不器用だからな、時間はかかりそうだが、この大魔法使いログズ・アルヤル様が面倒見てやるよ」
「だったらいいんだけど。ていうか、別にあなたに面倒見てもらうわけじゃ――……え?」
何やらおかしな言葉が聞こえた気がして、タミアはまばたきをした。食うか? とログズがナツメヤシを差し出してくる。そういえば昨日の昼から何も食べていなかったし、喉も渇いていた。甘くて美味しそうだ。
「ま、そういうことだから」
ログズは右手でぐいと、ターバンを押し上げた。
「これからよろしくな? タミア・ガザール」
青灰色の左目と、炎のような金色をした右目が、真珠色の髪の間から現れる。
頬張ったナツメヤシを噎せそうになって、タミアはぽろりと、砂の上に残りの実を取り落とした。燦々と正午の気配を近づかせる砂の海に、声にならない叫び声がひとつ、吸い込まれて消えていく。
西は堅牢なる石の都。
北は荘厳なる白亜の都。
東は肥沃なる緑の都。
南は新進なる黄金の都。
そしてここは絢爛たる月の都・タフリール。人も物も形ないものも、ありとあらゆるものが行き交うこの場所は、今日も新しい物語が尽きることを知らない。
〈月の都に火は灯る/完〉