ゴブリン
肌を刺すような太陽の光、熱気で前が歪んで見える。
歩き出して一時間ぐらいたったが、進んだ気がしない。遠くにある黒い線は小さくなったままだ。
だが別にいい。進めばいずれは着くだろう、問題は
「ググギャギャ!」
さっきから執拗に追ってくるこの緑色の小人達をどうするかだ。
足が千切れそうになるくらい走る。靴に砂利が混ざって気持ち悪いが気にしない。鍵盤は相変わらずフワフワと浮いてるだけだし今はとにかく逃げるしかない。
「ググギャギャ!」
後ろから不気味な声が聞こえる。
俺はつい先ほど綺麗な水たまりを見つけた。喉が渇いていたので水を飲んでいると、いつの間にか緑色の小人達に囲まれていた。
どうやら水たまりは小人達のものだったらしく、怒った小人達に今追いかけられているという訳だ。
「許してくれよ、頼むよ〜」
「ググギャギャ!ググギャギャ!」
頭に鋭い痛みが広がる、小石をぶつけられたみたいだ。許してくれる気配はない、これもう分かんねえな。
必死に走っていると前に何かが立っているのが見えた。
まさか先回りされたのか?いや違う。よく目を凝らし見てみると俺と同じ人間みたいだ。
「そこにいる人、助けてくれ!」
荒い息混じりにそう叫ぶと、前にいる人がこちらを向いた。
黒いマスクをつけているので顔は分からないが、女性の様な雰囲気だ。
マスクの人はため息をつく素振りを見せナイフを手に取った。
助けてくれる、そう思った瞬間ナイフがこちらに飛んできた。うっそだろお前!
「グギギ……」
ナイフは俺の頬を擦り、後ろの小人に当たった。
そしてマスクの人は次々とナイフを投げ、後ろの小人達を始末していく。百発百中というのはこの事か。ナイフは一つも外れず小人達の頭に命中している。
「ギィ……」
そう言って最後の小人が倒れた。
凄い、呆然としていると何か視線を感じた。
「大丈夫?」
真横にマスクの人が立っていた。声からして若い女の人みたいだ。
「あっありがとうございます。あの」
「逃げるよ」
「はい?」
「早く」
マスクの人に手を掴まれまた走り出した。
これが青春か、そんな馬鹿な考えをしていると、後ろからズブリズブリと生々しい音が聞こえた。
見ると小人達がヒョコリと起き上がり刺さったナイフを抜いている、うおぉグロい。
「あいつらはゴブリン、あんな程度じゃ死なない」
マスクの女は小さな丸い玉をゴブリン達に向けて投げた。
プシューと音を立て玉から煙が出てきた。煙玉という奴か。
ゴブリン達がわめき散らしているその隙に、俺とマスクの女はその場から去った。
「ここまで来れば大丈夫」
「ち、つかれた……」
枯れた木立を抜け、大きな川についた。
ずっと走りっぱなしだったせいか、膝が震えている。
「大丈夫?」
「ああ、ありがとう。このご恩は」
「お金」
マスクの女がナイフをこちらに向けた。
「あのこれはどういう」
「お金」
ナイフが頬に少し当たって後ろの岩に刺さった。マスク女はナイフを取り出しこちらに向ける。その瞳は次は当てると語っていた。
こういう場合はどうしたらいいんだ。逃げるにも膝が震えて動かないし。
迷っているとフワフワと浮かぶ鍵盤が光った。
ああそうか、一か八かだけどやって見るしかないな。
「あの、すみません。お金の代わりに一曲弾きますので、そそそそれで……」
女の人がナイフを首に当てる。これはもうダメかな……そう思ったが
「分かった」
女の人がそう言ってナイフをしまう、思わずため息が出た。
空中に浮かぶ鍵盤が一列に並ぶ。俺はゆっくりと指を置いた。
「えっとじゃあ弾きます」
「明るい曲がいい」
「へっ?」
「明るい曲、そしてちょっと切ない曲」
無理だな。俺が今弾ける曲はショパンの練習曲op25-10だけだ。
25-10は明るい曲ではない、どちらかと言うと暗い曲だ。
弾かないでいると女の人がナイフを取り出した。ちょっ待てよ。
「わっ分かりました!」
思わずそう言ってしまった、だがどうする。
こういう時に限って耳は敏感になり思考の邪魔をする。
川のせせらぎ、木の葉のカサカサという音がはっきりと聞こえる。
小枝を咥えて騒がしく飛ぶ鳥、うるせえ……いやちょっと待てよ。
騒がしい、小枝、鳥、自然、騒がしい、小枝、小枝、小枝、棒、杖……
「思い出した!」
あの曲があった!頭の中にある鍵がとれた感じがした。
ぴったりという訳ではないがあの曲なら、大丈夫だ。
「それでは弾きます!」
俺は深呼吸して心を落ち着かせる、そしてゆっくりと指を動かした。
次はバルトークの曲です。