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遠くで何かがポーンポーンと鳴っている。透明で温かみのある音だった。音はだんだんと近くなり大きくなる。急かされている様な気がして俺は目を開けた。
薄暗い。寝起きのせいか前は数メートル先も見えない。肩に水滴がポタリポタリと落ちてくる。冷たい。でも寝ぼけまなこを覚ますのには丁度良いかもしれない。
両手の平で水滴を集め、顔にかける。
思考と視界がクリアになった気がするので、何故ここにいるのかを考える。だが
「何も思い出せ無い……」
ここが何なのか、だけでなく自分が誰かも思い出せない。記憶喪失という奴だ。
慌てる俺をよそに腹が呑気に文句を言った。
よく目を凝らすと前に原始時代を思わせる草がチョロチョロと生えているのが見えた。
無意識にジュルリと垂れる涎。腹が減った、とにかく俺は何か食いたい、腹を満たせば何か思い出せるかも。
毒の心配はあったがそんな事は気にせず、草を口に入れる。
プチプチと魚卵の様な食感だった。味はほんわかした甘さと喉を締め付ける程の辛さが混ざり合いゲロ不味。不味さのショックで何か思い出せるかもしれないと思ったが、結局何も思い出せなかった。
数分間途方にくれたが、何も始まりそうに無いので歩く事にした。
「おっと危ない……」
横から細長い岩が飛び出していたので身体を曲げて避ける。薄暗さに慣れたのかさっきよりも視界がクリアだ。
周りはごつごつした岩の壁、天井には巨大な岩の氷柱が垂れている。何故かその岩の氷柱が人に見えた気がして不気味だった。
クラクラと進んでいくと前に薄っすらと光が見えてきた。
光は大きくなったり小さくなったり、まるで誰かに気付いて欲しいようにみえる。
「何だ……?」
光の正体を確かめるため前に進む。自然と足取りは軽くなった。
光の正体は長方形の小石だった。沢山の光る小石が岩壁に散らばっている。
「きれいだな」
そう言うと小石はより強く光った。
ありがとう、ねえ触れてみない?触れてみなよ。小石がそんな事を言っている気がする。
ちょっとドキドキしながら、すぐ近くにあった小石に触れた。
スベスベ。ザラザラ。滑らか。どの言葉も当てはまらない不思議な感触。
「……完了」
しばらく触っているとそんな声が聞こえた。
「だれ……?」
辺りを見回すが誰もいない。あるのは光る小石とそれを変態みたいに触り続けている俺だけだ。
気のせいかな、そう思ってまた触ろうとしたら小石が岩壁から外れ落ちた。それを合図にしたかの様に周りの小石も落ち始める。
「うぉ!」
落ちた小石達は光を失い、なんと浮かびだした。
得体の知れない恐怖が背中に走り俺はその場から走り去った。
靴に砂利が混じって足の裏から血が出ているのが分かる。岩壁に何度もぶつかっているが関係ない。
一心不乱に走っていくと日の光の様なものが見えた。出口かもしれない、そう信じて俺は走る。だが
「嘘だろ……」
光の正体は巨大な火球だった。
恐怖で足がすくみ動けない。これが詰みというやつなのだろう。チェスならスマザードメイト、将棋なら頭金、そもそもチェスと将棋ってなんだっけ。とにかく動いてくれ俺の体。
「うぉぉぉ!このクソドラゴンがぁ!」
もう駄目だなと思った瞬間、俺の前に赤い甲冑を纏った男性が現れ、右手に持った巨大な剣で火球を弾き飛ばした。
「大丈夫か坊主⁉︎お前どっから出てきた!」
横目でちらっとこちらを見る男。金髪。太い眉。カッコイイ。俺が女だったらオちてるな。
「あの……」と俺が言いかけると耳を裂く様な重低音が前にある岩から聞こえた。
「ちっまだ死なないのか」
男は左手にもった盾を岩に投げつける。すると岩から翼の様なものが飛び出して2つの瞳がこちらを睨んだ。
「何だよこれ……」
巨大な岩は大きなトカゲだった。いやトカゲなら可愛い。だがこれはトカゲよりもグロテスクで顔が悍ましい。化け物だ。
赤錆色の鋭い爪、そして銀色に光る2つの瞳を持つそれは舌舐めずりをしながら、こちらを見て笑った。
赤い甲冑の男性が両手で剣を持つ、そしてこちらを睨み後ろへ下がれと目で合図した。
「とりあえずこのドラゴンをぶっ殺す!」
覇気の篭ったその声と共に剣が紅蓮の炎を纏いだした。化け物は危険を感じたのか巨体を唸らせながら男を襲う。
軋む岩盤。落ちる天井の岩氷柱。肉を斬る音と轟々と燃える炎のデュエット。まるで地獄にいるみたいだ。
呆然としていると空を裂く音が聞こえた。目の端に走る影。それを化け物の尻尾だと気付いた時、赤い甲冑の男が目の前に現れた。
「ガッ……」
直撃を受け破砕する甲冑。しかし男は「大丈夫だ」と言って笑いながら化け物の尻尾を剣で叩き斬る。悪臭を放つ化け物の血。男はその血を浴びながら後ろへ跳んだ。
「終いだ。消えろくそ野郎!」
そう叫び男は剣を薙ぐ。すると剣先から巨大な火の蛇が現れた。
炎の蛇は化け物に巻きつき首に牙を突き刺す。響き渡る化け物の叫び。
倒したと思った。だが化け物は案外しぶとく、暴れ出した。
「っ坊主、危ない!」
男の叫びによって自分の上に巨大な岩が落ちてきているのに気づいた。
だが情けない事に腰が抜けているので動けない。せっかくあの男が身を呈して助けてくれたのに俺はまだ何もしていない。自分の弱さを呪った。
諦め覚悟して目を瞑る。
走馬灯という奴なのだろうか、暗闇が嫌に長く感じる。
暗闇になって十数秒たった。さすがにおかしい。
恐る恐る目を開けた、すると岩が空中で止まっている。見るとあの小石達が結界の様なものを張って俺の周りを浮いていた。
「もしかして……守ってくれたのか?」
そうだ、と反応するかの様に光る小石達。
そして小石達は集まりだして、空中で一列に並んだ。
「坊主、無事か!ぐはっ⁉︎」
男の叫び声と化け物の叫びが聞こえた。まだあれは倒れていない。早く何とかしなければあの男と俺は死んでしまう。
だが自分に何が出来るのか、そんな事は思いつかない。
そんな時空中に並んだ小石が輝き、変形し始めた。
「これは……」
変形し光を失った小石達、いや違う、俺の前に浮かぶそれは見覚えがあった。白と黒の長方形。これを見ていると胸が締め付けられる様な感じがする。
「俺はこれを知っている……」
俺は白の長方形に触れる、すると頭の中で鍵が外れた音がした。
「……そうだ。これは鍵盤だ」
そうだ。空中に浮かんでいるが間違いない。俺の前にあるのは鍵盤だ。
頰にひんやりとした感覚がする。触れると、それは俺の涙だった。
辛い訳でも、悲しい訳でもない。ただ会いたかった人とあった様な気がして俺は嬉しかった。
「ただいま……」
勝手に口がそう動いた。すると鍵盤はオカエリと言っている様に艶やかな光を放った。
「ふふふ」
分からないが笑ってしまう。
俺は笑いながら鍵盤を押した。すると頭の中である旋律が流れだした。
頭の中で絶え間なく旋律が鳴り響く。重苦しく、攻撃的な旋律。まるでこの旋律はあの化け物を表しているかのようだ。
どうしようもない不安があるが、俺はこの曲が弾ける気がした。
何故弾けるのかに理由はない、だけど不思議と弾けないという理由も見つからない。
俺は背筋を伸ばし空中に並ぶ鍵盤に指を置く。本当は座りたいが我儘なんて言っている暇はない。
呼吸を整え頭をクリアにする。 短調。右手の旋律が激しく下降する。左手の進行の意識……落ち着くと色んな思考がワチャワチャ出てきた、本当どうなってんだ俺の頭は……
「ぐぁぁ!」
再び男の叫びが聞こえた。もうモタモタしている暇はない。
俺は曲を弾き始めた。
読んでくれてありがとうございます。
2月2日、手直ししました。改めて自分の文章力の無さを痛感。もっと精進します。