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歪みのオルゴール

星中のワルツ

作者: ゆっけ

月はなく、空にところ狭しと敷き詰められた星たちが鋭い光を放つ真夜中。


命ある全てのものが深い眠りの中に落ちていた。

時が止まっているかのような静謐せいひつの中、それに調和するように、儚く、美しい旋律が辺りを包み込む。


遠くまでよく響く、透き通るような歌声。


歌声の主は、殺風景な部屋の中、寝具に腰をかけて開け放たれた窓の外をぼうっと眺めていた。

その傍らには、規則的な呼吸を立て、穏やかに眠る少年。

少女は、少年に子守歌を奏でていた。


歌い終わり、彼女は一息ついて、少年の頭を我が子を慈しむように撫でる。

澄んだ空を切り取って、ガラス玉の中に閉じ込めたかのような双眸が、少年の姿を写す。背を曲げて体を丸め、木綿のシーツにくるまり眠る姿が星の光に照らされている。



「猫みたい」



跳ね気味の毛先をゆるゆると弄り、少女は呟く。

少年がぐっすりと眠る様子に微笑んだ少女が、ふと顔をあげた時。

全てを飲み込んでしまいそうな真っ黒な闇の中、朧げな光を放ち揺れる二つの色を見つけた。



「──今日は君の声がよく通る。やけに静かな夜だね」



熟れた柘榴色あかいろと、鈍く輝く黄金色きんいろのそれが少女に語りかける。



「みんな、よく眠っていますからね。なんのご用事でしょうか?」



少女は驚く様子もなく、その双眸そうぼうでまっすぐふたつを見据える。ほどなくしてそれを中心に闇が蠢くと、段々と闇の色が濃くなり人の形をとる。次の瞬間、濃い闇は黒衣を纏った若い男の姿に変わった。



「特に用はない」



柘榴色を右目に、黄金色を左目に宿し、ふたつを無機質に光らせ淡々と言い放つ。


少女は、男が用があって訪れたものだと思ったが、どうやら違うらしい。きょとんした表情を浮かべ、首を傾げると改めて男の姿をじっと見つめた。


長身を覆い隠すような裾の長い黒衣。色白でやや骨ばった手が袖から伸びる。闇色の髪は彼の左の頬に刻まれた紋様を覆い、覆われなかった朱の線が垣間見えている。

耳を飾る紫色のピアスと首飾りは冷たい輝きを放っている。


ただひとつ、いつもと違うこと。彼が持っている大振りの鎌はその手に握られていない。


男が少女のもとに来るときは、少女を鎌で穿ち殺す時か、傷を刻み付けるとき。鎌を持っていないということは、目的はそれでないということ。



「じゃあ…どうしてここに来たんですか?」



更に首を傾げた少女は男に問うた。



「先刻の歌に、気付いたら引き寄せられていた」



表情を一切変えずに男は答える。



(神さまはみんな、そうなのでしょうか)



彼を創った神の性質を継いだのかと少女は思った。



「……眠れないなら、歌いましょうか?」



少女はほんの軽い気持ちで聞いた。

全く変わることのなかった男の表情が、少女の言葉を受けるなり一気に不機嫌なものへと変わる。



「不要だ。死神は眠る必要はない。眠れないからと子守唄を頼みにくるカガリと一緒にして貰いたくないのだが」


「す…すみません……。歌に引き寄せられたと聞いたもので」


「…………無意識だ」



男は深いため息をつき、壁に凭れかかると眼を閉じる。

一方の少女は長い睫毛を伏せ、どうしたものかと溜め息をつく。男とは事情は違うが彼女も眠れない体であり、歌って暇を潰すには夜は長すぎる。

傍らで規則的な寝息を立てている少年を見つめて、考え込む。数分ほどの沈黙がその場を支配した。



「じゃあ、わたしのお話に付き合ってください。…ダメなら、いいですけど」


「…相槌だけでいいのなら」



男が目を瞑ったまま返答する。それを聞くなり、うれいげだった少女の顔は綻んだ。すぐに彼女は立ち上がり、眠る少年の頭を優しくなで、起きそうにないことを確認する。



「行ってくるね、ヴァイド」



優しい声色で少年に囁き、彼の頭をもう一度撫でると、男に駆け寄る。


男が再び目を開けると、先程とうってかわり、はつらつとした表情で見上げてくる少女が真っ先に視界に飛び込んできた。


男は表情を僅かに緩ませると、少女が差し出した温かい手をとった。



***



すっかり葉が落ちた木が立ち並ぶ森の中。

星に照らされた道を、二人が歩いていた。



「少し話をするだけと言っていたのに、どうして出歩くんだい」


「いいじゃないですか。こうして話をするのも久しぶりですし。それに、この季節の夜は星が綺麗なんですよ。星が綺麗に見えるところ、教えてあげますから!」



歩きながら、くるくると踊るようにステップを踏み、無邪気に笑う少女に、男は呆れ顔で溜息をついた。


そんな男の様子には気付かない少女は、先刻歌っていたものとは違う旋律を口ずさみつつ、男の少し先を歩く。


時折吹く風が、少女の白金色の髪をゆるくなびかせる。その度に、寒空の下にさらけ出された白磁の肌が垣間見える。

それを包み込むワンピースが、一歩踏み出すごとにゆらゆらと揺れる。


随分と無防備なものだ。と男は苦笑いを浮かべる。



「すっかり葉が無くなってしまいましたね」


「そうだね。もう冬だ」


「今年は雪、まだ降ってませんね。積もるくらい降らないかな」


「積もった雪に飛び込みでもするのかい」


「勿論。ヴァイドと一緒に飛び込みますよ」


「そうかい」



少女は時々振り返ると楽しげに喋り、男の相槌に一喜一憂する。表情をころころと変える様は絶え間なく様子が移ろいゆく天空そらのよう。



「それで。酷いんですよ。──が一番突っ走ってるのに。『お前は前に出るな』って」


「この前、軍に顔を出したとき。──には見つかりたくなかったのに真っ先に見つかったんです。」




話の中で、よく出る名前があった。



「君は本当に、若獅子のことが好きだね」



男は心の中で唱えたつもりだったが、口に出ていた。

少女はその言葉に足を止めると、男の方を振り返る。



「はい。大好きですよ」



星の光が少女の髪に乱反射されたのか。


男には、その瞬間だけ少女が光に包まれ、今にもどこかに消え入りそうに見えた。

その表情はどこか悲しげに、けれども幸せそう。


男は、胸の奥がぎしりと軋んだのを感じたが、それには構わず、寂しそうに微笑み、応えた。



話題が尽き、互いに言葉を交わすことが少なくなった頃に、開けた場所に出た。

そこにある湖は星空を映し出している。

周りの木は道中のものと同じく、全て葉が落ちており、草花もなくどこか物悲しい場所。



「ここですよ。今は少し寂しい場所ですけど、温かくなると緑が鮮やかで。花の彩りが艶やかで。」



少女が水面に立つと、男の方を振り返り手招きをする。



「……飽きないね、君も」



男は少女に聞こえないくらいの声量で呟くと、ゆっくりとその歩を進める。

男が湖に向かってくるのを確認した少女は、水面に波紋を立てながら、足取り軽やかに湖の中央に立つ。



「この時期の水は冷たすぎやしないかい」


「まったく。…もう感じませんから」



ふっと目を細めて裸足でぱしゃぱしゃと水面を踏む少女に、男は苦笑する。彼は少女に近付き、自らも湖の中央に立つと、自然な動作で彼女の手をとった。


先程より、手は冷えていた。



「星を見に来たのじゃなかったかな」


「ごめんなさい。でも、久しぶりだから踊りたくて」


「……踊りはあまり得意でないのだがね」


「大丈夫です。アングラーさんはレオなんかよりずっとお上手です」


「……そうかい」



男は「また若獅子の話か」と肩をすくめると、繋いだ手を引いて少女の体を抱き寄せ、その温もりに浸るように瞼を閉じる。



「アングラー、さん……?」



何故抱き寄せられたのかと目を白黒させる少女に男が耳打ちする。



「もう少し、警戒心を持て。私にも、私以外の男にも。 ……若獅子きみのおもいびとにも。いいね」



色気を含んだ低い声と、男の吐息が少女の鼓膜を震わす。

少女が返事をする前に、男は少女を解放し、元のように手を繋ぐ。

先程とは違い、少女の肌の色がうっすら赤みを帯び、その頬はとくに赤く色付いているのが男の目に映った。



「……いきなりはびっくりします」


「…恥じらいはあるようだな」


「うるさいです」



程なくして、水面が波紋に塗りつぶされる。

星空の下、少女の歌う旋律を主に、小さな舞踏会がはじまった。


二人がステップを踏むごとに、水面に赤や青、黄の光が花の如く咲き誇り、宙を浮遊し辺りを淡く照らす。

森一辺が鮮やかに染まり、殺風景だったそこは瞬く間に幻想に彩られた。




「いつまで踊るつもりだい」


「どうしましょうか。それじゃあ、陽の光が昇るまででいいですか?」


「ああ、構わないよ」




歌う声は、暁の刻まで澄み渡った。




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