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草野球

河川敷にあるグランド。そこに草津は呆然と立ち尽くす。

やりようのない感情が彼を支配していた。

カッキィ――――――――ン


金属のいい音が響き渡る某河川敷にある第二グランド。管理人は年老いたじいさん、野球のルールを知りもしないのに口をだし、騒ぎ、説教をかます。


とんだじいさんがいるこの河川敷のグランド。


「危ない草津っ!」

「ッ!?」


鈍い音と同時に視界が暗くなり、その場に倒れこんだ。

声をだす暇もなかった。




目が覚めると草津はベンチにいた。

赤く腫れあがった頬には誰かのハンカチが軽く水を含んだ状態で置いていた。


誰のだろう……。


女性がもつような華やかなハンカチ。

草津はハンカチを手にもつとベンチから起き上がりあたりを見渡した。


「あっ、やっと目が覚めた。大丈夫?今、松山さんが氷買いに行ってるから」


やさしく微笑みながらそう言う彼女は草津が手にもつハンカチの持ち主であり、草津が片想いをしている相手でもあった。



椎名ゆりこ。



風が吹くと彼女の髪はふわり揺れ、そのたびにとても良い香りがし草津の鼻を刺激した。こんな香りをだす女性が他にいただろうか……。


「いや、いないな」

「ん?なにがいないの?」

「えっ!?いや、なんでもない!ないない!」

「うふふ、変なの」


笑う彼女もとても素敵だ。とても良い。なんだか心が穏やかになる気がする。草津も笑おうとするが二倍にも三倍にも腫れあがった頬がそれを許すはずもなく。


「いっッ」


激痛が走った。


「本当に大丈夫!?」


草津を心配そうに見つめる彼女の瞳がだんだんと草津の瞳へと近づいてきた。自然と草津の顔が赤面と化す。それが彼女のせいだとも知らずに、彼女こと椎名ゆりこはさらに心配そうに声をかけてきた。


「草津さん、顔が赤いですよ!?悪化したんじゃないんですか!?は、早く冷やさないと!」


椎名ゆりこは座っていたベンチから立ち上がると、その足で水場へと走って行った。

誰にでもやさしく接し、平等に心配をしてくれる。そんな彼女が本当に素敵で本当にいい女性だとおもう。草津は走る彼女、椎名ゆりこを眺め続けた。ズキズキと痛む頬に触れながら。


「いっッ」



だがそんな彼女は……。



「おい、草津。大丈夫か?」


さきほどまでピッチャーをしていた男が笑顔で草津に近寄ってきた。パシパシと左手のグローブにボールを投げながら、一人キャッチボールをしながら。好青年といったところだろうか、草津も男もそんな年ではないのだが草津と比べると男は好青年の分類にはいる。別に草津が老けているわけではない。男が若く見えすぎるのだ。


いいなこいつめ。


草津は口をひん曲げ、膝を台に頬杖をつき男が歩いてくる方向とは真逆の方向をむいた。


「なんだよ。草津」

「別に」

「別にってことはないだろう。つれないなぁ」


男は草津の隣に腰をおろした。それでも草津は男を見ようとしない。それは必然的に。

そして同時に椎名ゆりこが二人がいるベンチへと戻ってきた。


「あれ?浩介、交代?」

「あぁ、攻守のな」

「そうなんだ。で、今回はどうですか?」

「ん~まぁまぁ。相手にとって不足はないけどな!」

「どっちなの」

「さぁ、どっちだと思う?でも俺たちの最強コンビがいる限りこっちが負けることはないさ。なっ!」

「どうだろうな」

「なんだよ。またかよ。本当に今日はどうしたんだ?つれなさすぎだろ」

「浩介、嫌われたんじゃないの?」

「え~そうなのか?」


なぜなら、こいつが――――――


「草津さん。はい、水で濡らしたただけのタオルだけど、氷が届くまでの代わりにはなると思うから」

「ありがとう」


草津は濡れたタオルを受け取ると腫れた頬へとあてた。冷やりとつめたい感覚が彼を襲った。やんわりとではあるが先ほどより痛みが引いた気がする。誰がなんと言おうと、するのだ。


「なんだなんだ?ゆりこには『ありがとう』が言えるのに俺には『別に』だけかよ」

「はいはい、浩介はつっかからない」

「いや、だって草津のやつが……」

「はいはい」


こいつが、この男が椎名ゆりこの彼氏でもあり、婚約者でもあるから。

草津と椎名ゆりが出逢ったのは去年の春、花見の会場だった。そこで長岡浩介は椎名ゆりこという女性を草津に紹介した。


「草津、俺の彼女だ!」


昔から全てをさらけ出していた草津と長岡。それは家族以上と言っても過言ではない付き合いだった。

だからなのであろう。長岡は彼女の存在を誰よりも早く草津に教えた。


ひとめだ。彼女が桜が散る中で草津に微笑んだ。その微笑みが草津の心を鷲掴みにしたのだ。

完全なひと惚れだった。


だが、椎名ゆりこは長岡の彼女で婚約者。将来の嫁であり妻であり奥さんになる女性。やるせない気持ちが草津の中で怒涛のようにうごめく。けっして長岡が嫌いになったわけではない。しかし嫉妬はした。妬みも恨みもした。


どうして彼女をあのときに連れてきたのか。どうして自分に紹介などしたのか。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして……。


と、キリがない。


それでも一番悪いのは自分である。親友以上の存在である長岡の彼女をすきになったのがそもそも反則なのだ。人の女に惚れるとはとんだひねくれ者だ。あのじいさんのことが言えた義理か。



椎名ゆりこは冗談交じりに怒る長岡をなだめ、自分たちの荷物が置いてあるベンチへと誘導を始めていた。


「はいはい、浩介の言い分はむこうで聞きくからね」

「俺は草津に一言いってやら……」

「はいはい。草津さん、横になって休んでてね。氷が届いたら持っていくから」


去り際に彼女は微笑んだ。

やっぱり俺は彼女に恋をした。再度確信する。

ため息は自然と出た。脱力感の証でもあるそのため息は虚しい自分に対してでもあった。


空を見つめ思いにふける草津。快晴とまではいかないが晴々とした空がそこにあった。

草野球にはもってこいの天気。昼寝にも、散歩にも、ショッピングにも丁度いい天気だ。


いつになるかはわからないが、そう遠くない未来で俺は彼女のウェディングドレス姿を見ることになる。それはもちろん草津の花嫁ではない。長岡、長岡浩介の花嫁としてだ。そして、その時の仲人は確実に草津である。長岡がそう言った。


嫌になる。


それを嫌だと思う自分も嫌になる。親友以上の存在でもある長岡の幸せを素直に祝えない自分も嫌になる。



椎名ゆりこ。



絶対に幸せになる女性。長岡が惚れた女性。草津が惚れた女性。絶対に幸せになる。絶対に―――――――

ガチャリとフェンスの扉が開く、腰を曲げた白髪頭のご老人がグランドの土に足を踏み入れた。

ここの管理人のじいさんだ。

鼻息を荒くする姿を見れば、じいさんがなにを言い出すのかは見当がつく。


「ごらぁ、なぜいまのがストライクなんじゃ!」


今日の草野球もこれで終わりだ。じいさんが納得して大人しく管理室に帰るころには陽は沈み、ナイター料金が別途で取られることになる。日中の二倍は取られるのである。

とんだぼったくりのじいさんだ。忌々しい。


だが、今回だけはじいさんに感謝したい。


このままでは俺は草野球を続けようにも続けられない。

頬がズキズキと痛み赤く腫れているせいで涙が止まらないから。ズキズキと痛み涙が流れるから。


情けない。情けなすぎる。


こんな年になってなにをしているのか、青春真っ只中の学生じゃあるまいし。

でも涙は流れる。

いっそのこと雨でも降ってくれればいいのものを。そう願う。その願いもまた青春真っ只中の学生が願うような願いだ。


「あっ、草津!危ない!」

「ッ!?」


ガツンと腫れていない頬に衝撃が走る。それは鈍く硬く重い音えを奏でて草津の頬を直撃した。


「またかよ……」


雨が降る代わりに草津の視界はぼやけ、次には暗闇へと陥った。



本当に嫌になる―――――――

最初に不可抗力で草津にボールをぶつけてしまった松山が大量の氷を持って帰ってきたのはそれから数分後だった。

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