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狼の夢見草  作者: 遠野 紗
この数日
8/16

数日後

 能登のとに教えてもらった病室。「大神紺おおがみ こん」のプレートが付いたドアの前で一つゆっくりと深呼吸をする。

 ふと先日紺に会う前の自分を思い出した。あれだけ求めていながら、実際に会えるとなると緊張するものなんだな、と小さく苦笑を浮かべる。


 よし、と小さく気合いを入れた後、玻瑠はピッタリと閉まった白いドアを軽くノックしてからりと開けた。

「紺ー?」


 やっぱり、ダメだ…。

 どうして自然体でいることができないんだろう。


 玻瑠はるは明るい声で呼び掛けた。

「ハル…」

 ベットの上で体を起こしている紺が振り向く。

「シュークリーム買ってきたんだけど、食べない?」

「あぁ、ありがとう」

「で、飲み物なんだけど、こっちがコーヒーでこっちが紅茶、どっち?」

 テーブルに魔法瓶を二つ置くと、紺が苦笑しながら「じゃあ、紅茶で」と頼んだ。

「紺って甘党?」

「どっちかと言うとね」

 ふわりと紅茶の香りが漂う。

「へえ。意外だけどイメージはある」

 「どっちなんだ」と紺が笑った。その笑顔に、戻ったんだろうかと少しばかり安堵あんどする。


 刺々しい感じがなくなった。高校で再会したときの、自ら闇に進んで行っている様な雰囲気はなくなった。


 だけど…なんだか…


「…ごめん。連絡くれてたのに返さなくて…」

 コップに口を付けたまま紺は呟いた。

「…いいよ、もう。生きててくれたから、それでいい」

 手元の琥珀こはく色の液体を見つめながら、そっと言葉を返す。紺が苦笑している気配がした。「生きててくれたから、か…」。聞かす気はないであろう呟きが彼の口から微かに漏れた。その呟きに小さく笑う。


「そういえば、紺は写真家なんだってね。何撮ってるの?植物ばっかり?」

「いや、いろいろ。植物はもちろん、空、風景、動物、人…。撮りたいと思ったものを撮ってる」

「じゃあ、子供も?」

「時には」

「へえ。これはイメージつかないな」

「そう?」

「そうだよ」

 だって、高校生の時の刺々したイメージで止まってしまっているから。

「見せて?紺の撮った写真」

 ニカリと笑いながら手を差し出す。紺は仕方がないというように苦笑いしながら一つ溜息をつくと、ベット脇の戸棚を視線で示した。青色の小さな写真アルバムがある。気に入ったのだけを入れている持ち歩き用だ、と彼は言った。

「ねえ」

 彼は教えてくれるだろうか。

「ん?」


「どうして、写真家になろうって思ったの?」


 そう問い掛けると、彼は目を見開いて、それからゆっくりと視線を窓の外へ向けた。玻瑠も彼の視線を追って窓の外に視線を向ける。


 ここからも、あの桜がよく見える。遠くではらはらと花びらが落ちて、庭の片隅を染めている光景に高校でのあの日の事が玻瑠の頭を過ぎった。


 どのくらい、そうしていただろう。


「紺…?」

 何も言わずに、何か追憶している。そんな様子の紺にそっと呼び掛けた。窓の方を向いたときと同じ様にゆっくりと振り向いた紺の瞳を見て玻瑠はハッとした。


 変わって、いない……?


 無機質な白が広がる空間に、昼と夜の境目の光が差し込んで病室を茜色に染め上げる。

 静寂に響く律動的な誰かの足音。

 刺々しい感じはなくなった。自ら闇に進んで行っている様な雰囲気はなくなった。だけど……


 哀しい。


 彼の瞳を見て、玻瑠はそう思った。

 彼は、泣きそうな目をしていた。でも、泣けない。いつだったか勤務中に見たことのある、泣いても哀しくなるだけだから泣くのを我慢しているような目。彼もそんな目をしていた。


「何が…あったの?」

 そっと問い掛けた玻瑠に、彼は驚いたように一瞬目を丸くし、それから困ったように小さく笑った。その笑みは軽く触れただけで、音も立てずに割れてしまう薄氷のようだった。

「何も」

 静かにそう言った。

 そんなはずはない。だって彼はそんな人じゃなかった。

 私は覚えてるよ。

 彼の笑みが、蒲公英たんぽぽのように暖かかった時の事を、まだ私は覚えてる。


「…嘘つき」

 俯いて静かに玻瑠は呟いた。下ろしたロングヘアーが手に触れる。

「ねえ、そろそろ教えてよ。何が奪われたの?何で『神様を探してる』なんて…?」

 声が微かに震えている。

 固くなっていた紺の気配がフッと緩んで、そっと玻瑠の頭に優しく手が乗った。

「…ごめん。心配かけてたね。……うん、そろそろ潮時かもしれない」

 能登と同じようなその言葉に顔を上げると、紺が何処か悲しい笑みを小さく浮かべているのが見えた。


 一つ深く深呼吸をして、紺は二人の空白の時間を静かに語りはじめた。


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