高校三年生の春に(2)
「…お昼、食べよっか?」
黙ったままの紺に、微笑みかけながら手に提げた包みを前に突き出した。
「また弁当作って来たのか」
「二人で食べた方が美味しいからね。それに、どうせまた昼食持って来てないんでしょ?」
「要らない」
「いいから。ほら」
無理矢理座らせて、目の前に弁当を広げる。パタパタとなびく弁当包みの端を紺は目を細めて見ていた。唇が小さく動く。
「聞こえてるよ」
紺は口を少しだけ尖らせて、差し出されたコップを渋々といったように受け取った。
「しつこくて結構。というか、しつこさで言うならお互い様でしょ?」
「どこが」
「会いに行く度に『オレに構うな』って」
「それは…」
「『不幸にしてしまうから』?それも何度も聞いた」
自分の分の弁当を広げながら玻瑠が言うと、紺は言葉を詰まらせた。
これも、彼の記憶の片鱗。
何故か周囲に人を置きたがらない。玻瑠に対しては尚更そうだ。そして付き纏っている内に気付いたのだが、何故か彼はいつも車道側を歩こうとする。ただの優しさなのか何なのか、玻瑠にはそれも片鱗にしか見えなかった。
「紺、この際だから言っとくよ。私はね、紺ごときのせいで不幸になる気なんか更々無い」
そもそも、
「幸福だ、不幸だっていうのはその人自身が決めることであって、紺ごときに測れるもんじゃないよ」
紺は唖然とした後、不満そうに、
「紺ごとき、紺ごときって…」
と呟いた。
「だってそうじゃない」
悪戯っぽく笑って玻瑠は言う。
「だから…」
そこで言葉を切った。
「ハル?」
「…私が付き纏うのも私の勝手」
一人で居ようとなんて、思わないで…
とは、言えなかった。
「食べてよ。少しだけでもいいから」
祈るような心持ちで紺の表情を伺う。
困ったような、不思議そうな顔。
そんな表情にどこか落胆している自分がいる。
「どうしてそこまでするんだ?」
単純で純粋で、
残酷な問い掛け。
玻瑠は笑った。傷ついた顔にならないように。紺にそのことを気づかれないように。
「ん?放っていたら紺は体調を壊しそうだから」
努めて明るく言った。弾んだ声で。
「そう…」
一言そう言って紺は弁当に箸を付けた。
そんな彼から顔を逸らすように、柵越しに校庭を見下ろす。
校庭の隅を散りかけの桜が淡い色に染めている。大きく広げた枝から薄紅の花びらがひらひら、ひらひらと風もなく、憑かれたように散る光景が遠くからでも見えた。
体調を壊しそうだなんて、ほんの理由の一部だ。オブラートに包んだ一般的な理由。模範解答。
でなければどう言えばいい?
消えてしまいそうで怖い、
だなんて…。
それこそ「頭がおかしい」と言われても変じゃない。
「ねぇ、知ってる?」
校庭の隅に目を向けたまま玻瑠は呟いた。
「何を」
「桜って、夢見草とも言うってこと」
「あぁ、知ってる」
「披露し甲斐がないなぁ」
苦笑しながら紺の方を見ると、彼は澄ました顔で弁当をゆっくりと食べている。
「でもなんで…夢見草、なんて言うんだろう…」
そっと呟いた声が春の気配に消えていく。
「…夢」
「夢?」
「そう。桜の方は『蕾七日、咲いて七日、散って七日、花二十日』て言うくらいだからはかないものの例えなのは理解出来るだろう?」
「うん。あれでしょ?古事記で出て来る木花開耶姫」
「どういう思考で古事記が出て来るんだ?」
「だって、木花開耶姫でしょう?桜っていう名前の元になったっていう」
「そうだけど」
「木花開姫は美しい代わりに短命だったんだよ。姉の磐長姫と正反対に。知らなかったの?」
呆然としている紺に悪戯っぽく聞く。
「いや…。随分と話をややこしくするな、と思って。そこら辺の話も詳しくした方がいいか?」
サラリと言う紺に「いいです」と遠慮する。
「まあ、そういうことで、」
と何がどうそういうことなのかは分からないけれど、彼はそう続けた。
「夢もまた、はかないものの象徴だったから」
「はかなさで共通する夢と桜、ね…。なるほど。だからか…」
桜を見ていると、夢を見ている心地になる。だから、あの日々も夢のように思えてきて…。
「やっぱり紺の知識には敵わないな…。あれから勉強してたの?」
黙々と箸を動かしていた紺の動きが止まった。
あ、
「まぁ、適当に」
逃げた…。
「そう」
逃げた彼は追わない。追ったところで何の意味もない。彼の過去を知ると同時に彼の側にいられなくなるだけだ。
「…ところで。どう?弁当は」
取り敢えず当たり障りのない会話に変える。
「これは美味しい」
そう言って紺が指したおかずにしてやったり顔になる。
「でしょう?それ、特に気合い込めて作ったから」
そして心のどこかでホゥッと息をつく。
そんな毎日が入学式で再会してからのこの二年間、続いている。
きっとこれからも続いていくのだろう。一年後、高校を卒業して再び離れ離れになるまで。
そんな予感が、ひらひらと舞う桜の花弁のように目の前を掠めた。