意思
そうして、桜の季節が二度廻った。
紺と遠山は中学三年生になって、由葵は先月卒業した。高校も無事合格したらしく、隣町の高校だとわざわざ教えてくれた。そこでも写真部に入るらしい。
紺達の写真部はと言えば、相変わらず部員数二名で実質写真を撮るのは一名という状況だ。遠山は今日も新入部員確保の為走り回っている。
明かり取りの窓から差し込む春の陽射しにちらちらと舞う埃と、時折床に映り込む桜の花びらの影。
「紺くんは行かなくていいの?」
聞き覚えのある声にはっとして振り向くと、
「新入部員確保」
にこりと悪戯っぽく笑う彼女がいた。
「先輩…。何でここにいるんですか」
「何でって…いちゃ悪い?」
由葵はタタッと戯けるように軽くステップを踏んだ。胸元で真新しい制服のリボンが揺れる。
「今日高校は早く終わったし、私ここの卒業生ですから。中学校も今放課後でしょ?」
「そうですけど…。ご用件は?」
ぶっきらぼうに対応する紺に「相変わらず冷たいなぁ」と由葵は笑った。
「用件って程のものはないよ。ただ我が後輩達はどうしてるかな、って見に来ただけ」
「どうしてるかなって…。暇なんですね。それとも高校で友達出来なかったんですか?」
「相変わらず失礼なっ」
先輩こそ相変わらずだ。それもそうか。卒業と入学を挟んだくらいで人間はそう変わらない。
クスリと笑う。
いつの間にか居心地の良くなった静かな階段教室に、同じくいつの間にか下の名前で呼んでくるようになった由葵の声が広がる。その声を周囲の木がわずかに吸収して、木琴が奏でられているような心地になった。時間感覚がふわりと消えかける。
「ねぇ、紺くん」
ふと呼び掛けられた声に由葵を見ると、椅子に腰掛けた彼女は、
「もう、紺くんは写真部にいなくてもいいのよ?」
迷っているような、そのくせはっきりと言葉を紡いだ。その声に紺は首を傾げる。
「何故?」
「だって、私に植物を教えるっていう名目だったでしょ?だから…」
「ここの学校は二名以上で部として認められますから、オレが退部すると部員数一名で廃部になりかねませんけど…」
ウッと言葉を詰まらせた由葵に紺はクスクス笑った。
「いますよ」
由葵がまた訳の分からない事を口走る前に一言だけ静かに言った。
不思議そうな顔をしている由葵を無視して、本棚に向かう。白い表紙のアルバムを手に取ってパラパラとめくると、由葵がアッと小さく声を上げた。
「撮りはしませんけど…写真、好きですから」
伝統なのか、それとも置く場所に困って置いて行っただけなのか、この階段教室の本棚には過去の先輩達の撮ったアルバムが入っている。一人一冊なのははっきりしているが、肝心の名前が書かれていないものだから、誰がどの写真を撮ったのかは分からない。ただ静かに、在りし日の一瞬がそこに保管してある。その中で紺が撮影者を知っているのはこの一冊だけだ。
「真山先輩が何を思ってそう言ってるのかは知りませんけど」
コトリとそのアルバムを本棚に戻して、由葵を見る。何か考えているようなその表情に小首を傾げるとハッとしたように、
「ううん。何でもない」
と言ってにこりと笑った。
「何でもないことはないでしょう?」
「いや、ほんと何でもないって。…問題ないなら」
「問題?」
「あ…。あぁ〜っと…」
慌てる由葵を何も言わずに静かに待つ。なんとかごまかそうとしているけれど、ここまで来たら由葵にごまかすことは無理だ。
「…今までちょ〜っと強引だったかなぁって…」
「は?」
「ここ数年を振り返ってみたら、私、すごい紺くんを振り回してたなぁって…。ごめんなさいっ!」
いつかと同じように頭を下げる由葵に紺は笑った。
面白い人…。
「今更です」
側に置いていた鞄を引き寄せて帰り支度を始める。
「今更謝られても困るだけですし…。先輩には感謝してます」
なんの気負いもなく最後の言葉はスッと出た。
最初は確かに嫌々だった。思い出しても寂しくなるだけの記憶を強引に引き出そうとされて嫌ではなかった訳がない。だけど、そうして連れ回されているうちに…あまり寂しくなくなった。あの日々がただただ優しい記憶へと変換された。
「遠山は一時間もすると戻ってくると思います」
まとめ終わった鞄を肩にかける。
「じゃ、オレはこれで」
「えっ?もう帰るの?」
「はい。何か?」
彼女はやや考えるそぶりを見せた後、
「じゃあ、私も」
とニコリと笑って鞄を手に取った。