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狼の夢見草  作者: 遠野 紗
彼の記憶
13/16

蒲公英

 撮影に出かけた三月末の土曜日。深呼吸をしたくなるくらいに爽やかな天気で、淡い青をした空に綿菓子のような雲が浮かんでいる。


 入部してから一年足らず。こんの無愛想な態度は大分軟化したもののまだまだだ。春休みが明けると中学三年になる由葵ゆきが、慣れてきた様子で撮影している。暇を持て余す紺はその間に先に行く。

「ひどっ!相変わらず待っててくれないんだ?」

「何で待たなきゃいけないんですか。先にオレが行って見つけた方が効率的ですよね?」

「そうかもしれないけど…」

「タチツボスミレ」

「あぁ、もう!待っててよ!」

 カメラを持ってタチツボスミレを撮りに行く由葵を横目に紺は歩き出した。


 確か…こんな日だった気がする…


「そういえば、ちょっと早いけど…。次期部長、雅臣まさおみくんにしようと思ってるんだけどいいよね!」

 少し離れた所で写真を撮りながら、由葵が叫んでいる。

 待っててとか言っといて先輩自身が離れてる人に対しての話し方してるじゃないか、とフッと笑う。

「でも、うち部員が私入れずに大神おおがみくんと雅臣くんの二人だけだから、必然的に大神くんが副部長になっちゃうんだけどそれもいいよね?!」

「拒否しても先輩はそう届出を出すんでしょう?」

 少し大きめな声で返答すると、「さすが、分かってる」と悪戯っぽい声の返答が返って来た。やれやれ、と一つ溜息をつく。


 田圃たんぼと田圃に挟まれた道の上を春風が通り過ぎて行った。

 ふと道端に揺れる黄色を見かけて、紺はゆっくりとしゃがみ込んだ。その黄色にそっと触れる。


「何してるの?大神くん」

 タチツボスミレを撮り終わった由葵が側に来ていた。中腰になった由葵の首から、この一年間見ていて使い方を覚えてしまったカメラが下がっている。ふいと視線をその花に戻す。


 そうだ…こんな日だった…。


 何かを追い立てるように、近くの木立が風でサワサワと鳴っている。


 記憶をなぞるように、言の葉は紡がれる。


「確認」

 紺は答える。



     「蒲公英たんぽぽの観察」

      あの頃の自分はこたえた。



「あぁ、タンポポ…。去年撮れなかった道草だ。確認って?」

 由葵が小首を傾げて問い掛ける。



     「観察?」

      あの子がこくびをかしげてといかけた。



「こうして花の裏にある鱗片状の葉を見ると在来種の関東蒲公英か外来種の西洋蒲公英かが分かるんです」

 花を裏返しながら紺は説明する。



     「ほら、こうやって花の裏を見るとね、日本の蒲公英か外国から来た蒲公英かが分かるんだ」

      はなをうらがえしながらあの頃の自分はせつめいした。



「これはどっち?」

 覗き込む由葵。



     「これは?」

      のぞきこむあの子。



「これは、葉が反り返ってないから…」

 紺は珍しく説明の途中でいきなり言葉を切った。

「…大神くん?」

 そんな紺を、不思議そうに由葵が覗き込んだ。

「…いえ…」

 道端に咲く春の草花に透明な雫がパタリと落ちて、花弁の上を滑っていった。黒髪に隠れてしゃがんでいる紺の表情は由葵からは見えない。

「…どうしたの…」

 由葵は紺の斜め後ろにしゃがみ込んで、小さく震えている紺の肩に手を当てた。その手の温もりにフッと気配が微かに緩む。

「…前、同じような会話をしたんです…隣に住んでた幼なじみと。今日みたいに暖かくて青空が広がってた」

 ぽつりぽつりと紺はその過去を語りはじめた。その間も静かに蒲公英が濡れる。

「でも…いつの間にか春雨が降り出して…いっぱいあったシャボン玉が一気に弾けて…いつの間にかオレの周りにあったものが一気に消えてたんです」


 どんな気持ちでその後を過ごしていたかは覚えていない。写真部に入って植物とまた関わるようになるまで。思い出を拒絶しながらもその思い出の中でしか生きられない幽霊、言うなればきっとそんな存在だった。


「…。この花は?その時と一緒?寂しい記憶?紺くん」

 静かな声で後ろから尋ねられた。困惑した風でも気遣う風でもない。淡々と、かといって事実確認のように冷たくもない。寒い夜にそっと毛布をかけてもらったような。

「同じ、関東蒲公英」



     「日本の」



「…寂しくはない」


 見ていなかっただけなんだろうか…。

 あの日から今日までの時間、周りの暖かいものを。


「よかったぁ…」

「ぇ?」

「あ、あぁいや、ゴメン」

 由葵は慌てて手を振った。

「私ね、思ってたんだ。紺くんのことだから、ひょっとして泣いてないんじゃないかなって」

 カメラを構えてパシャリと関東蒲公英を一枚撮った。

「私が泣かしても意味ないから、何かふとした瞬間に自分で泣けたらいいねって思ってた」


 泣く…?


 サッと目元を拭った紺に由葵は笑みを向けると立ち上がった。


「泣くことは消化することだから」


 春風が吹く。なびく髪を耳元で押さえた彼女は何処か遠い目をしていた。


庭石菖にわぜきしょう


 薄く開いた由葵の口から道草の名が一つ零れた。


「英名はblue-eyed grass、青い目をした草。どんな草だって感じだよね。そんな庭石菖は北アメリカ原産で明治中期に渡来し、最初は植物園で栽培されてたけど、次第に広く観賞用として栽培されるようになり、現在の野生状態に至る。花は朝に咲いて一日で終わる」

 すらすらと解説を口にする由葵を紺は呆気にとられて見ていた。

「あってる?」

「…あってる」

「驚いた?」

「…驚いた」

 へへっ、と悪戯っぽく由葵が笑う。

「この花だけは詳しいの。紺くんに負けず劣らずね。母さんが…好きだった花だから」

「『だった』?」

「うん。病弱な人で私が五歳くらいの時に逝っちゃった」

「…すみません」

「ううん。私はどこかの誰かさんと違って、随分昔に消化したから」

 はっきりした声でそう言った後「たまに会いたくなるときはあるけど」と困ったような顔をして付け足した。

「だから、紺くんの気持ちが分かったんだよ」


 「さぁ、撮影をのんびり続けましょうか」。そう言って歩き出した由葵に慌てて付いていく。


「花は毎年咲くから」


 庭石菖に想いを宿す彼女が楽しそうに笑って振り向いた。


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