君に舞う僕の花
「ちょっと、どこいくのよ‼」
後ろから春風が、抗議するような声で俺を呼ぶ。しかし俺は、それを無視して戸惑う手を掴んだまま黙って歩き続けた。まだ暖かいとは言えない風が、急がす様に背中を押しては追い越していく。春はよく風が吹くな、と音に耳を傾けていると、いつの間にか春風が黙って手を掴んでいることに気づいた。どちらともなく指を絡ませると、二人は自然と肩を並べた。
俺は『 桜 』という名前が大嫌いだった。小さい頃は、当たり前のように女だ女だとからかわれた。今はそんなこともないのだが、女じゃなかったんだ、とクラス変えのたびに変な視線を受けることはある。友達には誰ひとりとして名前で呼ばせたことはなく、前に付き合ってたやつにも名前で呼ばれるのには抵抗していた。
「そろそろ教えてよ。 …桜、どこいくのよ?」
でも、こいつは例外だった。春風とは高一のときに、隣の席になってからよく話すようになった。初めて見たときから少し気になっていて、それが片想いに変わるのなんてあっという間だった。夏休みが始まる前に俺から告白して、付き合うようになった。二人で初めて出かけたときに、自分の名前が嫌いだから下の名前で呼ばないで欲しいというと、
「嫌よ。綺麗な名前なのにもったいないじゃない。それに、他の人は呼んでないんでしょ? なら特別って感じでいいじゃない」
そう言って、無邪気に笑った。春風は意外と、強引で気が強いということを、このとき初めて知った気がする。まっすぐ前だけを向いてるようなやつで、いつもすましたような顔をしてるぶん、笑顔をみたときには何倍も可愛く思えた。
そんな春風がこの間、似合わない声でこういったのだ。
「春風って嫌よね。…せっかく綺麗に咲いた桜を全部持っていってしまうもの」
俺はそのとき、そうかぁ? なんて軽い返事をすることしかできず、少し赤くなっている目から背いてばいばいを言った。初めて見た春風の弱さに、不覚にも、少し喜び、少し戸惑い、少し疼いた。あれから毎日、何て言ってやれば良かったのかを考えた。考えて考えて考えた。それでも未だに、何て言えば良かったのかはわからない。強いと思ってた春風が弱さを見せたのは、俺だったからか。それとも、たまたまだったのか。それさえもわからなかった。でも、俺は春風の名前が好きだ。そして、春風のおかげで自分の名前も好きになった。
だから俺みたいにーー
「春風、みて」
ーー嫌いになんてなって欲しくなかった。
立ち止まった先には、桜の木がずらりと並び、満開の花を風に揺らしていた。風に乗った花びらは、雨のように辺りに降っては落ちて、見慣れた景色を彩った。それはまるで夢のようで、俺は思わず繋いだ手を強く握りしめた。
「前に、お前が春風が嫌だって言ったときのこと…覚えてるか?」
返事の代わりに、こくりと首を動かす春風。その顔には、なんの表情も見出せない。
「そんときに、俺さ…何も答えることができなくって。春風には助けられたっつうのに、今だって何を言っていいのかわかんなくって……」
一旦言葉を切って、まっすぐに春風を見据える。すると、春風もまっすぐに俺を見上げた。
「でも、見てくれ。俺は、一瞬で散ったとしてもこの景色が好きだ。それから……お前も、春風も好きだ。なんつうか、その……いいだろ。俺らの名前が目に見えて繋がってるみたいでさ」
馬鹿…。
小さく春風が口に漏らした。と同時に、俺の胸の中へと飛び込んできた。それは、本物の春風のように温かい。またあの笑顔で笑う春風の頭を撫でながら、俺たちは来年も見に来ようと約束した。
ーーー桜が舞う、春風の中で。
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