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魔剣恋歌  作者: かわせみ
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黒鴉城にて

 ヴェインの城、と言うよりもヴェインの代で剥奪されてしまったクロウ家の城は、黒鴉城と呼ばれる。黒鴉城は、エポルエの北部に位置するラキア地方……元はクロウ家の領地であったが、家名の剥奪以降、王家の直轄地となっている……にひっそりと建っている。


 エポルエの中心部からそれほど離れているわけではないが、この地方は中心部よりもかなり寒い。面した海を流れる寒流のせいである。


 城はさほど大きくはないが、城壁の大部分に、この地方特産の黒い大理石を用いており、その美しさは有名である。


 ヴェインはここ数年、この黒鴉城に独りで住んでいた。さほど大きくないとは言え、城は城である。独りで住むには広すぎる。無論、掃除などしないから、城は荒れ放題に荒れていた。内部は、至る所に蜘蛛が巣を張り巡らし、外壁に苔がはびこったその城は、城主の人となりを伺わせた。

 

 その黒鴉城に、今、珍しく客人がいる。勿論、リリスである。


 リリスは城に着いて程なく目を覚ました。自分が横たわっていることに気付き、半身を起こす。辺りを見回してみる。何もかもが不可解で、状況が把握できない。


 まず、自分の寝ているベッドだ。軽いリリスの身体が沈み込むほどふかふかだ。ふかふか過ぎて気持ちが悪いくらいである。ここ数年というもの、布が掛かっていることを除けば机とさして変わらないような寝台で寝ていたのであるから仕方もない。しかも、このベッドには天蓋がついている。丸い天蓋には何かの物語の一場面であろうか、男女の姿が描かれている。名画には違いないのだろうが、生々しい肌の肉感がリリスには気持ち悪く感じられる。


 着ているものもおかしい。気を失うまで着ていた麻服は脱がされ、今は肌が透けて見えるほど薄い絹服である。着ているのか、着ていないのか、わからないくらいサラサラの肌触りだ。もっとも、リリスにはそれが絹でできているということは解らなかったが。


「気分はいかがですか、お姫様」


 きょとんとした様子で声の方を見やる。多少芝居がかった声でそう言ってきたのはヴェインであった。


 リリスはヴェインに会ったことがある。アレスの城で冷凍保存されていたリリスを蘇生させたのはヴェインであったし、彼女を王都へと連れていったのも彼であったから。


 そして、彼女は彼を覚えていた。彼女の血塗られた人生は彼との出会いから始まったと言っても過言ではないが、不思議と彼に対する恨みは湧いてこなかった。


「久しぶりだね」


 ヴェインは近づいて、ベッドに腰掛け、リリスを抱き寄せた。リリスの髪を指に絡めながら優しく言う。


「お腹は空いてないかい?」


 応えたのはリリス本人ではなく、彼女のお腹であった。ぐーきゅるーと、元気良く返事する。


「あはは。直ぐに食事を用意するよ」


 髪にキスを残して、ヴェインは部屋から出ていった。リリスは何となく枕を抱きしめながらそれを見送った。


 半刻ほどの後、今度は料理と共に、ヴェインは再びリリスのいる寝室に現れた。ベッドの前にテーブルを移動して、料理を並べる。


 出された食事は、貴族の食事としては決して豪勢な物ではなかった。パンにスープ、そして焼かれた鶏肉と申し訳程度にあしらわれた野菜が皿に盛られている。肉は焼いて塩と香辛料を振っただけの簡素な料理だ。それもその筈、ヴェイン自身の手料理であったから。食材も、付近の村で急ぎ手に入れてきたものだ。


 付近と言っても、相当な距離である。クロウ家の領地は閉鎖されているため、領地外の村までいかなければならないからだ。


 ヴェインは、移動には空間転移の魔術を用いるからさほどの時間はかからない。だが、空間転移が、下手をすれば壁の中などに転移してしまい全滅(1人で全滅もないが)してしまう恐れのある、危険な魔術とされていることからすれば、極めてスリリング且つリスキーな買い物であると言えた。彼を少し知る者であれば、そんなところに彼らしさが見えると言うかも知れない。


 ヴェインは自分一人のために料理するほどまめではなかったため、料理をするのも久しぶりである。普段一人で研究(魔術を中心とするが、無論人に言えないような内容も含まれる)しているときは、それに没頭して、寝食を忘れがちであるし、食事をするときにも、付近の街の料理屋まで出掛けているのだ。


 そんな彼が作った食事である。焼いた鶏肉は、焼き目にムラがあったり、塩や香辛料が多いところと、ほとんど効いていないところがあったりするし、スープは最初に作ったため、肉を焼いている間に冷めてしまっていたのだが……リリスにはそれがとても美味しく感じられた。


 二人は黙々と食事を採った。リリスは兎も角、ヴェインも特に言葉を発しない。静かな、しかし和やかな食事が終わって、ヴェインは優しく言った。


「もう少し眠るといい。目の下に隈が定着して、折角の美人が台無しだ。添い寝して挙げようか?」


 リリスは、「はい」とも「いいえ」とも言わなかったが、ヴェインはそれを(ある人は「都合良く」という言葉を補うかも知れないが)肯定と解して、ベッドの中に潜り込んだ。二人して横になっても、ベッドには充分な広さがある。


「目が覚めたら、これからのことを話そう。お休み」


 リリスはヴェインの腕を枕に、記憶の上では生れて初めて、安らかな眠りを貪った。


***


 どれくらいの時間眠ったのだろうか。厚いカーテンが窓を覆っているため部屋の中は薄暗く、今が何時頃なのかリリスには解らなかったが、目覚めは爽快だった。身体全体が活動を欲するくらいに気力、体力とも充実している。


 ただ一つ残念だったのは、腕枕をしてくれていたはずのヴェインの姿が見えなかったことだ。何処に行ったのだろうか。


 リリスはじっとしていられなくなって、ベッドから抜け出した。身体に異常がないことを確かめるように柔軟体操を行う。猫の異名は伊達ではなく、リリスの身体は極めて柔らかい。各部位を一つ一つ丁寧に伸ばしていく。ふかふかの絨毯の上であるから、身体を伸ばすのも楽しかった。


 何時でも全力で動ける体勢を整えて……別に殊更警戒していたわけではなく、単なる習慣である……リリスは部屋から出た。左右に通路が延びている。


 窓からは明るい日差しが漏れ、陽がずいぶんと高くなっていることが知れた。


 ヴェインは何処にいるのだろう。リリスのいた部屋はどうやら城の2階にあったようだ。食事の準備をしてくれているのかもしれない。そう思って、リリスは炊事場を探した。


 食べ物の臭いを頼りに、1階にある炊事場へと辿り着いたが、そこに人の気配はない。食事も用意されていなかったから、仕方なく、他をあたることにした。


 小さいとはいえ、城である。かなり沢山の部屋がある。リリスは一旦自分のいた部屋に戻り、そこから一つずつ部屋を探してみた。


 部屋の多くは長く使われていないようであった。埃の臭いでそうとわかる。幾つ目であろうか、リリスは他の部屋とは異なる部屋を見付けた。2階の一番端の部屋だ。そこはどうやら書斎らしかった。


 本来はそれなりの広さがあるのであろうが、整理されているとはお世辞にも言えない膨大な蔵書と、わけのわからない器具やら物質やらが散らかっている机のせいで、かなり狭く感じられる。蔵書の多くは魔術書なのであろう。リリスは文盲ではなかったが、ざっと見回した限りでは意味の分かる表題のついた本はなかった。


 暫く物珍しげに部屋を物色していると、異変が起こった。空間に歪みの様なものを感じたかと思うと……実際にはそこには魔法陣が描かれていたのだが、リリスには知覚できなかった……突然ヴェインの姿が現れた。


「やあ、リリス。こんな所にいたのかい。危ない、危ない。転移先の座標に人が居た場合、転移された側は内部から破裂してしまうから、気を付けてね。まぁ、転移する側も、人体を突き破る際に突き刺さる骨と、高い圧力のせいで死ぬ確率が高いんだけど」


 勝手に転移してくるものにどうやって気を付けろというのか、とも思ったが口には出さず、リリスは頷いた。


「よろしい。どうせお腹が空いているだろう。一緒に街までご飯を食べにいこう。そこでこれからのことを話せばいい。着替えてきなさい。服は君の寝ていた部屋のタンスに入っているから、好きなものを着ると良い」


 微笑みながら言うヴェインに、気のせいか、リリスは仄かな血の匂いを感じた。


***


 例の如く、ヴェインの空間転移によって訪れた街は、小さいながらも活気のある街だった。付近の村からも買い物客が来るらしく、どの店の前にも少なからず人がいる。


 ヴェインとリリスが入ったのは、こぢんまりとした料理屋だった。小さくとも味のよい店なのだろう、昼時をずいぶんと過ぎていたが、店の中は食事をする客で賑わっている。


 適当に何皿か注文して、ヴェインは話をはじめた。


「さて、と、何処から話したものかな。冷凍睡眠させられるまでのことは覚えているね。君の母君、マリスは、君に遺言を残したはずだ。そう、《家紋》を取り戻すように、と」


 何故それを知っているのか……リリスは驚いたが、黙って頷いた。


「君がその遺言を遂行するつもりなら、当面の君の目的はリデル家が取り壊された際、当時の四候によって4つに分けられた《家紋》を彼らの手から奪い返すことになる。勿論、そんな死人の戯言に縛られる気がないというのなら、君は自由だ。まだ若いのだしやりたいことをやればよい。まぁ、君は止められてもやる、そんな顔をしているけどね」


 リリスは頷いた。今の自分に選択の余地など無い。


『あの《家紋》は私たち一族の生きた証。必ず取り戻して欲しいの』


 それは、唯一と言っていいほどの鮮明な母の記憶。自分に力のないことを嘆き、泣いて謝りながらも、幾度となくマリスは幼いリリスに繰り返した。


 その後、リリスは眠らされ、目覚めたときには母の姿はなかった。リリスを目覚めさせたヴェインも、リリスをあの無機質な闘技場に連れていっただけだ。


 だれも自分を必要としてくれない、そんな孤独の中でリリスにとっては母の遺言だけが自分の存在意義だったのだ。


 ヴェインの話は続く。


「《家紋》を守護しているのは、旧四候の現当主だ。王家であるトゥルル家の国王リファイス、アゼル家の『剣聖』ソロム……先刻君を圧倒したあの男だ。そして、メリクル家の『聖女』サアラ。残念ながらクロウ家は取り壊されている。でも君ならその、最後の《家紋》を持つ者も見付けることができるだろう。だから、まずは三つの欠片を手に入れることから始めるといい。ただ、そのためには君はもっと強大な力を身に付けなければならない。今の君では、リファイスやサアラは兎も角、ソロムに勝つことはできないからね。暫くは僕の所で修行を積むといい。残念ながら剣術や体術では、僕はソロムは愚か君の足下にも及ばないが、僕には知恵がある。多少は力になれると思うよ」


 リリスには頷くことしかできなかった。


***


 黒鴉城に戻ると、ヴェインはリリスの具体的な修行の方法を検討した。


「魔法の盛んなエポルエにあって、魔法を使えないあの男、ソロムが最強の戦士たりうる理由、それは奴が敵に魔法を唱える時間を与えないからだ。どんなに優れた術者でも、魔法陣を描いてから発動までの間にはどうしても時間差が生じる。そして、ソロムはそれを見逃さない。恵まれた体躯と、たゆまぬ努力によって身に付けた剣技、冷徹な判断力、その三つが鼎となって奴の強さを支えている」


 リリスが、ごくり、と唾を飲む。


「だから、奴に勝つには魔法を覚えるよりも寧ろ、体術の向上に努めた方がよい。それも、まっとうな物ではなく、ペテンとかインチキに属するような技術だ」


 そう言って、ヴェインが用意したのは鋼線や含み針といった各種の隠し武器の類である。


「これらを君の野性、というか天性の勘で使いこなすことができれば、ソロムにだって勝てるはずさ」


 ヴェインは気軽に請け合ったが、あのとき対峙したソロムの、あの圧倒的な力感、絶対的な強さを思い出すに、リリスには自分に与えられた武器の数々がいかにも頼りなさげに見えた。


 が、ともあれ、リリスの修行の日々は始まったのだ。

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