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魔剣恋歌  作者: かわせみ
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王女シンシア

 リファイスの子供達の中で紅一点のシンシアは、しかし、兄弟中最も武術の才に恵まれていた。今では近衛隊長を務めており、その強さはリファイスの治世に三軍の指揮を預かる「剣聖」ソロムに次ぐとも言われる。


 腰まで伸ばした黒絹の髪、愛らしく、生気に満ちた大きな瞳、白皙の肌、しなやかで引き締まっているが、柔らかさを失ってはいない肢体……可憐なドレスを身に纏えば微笑み一つで城が傾くほどの美少女ぶりであったが、本人にはまだ今一自覚がないようだ。


 16歳という女盛り(エポルエでは女性の結婚適齢期は16歳とされる)であるにも関わらず、見合い話や花嫁修業よりも剣と魔法に興味を持ち、自分のことを「ボク」と言い、常に鎧を身に付けて落ち着きなく動き回るシンシアは、城の内外を問わず高い人気を誇ったが、国王にとっては頭痛の種であった。


 しかし、そんな頭痛の種であっても、こんな非常時には心強い。シンシアであれば「殺戮の猫」が相手でも遅れはとるまい。ソロムには城の警備を委ねる。それで当面は問題ないように思われた。


「シンシア、入ります」


 謁見の間に現れたシンシアはやはりいつもの鎧姿である。鎧姿、とは言っても、魔法を絡めて戦うエポルエの兵士達は基本的に皆軽装である。シンシアにしても、黒を基調にした飾り気のない平服の上から、瀟洒な作りの胸当てと額当てを付け、軍靴をはいている程度のものである。


 颯爽としたその姿に、やはり頭痛を覚えながらも、リファイスは事態を手短に説明し、厳かに命じた。


「逃亡したリリスを連れ戻して参れ。ただし、殺すなよ」


「解りました。任せて下さい、父上。ボクに斬れないものは、ありませんから!」


 辺りに侍る側近達から忍び笑いが漏れる。公の場なのであるから、「父上」ではなく「国王陛下」と呼ばなければならないし、一人称が「ボク」なのもおかしい。しかも、生け捕りを命じられたのに斬ってどうするのか……。


 しかし、そんなもっともな「突っ込み」を行った者はいなかった。


「……」


 リファイスは頭を抱えて、無言で手を振って、退出を命じた。


***


 シンシアは、二人の部下を連れて城下へと向かった。情報収集の基本通り、まず酒場に行くことにする。と言っても、首都だけあってエポルエには酒場が多く、宿屋を兼ねているものも多い。手当たり次第に何件かの酒場を巡ったが、結果は芳しくなかった。


 リリスの大体の容貌や現在の服装は聞いていたが、それらにしてもさして特徴的なわけではない。リリスを知る者は多かったが、シンシアも含めて、その顔を良く知っている者は殆どいない。闘技場で遠くから眺めたことがある位なのであるから、仕方のないことではあったが。

 

 それでも暫く聞き込みを続けるていると、手掛かりは先方から現れてくれた。五人の男が惨殺された、との情報が入ったのだ。場所はいかにも怪しげな路地裏である。


 考えてみれば、真っ先に思い当たるべき場所であった。こういう時、シンシアは自分が世間知らずであることを思い知らされる。しかし、今はそんなことで落ち込んでいる場合ではない。何かしらの手掛かりを求めて、そこへと向かった。

 

 男達の死体は既に片付けられていた。仕方なく、辺りの者に話を聞くと、少女はすぐそこの酒場に入っていったと言う。まさか未だに殺人現場の傍に留まっているなどとは、にわかに信じ難かったが、念のためそこに足を運ぶ。


 あろうことか、リリスは、そこにいた。のんきに食事など採っている。その姿に軽く目眩を覚えながらも(それは奇しくも、常日頃父王が娘に対して感じていたところと酷似していたのだが、無論シンシア本人に自覚はない)、シンシアは職務の遂行にかかった。


「剣奴リリス、だな? ご同行願おう」


 可愛らしい声をできるだけ低く抑えるのに苦労して、言う。返答は極めて素早かった。


 それは「はい」でも「いいえ」でもなく、スープ皿であった。しかも、まだ少しスープが残っている。皿よりも、むしろ飛び散るスープに恐怖を覚えて、悲鳴すら上げてシンシアが飛び退る。皿はシンシアの後ろにいた連れの兵士の顔に当たり、砕け散った。


 シンシアが体勢を立て直す頃にはリリスはもう視界から消えていた。テーブルに隠れるほど低い体勢で駆け、もう1人の兵士を突き飛ばしてドアから外に飛び出したのだ。

 シンシアは暫し唖然としていた。これは一筋縄ではいきそうにない。が、


「最っ低ぇ」


 と呟いたのはどうやら服についたスープのシミについてであったようだ。


***


 再び逃げ出すことになってしまったが、これは結果的には良かったのかも知れない。追っ手が睡眠中に来たのであれば、これほど容易に逃げ出せたとは限らないし、また、幸いにも(?)宿代も食事代もまだ支払っていなかったからだ。


 リリスはそんなことを考えながら暫く走り、誰も追ってきてはいないことを確認してから走るのをやめた。辺りは既に暗くなっている。夜目は利く方であったから星光や家々から漏れる僅かな光だけでも不自由はしない。物陰に隠れながら足音もたてずに、夜の街を歩いた。


 暫く歩くうちに、リリスは見回りの兵が多いことに気がついた。無論見つかるようなへまはしなかったが、それが自分を捕らえるためであることは明らかなようだ。


 エポルエ王国の首都(都市名もエポルエである)は城のみならず街もが高さ7,8メル(1メルは約1m)の城壁に囲まれた城塞都市である。昔から近隣諸国の侵略を受け続けているためだ。入り口となる門は一カ所だけで、その開閉には少なからぬ時間がかかる。


 エポルエに連れてこられた日に、リリスはそのことを聞いていた。自分をここに連れてきた人物は、今日のこの事態を予測してそんな説明をしたのだろうか。そう思えなくもない。が、今はそんなことよりも、どうやって、この街から脱出するかであった。門はおそらくは閉じられているだろう。これから先、夜明けが近づくにつれて脱出は難しくなるばかりだ。


 近くに見張りがいないことを確かめて、リリスは城壁を調べてみる。直方体の石を積み上げて作られた城壁だ。ずいぶんと昔に作られたのだろう。ところどころ風化して脆くなっている。これならいけるかも知れない。リリスは一人頷き、行動に移った。


 軽く助走をつけて、飛び上がり、できるだけ高い位置、石と石の隙間に持っていたナイフを突き立てる。上手く刺さってくれたようだ。


 今度はしっかりと助走を付けて、飛び上がると、2歩、3歩と壁を駆け上がる。垂直にそびえる壁を駆け登るには並はずれた身軽さと身体のバネ、そしてバランス感覚が必要だが、リリスはそれら全てを兼ね備えていた。


 走壁の限界に近い位置には先刻突き立てた短剣がある。それを踏み台にして更に飛び上がり、再び壁を蹴る。何とか城壁の縁に掴ることができた。


 後は、壁の反対側にぶら下がり、手を離す。落下の際の嫌な感覚が身体を包む。それでも、全身のバネを使って受身を取り、6メル前後の自由落下の衝撃を殺して着地することができた。


 辺りを見回す。街道がのびているのが解った。これを辿れば、他の街ないし村に着くことができるだろう。街からは出られないと踏んでいるのか、城壁の外に警備の数は多くなく、辺りに衛兵達の姿は見えない。


 安堵に、ふぅー、と溜息を漏らし、リリスは闇の中、街道を歩き始めた。


***


 リリスがどうやら既に街を出たらしいことは、翌朝には国王に知らされた。城壁に刺さった短剣が発見されたのだ。


 シンシアですらリリスを捕らえられなかったことに、国王はやや当惑していたが、リリスが王都を出たとなれば、殊更に彼女を怖れる必要もない。取りあえず、厳重な警戒を怠らないまでも、これまで城の警備に当たっていたソロムにリリスの捕縛を命じた。


 ソロムは現在三十二歳の男盛りで、均整のとれた長身を誇る、堂々たる偉丈夫である。銀髪で、眉目の通った精悍な顔つきをしているが、冷徹とも言うべきアイスブルーの瞳が見る者を威圧する。


 彼は、強兵を誇るエポルエの実戦指揮の最高責任者として、また、エポルエで最強の戦士として、幾度も近隣諸国の侵略を退けており、「氷将」と怖れられていた。


 リリスの一族を滅亡に追いやった旧四候の内の一人、つまりはリファイスの戦友と言うこともあって、その信頼は厚い。


「かしこまりました」


 低音の、冷たい美声。人をぞっとさせずにはいられない声で淡々と言う。これは、彼が任務に入ったことを意味する。彼は饒舌ではなかったが、普段はもう少し楽しそうに喋るのだ。心を凍らせる。そうでもしなければ、少女を斬ることなど、できそうもないソロムだった。


 半刻の後にはソロムは馬上の人となっていた。身に付けているのは、普通の兵士と同じ、革製の軽い鎧だ。戦場での彼は、彼が「氷将」であることを誇示するために、一際豪奢な鎧を纏うが、それは彼の本意ではなかった。彼も一般的なエポルエの兵士と同じく、防御力に優れた重い鎧よりも、動き易さを重視した簡素な鎧を好む。


 もっとも、その理由は多くの兵士のそれとは異なる。一般の兵士は、魔法を絡めた戦術をとるために、軽装を好むが、ソロムには魔法が使えない。彼が軽装を好むのは、鎧などなくとも、何者も彼を傷つけることなどできないからだ。

 

 そんな彼を追ってきた一騎がある。その軽快な蹄の音から、振り向かずともソロムにはそれが誰であるのかわかった。無論、エポルエの誇る「戦乙女」、シンシアである。


「ソロム卿、お待ち下さい。ぼ、じゃない、私もご一緒させていただけませんか」


 一国の王女とはいえ、軍という組織に組み込まれるのであるから、上官の命令は原則絶対であるし、上官に対しては敬語を使わねばならない……シンシアが軍人となる許しを得るときに父王から出された条件である。至極まっとうな条件であったから、シンシアはそれを忠実に守ってきた。「ボク」という言葉を飲み込むのに苦労しながらではあったが。


 もっとも今では既にシンシアは単独で一軍の指揮を任される身であり、直接の上官はソロムしかいない。15で仕官してから2年足らずで今の地位に上り詰めたのであるから異例の出世である。確かに王女であるという点が有利に働いたことは否定できないが、彼女の個人的な武勇はソロムに次ぐものであったし、また、彼女の指揮下にある兵士たちの士気が極めて高くなることからも、彼女の将才は明らかであり、誰の誹りも受けることはなかった。


「陛下は、私を外に出す以上、貴女には側にいてほしいと思っているのだろうが……決心は固いのだろうね。好きにするといい」


 ソロムの声は先ほどの国王に対するときと比べればかなり柔らかい。彼はシンシアに有無を言わさず「帰れ」と命令することもできたのだが、そうはしなかった。彼女は剣においてソロムの愛弟子であったし、何よりもエポルエの民のご多分に漏れず、彼も又、このお転婆な王女様を好ましく思っているのだ。


「ありがとうございます!」


 元気いっぱい、言う。遠足にでも行くかのようなその明るさに、ソロムは少女を力ずくで連れ戻すという任務の暗さが薄れる気がした。


「それと、一人称は『ボク』で良いよ」


 他に随行者がいないが故の配慮であったが、流石のシンシアもこれには赤面した。

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