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魔剣恋歌  作者: かわせみ
3/10

脱走

 闘技場から城へと戻る馬車の中、キークは自らの思いを父王にうち明けた。


「父上、お願いがあります」


「お前がそんなことを言うとは、珍しいな。言ってみろ」


「……リリスを、僕に下さいませんか?」


 キークは躊躇いがちに、しかし、はっきりと父王に頼んだ。明らかに虚を突かれたように、リファイスは口ごもる。


「リ、リリスだと? それは無理だし、やめた方がよい。同じ奴隷なら、もっと美しい奴隷にしなさい」


「リリスがいいのです」


 息子の見せる、初めての我が儘である。多少無理な願いでもリファイスは叶えてやろうと思っていたのだが……。


「あれは、呪われた娘なのだ。あれを自由にすれば、きっと恐ろしいことになる」


「……」


 賢王の異名を持ち、常に威厳の衣に身を纏った父王、その臆病さとは無縁のリファイスの顔には、恐怖の色さえ浮かんでいる。その意味がキークには分からなかったが、これ以上の説得が無理であることは明らかであった。


 その後は互いに言葉を発さぬまま時間が過ぎた。城に着いた後も、キークは黙したまま一礼して、自室へと戻って行った。


***


 テーブルの上に並べられた、食べきれぬほどの高級料理、他愛ない話に談笑する紳士淑女、優美な楽に乗って軽やかに踊る美しい貴婦人達……並外れて豪華という一点を除けば特にどうと言うこともない祝宴の一光景だ。


 その日、キークの成人を祝うために、国の内外から多くの貴族、名士達が集まっていた。その一人一人が間断なくリファイスとキークの前を訪れ、祝いの言葉を述べていく。その一つ一つに丁寧に応えながらも、キークの心はリリスのことで一杯だった。


 そんなキークの様子に、キークの兄である第一王子リューンは気付き、祝辞が一段落ついた頃合いを見計らって、声を掛けた。


「心ここにあらず、といった感じだな、キーク。どうした、愛しい恋人でもできたか?」


 涼やかな声だ。リファイスの長子、リューンはその明晰さで知られる。長身痩躯で、やや色あせた感じの金髪を肩まで伸ばしている。顔立ちは整っているが、大きくやや垂れ眼がちなところが、彼を優しくみせる。


 実際、彼は兄弟達にも、国民にも優しかった。が、既に国王の右腕として、内政に外交に、優れた手腕を振るう彼は、自分に敵対する者達に対しては、一転していくらでも冷酷になることが出来た。


「あ、兄上!」


 いきなり、心を見透かされたことに狼狽して、キークの頬が赤く染まる。


「なんだ、図星か」


「ち、違います!」


 慌てて否定してみたところで、それは肯定の証にしか見えない。


「まあ、そう照れるな。優しいお兄さまが相談に乗ってやろうじゃないか、ん?」


 キークの表情がめまぐるしく変化する。彼は、常の彼にはないことであったが、懸命に打算を張り巡らしていた。確かにリューンの助力を得られれば、父王を説得することも出来るかも知れない。


「では、兄上、後ほど私の部屋に来ていただけますか?」


 楽しい暇つぶしを見つけた兄には、何の否やもなかった。


***


「剣奴リリス、ねぇ」


 キークに事のあらましを聞いて、リューンは弟の趣味の特異さを意外に思った。彼も無論、人気の剣奴であるリリスのことは知っていた。が、肌は日に焼けて浅黒く、埃で薄汚れ、痩せぎすのため切れ長の大きな瞳だけが獣の如く冷たく輝いて見えるその少女は、彼にとって、およそ恋愛の対象になりそうもなかったのである。


「ま、人の好みはそれぞれだしな。俺としては、可愛い弟と女性の奪い合いをしなくてすみそうだから、よしとするがね」


 そう言うと、リューンはキークに、父王に黙ってリリスを連れ出してしまうことを提案した。思慮深く冷静な彼には、その提案はおよそ似つかわしくなかったが、普段から素直で従順な弟が父王に逆らうところを見てみたい、そんな気がしたのだ。


 それに、父王はキークに甘い。何のかのと言っても、結局はキークを許すであろうという打算もあった。


「呪われた娘、とはどういう意味だと思われますか?」


「十歳にもなるかならないかの頃から剣奴にされ、血塗れの人生を送ってきた娘が呪われていなければ、どんな娘が呪われていると言えるのだろうな」


 リューンもまた、リリスにまつわる「呪い」とやらを知らなかった。が、兄の答えに納得したキークは、兄の立てた計画を実行する事にした。


***


 黙ってリリスを連れ出す、とは言っても、時期だけは計る必要があった。各国から多くの賓客が王子の成人を祝いに訪れている最中、当の王子が奴隷と駆け落ちするなどという醜聞を晒すわけにはいかない。


 そこでキークは、リリスの事など一切口に出さず、普段通りに、いや、常にも増して、聡明で素直な王子を演じた。そんな彼を見て、各国からの賓客は皆、子宝に恵まれた国王を一様に褒め称えたものだった。


 国王リファイスも、王子の忌まわしい思いつきが、一時の熱狂に過ぎなかったらしいことに胸をなで下ろした。


 そして、半月に渡る成人の儀も無事に終わり、王都に漸く日常が戻った頃、キークは胸に秘めていた計画を実行に移した。


 計画、といっても別に大したものではない。白昼堂々、小細工も無しに闘技場の地下にある剣奴達の宿舎……というほど立派なものではなく、どちらかと言えば牢屋という名称の方が相応しいのかも知れないが……に赴き、リリスを連れ出すだけだ。


 幸いなことに、誰にでも優しく、人好きのする風貌の末の王子を、守衛の兵士達は見知っていた。


 リリスは本来ならば、諸侯の一つであったクロウ家に所有されるはずであったが、クロウ家が取り壊されてからは誰に所有されることもなく、言わば国有の剣奴として管理されていた。


 そのため、「国王の許しを得て」、リリスを連れ出すというキークの行動を見咎める者はいなかった。

 

 リリスの部屋の前まで来たキークは、高鳴る胸を押さえつつ深呼吸を一つして、礼儀正しく扉を叩いた。返事がない。見張りの兵士達の話によれば、リリスは午後の試合を終えて部屋で休んでいるはずである。


 更に何度か報われない努力を繰り返した後、キークは仕方なく扉に手をかけた。鍵がかかっている。当然だ。そして中から開けられるはずもない。普段この部屋を訪れる係の者も、誰もわざわざ扉を叩いたりはしないはずだ。中のリリスは、扉に何かがぶつかっている、位にしか感じないのだろう。相手は自分の知る、嗜みある女性ではないのだ。


 自分の行為に意味がなかったことに思い至り、キークは1人赤面した。気持ちを落ち着かせるように再び深呼吸をする。守衛の兵士に借りた鍵で開錠し、扉を開く。リリスは、そこにいた。


 無機質な壁に背を預け、堅そうな寝台に片膝を抱いた姿勢で腰掛けている彼女の顔に、感情の色はない。虚ろな瞳で見るともなくこちらを見ている。前に見たドレス姿とは異なり、リリスは布袋に穴を開けただけのようなものを身に纏っていた。


 水浴びをしたばかりなのだろう、黒髪が湿っている。勿論、香油など塗らせては貰えないから、部屋には彼女自身の体臭が感じられるが、不快ではない。


 大人達は勘違いだと笑うだろうが、その惨めな姿を目にして、キークの胸にはリリスに対する愛しさが込み上げてきた。彼はゆっくりとリリスに近づくと、そっとその頬に触れ、頬に、瞳に、キスの雨を降らせた。


 彼に害意がないのがわかるからか、それともこんな事には慣れっこになっているのか、リリスは、愛撫の一つ一つに反応すらせず、彼のなすがままになっていた。それとは対照的に、感極まったかのようなキークは、抱き締めた彼女の耳元で優しく呟いた。


「僕が君を自由にしてあげる」


 それまで、何の反応も示さなかった彼女が、その一言に、にわかに震えだした。そんな彼女を、キークは純粋に喜んでいるのだと理解した。その理解は必ずしも間違いではなかったが、彼女の喜びは、彼の想像するところとは源を異にしていた。


「……君が呪われた娘でも、僕が守るよ」


 リリスが何故喜んだのかに気付かないまま、単純にもっとリリスを喜ばせたくて、キークは素直に自分の気持ちを伝えた。これは本心であったが、リリスが「守る」という言葉に安堵するよりも、「呪われた娘」という言葉に傷ついたことにも、キークは気付かなかった。


 リリスを連れ出すのに、それほど余裕があるわけではない。父王に見つからぬよう、できるだけ速やかに王都から離れなければならない。


 キークは予め用意していた服をリリスに渡した。意図を理解し、リリスは、面前にキークがいることになどお構いなしに、躊躇いなく身につけていた布袋を脱ぎ捨てた。しなやかな肢体が露わになる。突然のことに驚きながらも、キークはリリスの裸体から目を離すことができなかった。


 女性の色香を感じさせるような、丸みを帯びた身体では、決してない。しかし、艶と張りのある肌と、猫を思わせるしなやかな身体は中性的な、妖精ニンフの美しさを湛えていた。ただ、左上腕部に施された朱色の刺青……その紋様が何を意味するのか、キークにはわからなかったが……と、右の太股にくくりつけられた短剣とがひどく淫靡で、少女には似つかわしくなかった。


 リリスが服を着終わるまでの間、凍りついたように彼はリリス見つめ続け、ようやく目を背けることができたのは、彼女が服を着終わった後だった。


 リリスが身につけたのは、キークの用意した、平民が普段着用する丈夫なだけが取り柄の簡素な服だ。思い切り豪奢に彼女を着飾ってみたい、そんな衝動にも駆られたのだが、目立つことの許されない今の状況では我慢するしかなかった。

 

 守衛の兵士達に挨拶を済ませ、キークはリリスを連れて外に出た。リリスにとっては、約4年ぶりの外界だ。


 キークはしばしリリスを待たせて物陰に隠れ、身につけていた上等の服を脱ぎ棄てた。下にはリリスと同じ様な服を重ね着している。これで、鍔の広い帽子を目深にかぶれば、一応変装は完了である。


 後は、リリスとの楽しい旅が待っている……はずであった。しかし、そうはならなかった。リリスが、逃げ出したのだ。


***


 逃げ出してどうするのか。リリスに確固たる計画があったわけではない。


 別にキークを不快に思ったり、恐怖を抱いたりしたわけではなかったが、取りあえず、国王の息子……王子と呼ばれていたからには、そうなのだろう……などとは一緒にいられない、そう判断したのだ。


 いや、寧ろ殺すべきであったのかも知れない。彼は国王リファイスの、彼女の仇の息子なのだ。彼を逃がしてしまったのは、彼の見せた優しさに戸惑ってしまったからだ、リリスはそう自分に言い聞かせた。


 服を変えるから待っていてほしい、と言って物陰へと姿を隠したキークを置いて、リリスは走り出したのだが、走り出して数秒後には自分の軽率な行動を後悔し始めてもいた。


 まず、これから向かうべき場所に心当たりがない。また、生活するのに必要な金銭もない(闘技場では金銭を必要としなかったが、リリスは闘技場に連れてこられる前の生活で金銭という概念を知っていた)。身に付けている物はと言えば、キークに着せられた服を除けば、太股の短剣のみである。


 捕まってしまえば、良くても闘技場に連れ戻され、今度は一生出ることなどできないだろう。悪ければ、無論、死刑だ。

 

 リリスにできたことはと言えば、人の目を避けて、浮浪者やいかがわしい商売をする者達のたむろする裏通りに辿り着くことだけであった。


 そのような場所にあって、幸か不幸かリリスは目立った。容貌だけであればさして目立ちもしなかったであろう。無論リリスは醜女ではなかったし、痩身の、少年のような少女を好む者の目には、「上玉」に見えたかも知れないが、そのような特異な嗜好の持ち主も、それほど多く居るわけではない。


 彼女が目立ったのは、その服装のせいだ。キークが用意した服装は高価なものではなかったが、新品だったのだ。新しい服を着られる、このことは一定の経済力を有することを意味する。カネになりそうな少女……リリスとて、女物の服を身に付けていれば、女装した少年に見えないくらいには女らしい……だ、いろんな使い道がある。そういった理由から、柄の悪い幾人かの男達が、リリスに目を付けたのだ。


「お嬢さん、こんな所で何をなさっているのですか? 女性の一人歩きは危ないですよ。私たちと一緒に安全なところに行きませんか?」


 他の男達に比べれば比較的まともな容貌をした男が代表して話しかけてきた。


 言葉遣いは丁寧であったが、彼らのにやついた下品な顔を見れば、どれほど鈍くても危険な下心を看過できたであろう。ましてやリリスは相手の害意に対して、獣並の洞察力を有している。馴れ馴れしく肩に置かれそうになった手を、無言で、乱暴に払い除けて、リリスは凍てつくような瞳で男達を睨み付けた。


「こんの、アマぁ!」


 逆上すれば相手が怖がると勘違いしているのか、少女1人に5人がかりでなければ声を掛けることもできない自分たちの滑稽な姿に気づきもせず、男達は得物を取り出した。


 男達の数は5人、腕の程は大したこともないようだが、囲まれると流石に不利だ。リリスは男達の包囲が完成する前に、自分から仕掛けた。


 気がついたら全てが終わっていますように……そう祈って、意図的に意識を真っ白にする。自ら一種の催眠状態に陥ることによって、リリスは緊張も恐怖もなく自分の持っている戦闘技能を十全に発揮することができる。リリスが「殺戮の猫」と呼ばれるまでになったのは、この精神制御(マインドセット)に依るところが大きい。


 このような精神制御を、リリスは誰に教わるでもなく身に付けていた。逆に言えば、そうでもしなければ幼い心が壊れてしまうほど、少女の置かれていた状況が過酷であったとも言える。

 

 最初の犠牲者はリリスに声をかけてきた、ちょっと厳つい優男であった。虚ろな瞳でいきなり間を詰めてきたリリスに、手にした鈍器で殴りかかる。リリスは倒れ込むようにそれをかわす、と同時に太股の短剣を素早く取り出し、男の腱を切り裂いた。そのまま男の横をすり抜け後ろに廻り、たまらず膝をついた男の延髄に、短剣を突き刺す。一連の動きが流れるようだ。


 一瞬のうちに仲間を絶命させられて、男達は目に見えて狼狽した。その後は各々が互いに何の連携もなくリリスに向かっていき、見事に各個撃破された。


 意識を取り戻したリリスが見たものは、血塗れで息絶えた5人の男達であった。辺りでは、何人かの浮浪者が怯えるようにしてリリスを見ている。彼らの視線を気にもせず、リリスは死体の持ち物を漁った。幾ばくかのカネと、一本の短剣を手に入れる。かさばる棍棒などは置いていくことにした。これで、今暫くは生き延びることができそうだった。

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