エピローグ
ヴェインの死と同時に、アスタルテは新たな寄主、リリスに寄生した。今となっては、ヴェインはアスタルテにとって捕食の対象でしかない。
しかし、肉体の檻から解き放たれたヴェインの魂は、アスタルテに捕らえられる前に、リリスのもとに赴き、彼女に語りかけた。
もっとも、リリスが応えなかったところを見ると、この声は彼女には聞こえておらず、これは、ヴェインが死ぬ前に抱いた幻想だったのかも知れない。
「ごめんね、リリス。君を傷つけてしまったね。君は本当に僕の娘の様な存在だったよ。だからこそ、君を愛してはいても、君を『欲しい』とは思えなかった。
君は僕を殺すことで完全に《家紋》を承継し、《神狩り》として覚醒してしまった。《神》を滅ぼすために、人間達が蓄積した叡智がそこには詰まっている。《神狩り》としての力に加えて、アスタルテまで宿してしまった君を『救う』ことのできる者は、おそらくこの世に存在しないだろうね。アスタルテは、自らの啜った精気を君に分け与え、君を生かし続ける。言わば君自身が吸血鬼になってしまったようなものだ。君はこれから続く永遠に近い生を、孤独の内に過ごさなければならないだろう。僕には可能であった、《神狩り》に殺してもらう、という選択肢も、君にはないしね。
リファイス達を殺害したことで、君はもう、表の世界では生きていけない。君が生きるのは闇の世界だろう。目に浮かぶようだよ。犯罪者達や《魔》の群を率い、闇の女王として君臨する君、自分以外の何者をも必要とせず、命と引き替えにのみ一夜の愛を与える、そんな君の姿が……」
同じように、ヴェインはシンシアにも語りかけた。
「ごめんね、シンシア。僕は君から多くのものを奪ってしまった。父親も、兄弟も、妹のような存在も、そして、自惚れさせて貰うなら、僕という憧れの対象も。それでも、君ならこの試練に耐えられる。立派な女王としてエポルエを治め、近く来るであろう、ラミスを始めとする敵国の侵攻も、防ぎきることができるだろう。リリスが闇の女王なら、君はさしずめ光の女王といったところか。だからこそ、君とリリスとは争わずにはいられないだろうね。君たち2人の戦いを見ることができないのは残念というべきか、幸いというべきか……」
そして……。
「やっと会えましたね、ヴェイン」
清楚で、儚いまでに美しい乙女がヴェインを迎える。夢にまで見た彫刻の君が、今、彼の前に等身大の姿で立っているのだ。そして、透き通る、鈴音のような声。声を聴くのは初めてだが、期待を裏切らない可憐な美声だ。
「アスタルテ」
遂に会うことのできた愛しい恋人に、ヴェインが優しく声を掛ける。呼びかけに応じて、彼女は恥じらいに頬を染めながらも、ヴェインに近づき、彼に抱きついた。
かと思うと、ヴェインには見えないところで彼女の顔が速やかに変わる。蠱惑的な、娼婦の顔に。
「《魔》と結ばれるために、数多の命を犠牲にした上で自らの命も捨てるなんて、変人もいたものね」
呆れたような口調。言葉遣いも変わって、はすつぱな感じであるし、その声音も、清楚さとは無縁な、蜜を思わせるほど甘く、媚びたような声だ。変人呼ばわりされても、ヴェインには気を悪くした風もない。彼にも自覚はあったから。
それでも、なんとか弁解を試みる。
「処女にして娼婦、そんな女性を手に入れるためなら命を惜しまないっていう男は、僕に限らず結構いると思うよ」
「そんなものなの?」
「多分、ね。まあ、もっとも僕の場合は、単に生身の女性が怖くて、彫刻の女性に逃げただけなのかも知れないけどね」
ヴェインは声を立てずに嗤った。しかし、それも一瞬のことで、ヴェインはすぐに自嘲に歪んだ表情を改める。
「そんなことより……」
言いながら、アスタルテを自分の身体から引き離し、彼女の、魔眼と言うに相応しい、男を虜にせずにはおかない瞳を見つめる。
「君に初めて会ったのは、禁忌を犯して旧リデル家領に立ち入った時のことだった。君は誰に所有されるでもなく、そこにいた。僕を待っていてくれた、なんて言うのは、僕の勝手な思い込みなんだろうけど。そのときから、僕の心は君に捕らえられた。君を所有したことで、君と一つになることが永遠に叶わないと知った時の僕の絶望が、君にわかるだろうか。こうして君と一つになるために、僕は僕だけでなく多くの者を犠牲にするしかなかったんだ……僕は君を愛しているんだ。君は僕を愛してくれるかい?」
その言葉に、それまで妖しげにヴェインを誘っていた彼女の濡れた双眸に、切なげな光が宿った。
「あたしにできるのは、貴方を貪り尽くすことだけ」
「だろうね」
ヴェインは軽く肩をすくめた。分かっていたことだ。恐らくは、それが彼女にとって、最大の愛情表現なのだから。
「でもヴェイン、貴方の魂は美味しそう。暫くは貴方だけを、ゆっくりと味わってあげる」
言って、アスタルテはヴェインの唇を吸った。その瞬間、自分の存在そのものが希薄になったかのように感じられたが、ヴェインにはそれすら心地よかった。
ヴェインは望み通りに愛しい少女を手に入れたのだ。そして、少女に自らの全てを捧げた。
「ああ、アスタルテ。残酷な女、僕の宿命の女。僕の全てを、貪っておくれ」
これが、魔剣に恋した男の、末路だった。
了
この物語はこれで終わりです。読んでくださった方、ありがとうございました。




