それぞれの死
「曲者が侵入したぞ」
兵士達の声にキークはたまらず自分の部屋を飛び出した。リリスだ、リリスに違いない、そう思ったからだ。
リリスに逃げられた日から、キークは一人、思い悩んできた。リリスはなぜ自分から逃げたのか、と。いきなりキスをしてしまったのがいけなかったのか、それとも着替えを覗いてしまったのがいけなかったのか……。
思い当たる原因を、他の誰にも相談することができず、キークが自分の軽率な行動に後悔しない日はなかった。
シンシアがヴェインの元へ向かうと聞いた時も、一緒に行ってリリスを取り戻せたらとどれだけ思ったことか。しかし、彼には姉ほどの力もない。ヴェインからリリスを取り戻すなど、絵空事でしかなかった。
だからこそ、リリスが父王とソロムを襲うと盗み聞いた時から、この時を心待ちにしてきたのである。直接リリスと話をする最後の機会であろう、この時を。
キークは、ソロムが謁見の間でリリスを待ち受けていることを知っていたから、直ちにそこへと向かった。キークは、リリスがソロムに敵うとは思っていなかったから、気が焦る。手遅れにならなければよいのだが……。
しかし、謁見の間に着いたキークが見たものは、血溜まりに臥したソロムの傍らに佇む、リリスの姿であった。
信じられない光景に驚きながらも最悪の事態(無論、リリスがソロムに殺されていることである)が避けられていたことにほっと胸を撫で下ろす。
彼は早まる鼓動を抑えることができないままリリスに声を掛けた。
「ねぇ、リリス、僕のこと覚えているかい」
震える声で言って、リリスの顔を、身体をじっと見つめる。
確かに、以前シンシアが言ったように、リリスは格段に綺麗になっていた。そんなリリスに、キークは以前よりも強く惹かれると共に、ヴェインに対して強い嫉妬も感じていた。
リリスが頷いたことにホッとしたキークは、彼女が怪我をしていることに気付いた。
「酷い怪我じゃないか……ソロム師にやられたんだね……ちょっと待って、今治すから……癒しの光!」
キークが描いた円形の魔法陣が、緩やかに、だが確実にリリスを癒していった。魔法陣を維持しながら、キークはリリスに語りかける。
「ねぇ、まだ間に合うよ。復讐なんかやめて、僕と暮らそう」
王宮に忍び込み、将軍を暗殺した者に対して求愛するあたり、恋する少年は強い。ヴェインに言って欲しかったその言葉に、リリスの心はほんの少し揺れたが……リリスは首を横に振った。
「どうして? 僕がヴェインじゃないから? ヴェインなんてリリスを利用しているだけじゃないか」
「!!!」
その言葉に、リリスは無言でキークを睨み付けた。キークはヴェインへの嫉妬心から無意識にヴェインを呼び捨てにしていた。しかし、そんなことはリリスにはどうでも良かった。どうでも良くなかったのは、その後の言葉である。
ヴェインはリリスを愛してなんかいない。ただ利用しているだけ……それは、リリスにも自覚があった。それでも、信じたくはなかったのだ。
一番聞きたくない言葉に、リリスは逆上した。思わず、手にしていた短剣をキークに突き出す。キークはこれを避けることができなかった。
次の瞬間、自分のしてしまったことに気付き、リリスは愕然とした。サアラの時と同じく、いや、正気があった分、今回の方が悪いだろう、無抵抗の人間、自分の怪我を癒してくれていた人間に剣を振るってしまったのだ。与えた傷は、致命傷だ。もう助からない。
それでも、なんとか助けられないかと、リリスはキークに縋り付いた。
そのとき、キークは、リリスがうっすらと化粧をしていることに気付いた。場違いに、顔が紅くなる。キークは思い切って、お願いしてみた。
「ねぇ、リリス、最後に、僕に、キス、してくれないかな」
照れながら言って、しかし、その願いが叶えられるのかを知ることができないまま、キークは息絶えた。その願いに、リリスは、リリスから見ても可愛らしいキークの顔に涙の雨を降らせながら、蒼冷めた彼の唇に熱いキスをした。リリスにとって、それは、初めてのキスだった。
しかし、キークはそれに答えてくれない。あたかも、初めて会ったあの時を鏡に映したかのようだった。
もし、あの時、リリスがキークから逃げ出したりしなければ、或いは、彼はヴェインに代わってリリスの寄る辺となれたのかも知れない。
それは、きっとキークのみならずリリスにとっても幸せなことであったろう。
***
そのころヴェインは、リリスの紡ぐ惨劇の一部始終を黒鴉城で見守っていた。遠見の魔術である。必要とされる魔法陣自体はそれほど難しくないが、複雑な建物の内部を見るのにはかなりの熟練を要する。
そんなヴェインの背後で、ドアが開いた。
「僕がまだ此処にいると、良くわかったね、リューン」
振り向きもせずに言う。
「相手の行動が読めるのはお互い様のようだな」
感情を押し殺した、冷たい声音だ。
「うーむ、仮にも師に対してなんてぞんざいな口のきき方だ。教育方針を間違ったかな?」
ヴェインの嫌味に対しても、リューンは恐れ入った様子もない。
「お前が、師に相応しい行いをしているとでも言うのか?」
「『師』という言葉は善人であることまで意味しないよ。悪の魔導師だって立派に弟子をとれる」
ヴェインの屁理屈に感銘を受けた様子もなく、リューンは続ける。
「それでも、敢えて師とは呼ぶまい、ヴェインよ! 何故その強大な力で人々に仇なすのだ」
「人々に仇なす、とは、大きく出たな。リリスのことを言っているのなら、復讐は彼女の自由意思だよ」
飄々と言ってのける。
「とぼけるな! ラミスの軍勢を招き入れたのは貴様の奸計だろう」
まんざら馬鹿でも無いらしい、と、ヴェインは意地悪く笑った。
「ふむ、で、私がやったとして、どうすると言うんだい?」
「何故だ、何が貴様をそうした?」
居直ったヴェインに、リューンは歯噛みせんばかりだ。
「仕方がないんじゃないかな。神様が私をそのように創造せられた、それだけの話さ」
ヴェインは決して神など信じてはいなかったが、ここで本心を言ってもリューンと理解し合えるとも思えない。
或いは、ヴェインとリューンの思考はかなり似通っていたのかも知れない。愛する者のためになら、自らの全てを捧げてもいい、そう考えているという点において。
時間を掛ければ、分かり合えるのかも知れない。しかし、ヴェインはこれ以上の時間の浪費を避けたかった。リューンの反論を待たず、続ける。
「何にせよ、お説教は沢山だよ。大体、キミがここに来たのは人々に害をなす逆賊ヴェインを討伐するためではなく、単に、サアラの仇をとりたかっただけなんだろう? 思いっきり、私怨じゃないか」
「私怨、だと?」
「少なくとも、サアラのためでないことだけは確かだね。僕を殺したところで、サアラは喜んだりしないだろうから」
心に秘めていたヴェインを殺すための真の口実が、口実となりえないことを指摘されて、リューンはヴェインへの憎悪を露わにした。血走った目には陽炎さえ立ちそうだ。
もとより、サアラが復讐を望むなどと、リューンですら信じてはいなかった。ただ、それがサアラのためになると、信じたかっただけだ。
私怨で人を殺すことは、欲望のために人を殺すのと何ら変わらない。自分がヴェインを殺すということは、ヴェインのしたことを逆説的に認めることになるのだ。だからこそ、リューンは「民のため」などという、どうでもいい大義名分を持ち出さざるをえなかったのである。
「何にしても、言葉はもう必要ないだろう。私怨で僕を殺したいというのなら、やってみるがいいさ」
ヴェインの言葉に、リューンは吹っ切れた。
「確かに、な。理由など、もう、どうでもいい。貴様を殺す」
その言葉に、ヴェインも満足気に頷いた。民のためなどと言う方便で殺されるよりは、ずっといい。大義名分を盾に、自己の欲望を満たそうとするなど、下衆のやることだ。
リューンは自己の持てる最強の魔法陣を描いた。文字で作られた立体的な階層とその色調とが、時間に伴い遷移する。芸術的な美しさではあったが、それでもただの五次元の魔術に過ぎない。しかも、時間を要素としているのであるから、これでは、ヴェインは愚か、四次元までしか魔法陣を描けないシンシアすら殺せない。怒りの余り、錯乱しているのだろうか?
ヴェインは嘲りの視線を向けたまま、防御の魔法陣の準備すらしない。しかし、リューンの瞳から理性の光は失われてはいなかった。
「嵐の紡ぎ手!」
鋼をも切り裂く烈風と雷とがヴェインを襲う。が、放たれた魔術を、当然のことながらヴェインは容易に防御した。
しかし、驚きはその後にあった。
魔術を防御して、一瞬気の緩んだ隙をついて、一撃目に隠れるようにリューンが第二撃を放ったのである。リューンに、二つ目の魔法陣を描いている様子はなかった。
「!?」
予想外の一撃に、ヴェインは防御をなしえない。
それは、たかが三次元の魔術に過ぎなかったが、それでもまともに当たれば人一人殺すには十分過ぎる威力である。
魔法陣を描いていることを悟られないように、あらかじめ模型として構築された三次元の魔法陣、魔術府の作り上げた符術の発展版、それが、リューンの切り札であった。
爆煙が晴れ、しかし、リューンの期待は裏切られた。
「へー、三次元の符術とは考えたじゃないか、リューン。しかも、なかなかの精度だ」
爆煙の中から平然と姿を現したヴェインが言う。驚く中にも揶揄するような響きがあるのは、ヴェインの悪癖だろう。
「ばっ、馬鹿な……」
反対にリューンは蒼白になっている。防御の間に合うタイミングではなかったし、事実、ヴェインは防御のための魔法陣を描けていなかったのである。にもかかわらず、ヴェインは傷一つ負っているようには見えなかった。
「残念なことに、アスタルテはその程度では僕を死なせてくれないんだよ」
アスタルテ、その名の意味するところを、リューンはシンシアとソロムから聞いていた。生きている《魔》剣である、と。
しかし、ヴェインの声が僅かな憂いを帯びていたことに、リューンは気付かなかった。
「逃げたいのなら、逃げていいよ。僕は、別に君の生死になんて興味が無いから。リファイスがリリスに殺されるのを黙認できるなら、君まで命を落とすこともないだろう」
万策尽き、敗北の屈辱に耐えていたリューンにヴェインは言った。
実の所、リューンにとってリファイスの生死はどうでも良かった。敬愛する父であるとは言え、最愛の女性を失った今、父の安否を気遣う余裕は、彼にはなかったのだ。
しかし、これ以上生きてどうしろというのか。
愛する者を失い、その仇を討つこともできずに、これから何を目的に生きていけばいいのか? 「民のため」か? リューンの顔が自嘲に歪む。なるほど、人は自分の為にしか生きられないらしい。
リューンは腰に差していた長剣を抜き、ヴェインに斬りかかった。これでヴェインを殺せると思ったのではない。ヴェインに自分を殺す口実を与えたかったのだ。
そして、彼の望みどおりに、彼の命は奪われた。ヴェインの命を護るために、アスタルテがリューンを滅ぼしたのだ。
アスタルテに生命を啜られ、息絶えたリューンを見て、ヴェインは深く溜息をついた。袂を分かったとは言え、ヴェインにとってリューンは可愛い弟子の一人だったのであるから。その弟子の命をも糧にアスタルテと共に永遠の時を生きなければならない自分……。感傷は、浅くはなかった。
ヴェインは、リューンがサアラのために死んだとは思わない。喩えリューンがそう望んでいたのだとしても、彼は、彼自身の欲望のために生き、そして死んでいったのだ。
だからこそ、ヴェインは自分の弟子が、その意味では幸せであったと思っている。そして、自分も……。
「もうすぐ終わるよ、アスタルテ」
それは、自分自身に言い聞かせるような口調だった。




