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魔剣恋歌  作者: かわせみ
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シンシアの帰還

 その後、3日間滞在して、シンシアは帰っていった。その間、シンシアは毎日リリスの修行に付き合った。


 リリスの成長はめざましく、リリスはシンシアの技をことごとく盗んだ。シンシアは教えることの楽しさと同時に、リリスに剣の腕で抜かれるかも知れないという恐怖を感じたものだ。


(ボクにはまだ魔術があるけど、リリスにだって暗器がある。本気でやって、リリスを止められるか?)


 以前感じた不安、リリスを殺してでも止めなければならない日が来るという不安は日毎に増していた。そして、本当に止められるのかという不安も。リリスの剣技だけでなく、シンシアのリリスに対する愛着もまた強くなっていたからである。


 シンシアがいなくなった後も、当然リリスの修行は続いた。


 ヴェインが重視したのはリリスの特技である催眠状態の活用である。ヴェインがこれまで課してきた修行にしても、リリスの潜在能力を向上させ、より強力な催眠状態を導くことに主眼を置いていたとも言えるだろう。


 失うものが何もないとき、リリスにトランス化することへの抵抗は無かった。しかし、今は、無意識にヴェインやシンシアを傷つけるかもしれないと思うと、催眠状態に入るのが怖いリリスだった。


「使えるものは使えばいいんだよ」


 ヴェインは気軽に言う。


「相手によっては、決して悪人に見えないような者もいる。それでも、キミはその者を殺して、《家紋》を取り戻さなければならないんだろ? なら、催眠状態は好都合だよ」


 実のところ、既にリリスに《家紋》への執着は少ない。ただ、《家紋》を取り戻せないことでヴェインに嫌われることが怖いだけだ。


 なおも渋るリリスに、ヴェインが提案した。


「《家紋》のことを知っているのは事件の関係者だけなんだから、《家紋》という言葉に反応して自動的に催眠状態に入れるように訓練すればいい。ただ、自分が《家紋》のことを考えるたびに催眠状態に入ってしまうのでは周囲への被害が大きくなりすぎるから、《家紋》という外部的な音に反応するようにした方がいいね。同じように、催眠状態解除の鍵となる言葉も決めておこう。それなら、僕やシンシアが催眠状態のリリスに傷つけられることもないからね」


 ヴェインやシンシアを傷つけないでいられるなら、リリスに催眠状態に入ることを拒む理由は、取りあえずない。リリスは頷いた。


「じゃあ、解除の言葉は何にしよう? 条件は2つ。リリスにとってなじみ深い言葉であること、敵が偶然にでも口にしないような言葉であること。だから……」


 ヴェインは少し考えて、キーワードを決めた。


「よし、リリスの好きな『七面鳥の丸焼き』にしよう。これなら、敵が呟くこともないだろうし」


 そんなのなんかかっこわるくて嫌だとリリスは思ったが、他に適切な言葉も思い浮かばず、しぶしぶ頷いた。


 リリスはもとから自分の意思で催眠状態に陥ることができたので、それを《家紋》という言葉と関連づけることは比較的容易であった。


 その意味では解除の方が困難であったが、全面的に信頼できる相手、ヴェインが暗示を掛けることでこちらも上手くできるようになった。


「それじゃあ、本番を想定して練習してみよう。ふっふっふ、リリスよ、このおれさまの《家紋》、とりもどせるもんならとりもどしてみろい!」


 《家紋》という言葉を引き金にして、リリスは自分の意識に別れを告げた。


 網膜に映るヴェインを「敵」と認識し、襲いかかろうとする。すぅっ、と細めた瞳は、氷のように怜悧な光を放ち、軽い前傾姿勢でこちらを伺う様はまさしく猫科の獣だ。思わずヴェインは下手くそな口笛を吹いた。


(予想はしていたけど、実際に目にするとやっぱり驚くね。既にソロムに匹敵するほどの力感だ。実力を試してみたい気もするけど……)


 取りあえず、斬られない内に(リリスが、アスタルテに、である)、ヴェインは浮遊の魔法陣を描き、リリスの手持ちの武器が届かない位置まで退避する。


(流石にまだ早い、よね。傷つけるのも可哀想だし)


 心の中で呟くと、ヴェインはリリスの催眠状態を解除した。


「お目覚め、リリス。『七面鳥の丸焼き』だよ」

 そのキーワードにリリスの理性は回復した。


「よしよし、上手く精神制御できているようだね」


 ヴェインは満足気に頷いて、リリスの頭を撫でる。リリスも嬉しそうだ。


 今のところ、ヴェインの卑小な計画は順調に進行しているようだ。


(ま、卑小でない野望なんてこの世には存在しないんだから、誰にも文句は言わせないけどね)


 ヴェインは心の中で呟いた。


***


 黒鴉城を後にしてほぼ10日、ようやくシンシアはエポルエ城に帰り着いた。


 ヴェインに魔術で送ってもらえば良かったのだが、ヴェインが申し出てくれなかったこともあって、それを思いついたのは最初の宿をとったときだった。ヴェインは、シンシアが何らかの報告をなすまでは王家に動きはないと踏んでいたから、今しばらくの時間を稼ぐためにシンシアには愛馬でお帰り頂いたのだ。


 シンシアは城に着くとすぐ、侍従から、国王が謁見の間で彼女を待っている旨を告げられた。本当は暖かい風呂で疲れと汚れを落として、美味しい物でも食べて一晩ぐっすり寝てから報告したかったのだが、主命とあらば致し方ない。最低限度の身繕いで、シンシアは謁見の間に参上した。謁見の間には、ソロム、ア・イズミ、リューンの姿もあった。


「シンシア、只今戻りました」


 できるだけ恭しく、言う。殊更心を入れ替えたわけではなく、単に苦手な長兄の姿が見えたからだ。国王リファイスが重々しく頷く。


「うむ。早速だが、お前の得てきたところを話して貰おう」


 親兄弟と見知った顔しか居ないところでこれだけ回りくどく話さなければならないことを滑稽に思いながらも、シンシアは口調を崩さず言った。


「はい。流石にヴェイン卿が何を企んでいるのかまでは知りようもありませんでしたが、ヴェイン卿はリリスに剣術の修行などをさせていました。リリスを強くすることが自分の目的に近い、と」


 シンシアはヴェインを「卿」と呼んだ。ヴェインは家名を剥奪された身であるから「卿」と呼ぶのは正しくないのだろうが、国王(父ではなく)の前で、「師」づけで呼ぶこともはばかられ、また、流石に呼び捨てにするのも変な感じがしたからだ。


 この場に長兄が居なければふざけて「きゃつめ」などと言えたかも知れない。「卿」と呼ぶことについて誰も異を唱えなかった。


「で、腕の方は」


 シンシアのどうでもいい葛藤になど気付かず、淡々と質問は続く。


「逃亡したときと較べて、信じられないほどの上達ぶりでした」


「ふむ……」


 リファイスは考え込む。シンシアが続ける。


「おそらく、ソロム卿を倒すため、でしょうね」


 その点には誰も異存はなかった。《神狩り》の末裔を鍛えるからには、その目的は旧四候当主の殺害、とりわけその中でも、以前リリスが足元にも及ばなかった最強の戦士、ソロムを倒すことにあると考えるのが常識的だろう。


「では、何のために、です? リリスがソロム卿だけを倒すことに意味があるとは思えません。リリスに《神狩り》の力を与えるためにはリリスがソロム卿だけでなく、ヴェイン卿も含めた旧四候の当主全員を殺して《家紋》を完成させる必要があるのでしょう? 仮にヴェイン卿の目的が《神狩り》を顕現させることにあるのだとすれば、自分の命まで捨てるのはおかしい。《神狩り》となったリリスを、ヴェイン卿は見ることも、ましてや、力比べすることもできないのですから」


 リューンが疑問を口にする。これは誰もが有していた疑問であった。


「ヴェイン卿のことですから、自分だけは殺されなくてもその《家紋》をリリスに返すことができるのではないですか?」


 ア・イズミだ。ヴェインに対する評価を高くしてしまうのは、弟子として彼を尊敬しているからだろう。


「それはない、と思いたいのだがな。《家紋》を分けたのはヴェインだが、その際、死によってしか《家紋》の欠片の承継が行われないことはサアラも保証していた。ヴェインは兎も角、サアラが嘘をついたとは考えられない。ヴェインのことだから、サアラを出し抜いているとも考えられるが」


 リファイスが当時を思い出しながら言う。ソロムも頷いた。


「ヴェイン卿自身が《家紋》を揃え、《神狩り》の力を得るためだとは考えられませんか」


 リューンだ。


「それだと、リリスを鍛える意味がない。ヴェイン自身が他の3人を殺せばいいんだからな。リリスを鍛えるよりその方が確実だ。実際、ヴェインは、あの時、魔剣を使って私を殺すことができた。にもかかわらず、ヴェインは私を生かしておいた。確かにあの魔剣は恐るべき代物だが、能力がばれている以上、同じ手が通用するとはヴェインも思っていまい」


 ソロムが、ヴェインに付けられた傷跡に触れながら言う。あの剣、アスタルテが、剣や鎧をすり抜けることが分かっていれば、その対処は簡単だ。剣をかわせばいいのである。それがソロムに可能であるということには、誰も疑問を差し挟む余地がない。


「陛下もソロム卿もサアラ様もヴェイン卿の旧友なのでしょう? 旧友を自分の手で殺したくはなかったとか……」


 ア・イズミが遠慮がちに言う。


「それはない」


 リファイスとソロムが異口同音に即答した。


「サアラは置くとしても、リリスを殺すくらいなら、ヴェインは喜んで儂やソロムを殺すだろうよ」


 リファイスが吐き捨てるように言う。散々な物言いであるが、誰も、ア・イズミでさえも、否定はできなかった。


「ほんとに旧友なの?」


 ぼそり、とシンシアが呟く。場が凍りつく。誰もが思っていても言えなかったその事実を口にした勇気は尊敬に値するだろう。


 結局、その一言が、実り少ない謁見を締めくくる言葉となった。


***


 謁見の間を出たシンシアは、しかし、リリスを殺人鬼かのように扱う議論に釈然としないものを感じていた。それは、シンシアがまだ、心の何処かで、リリスが自分の可愛い妹のような存在でいてくれることを期待しているからだろう。


 とは言え、それより今は一刻も早く休みたい。シンシアは自室に戻るべく足を速めた。しかし、そんなシンシアに声を掛けてくる者があった。


「あ、姉上! 待って下さい」


 末の王子キークである。


「あによぉ」


 キークの用件は分かりすぎるほどであったが、疲れているため返事もぞんざいである。


「あ、あの、そ、その、り、リリスはどうでしたか?」


 予想通りである。キークのどもりように、シンシアは自分が告白されている様な奇妙な気になった。流石に弟を可哀想と思ったが、色恋沙汰ばかりはいかんともし難い。溜息一つついて、シンシアは残酷にも事実を告げた。


「キーク、もう諦めた方がいいと思うよ。リリスはヴェイン師にぞっこんだったもん」


「ぞっこん……ですか」


 キークの表情が翳る。


「やっぱり腕枕で添い寝してたみたいだし」


「腕枕で、添い寝……」


 キークの目に涙が溜まる。


「それも、見るのも恥ずかしいようなスケスケの夜着を着せてさ」


 自分が更に恥ずかしい夜着を着せられたことは伏せて言う。


「す、すけすけ……」


 純情なキークには刺激が強かったのだろう。想像と、かつて見た裸体の記憶とが重なり、彼の顔は真っ赤に染まった。


「もうキミのことなんて忘れているかもね」


 顔が紅から蒼に変わり、キークはがっくりと肩を落とす。


「あっ、そうそう、逃げ出したときと較べて、リリスすんごく可愛くなってたよ」


 追い打ち。キークは何も言わずにふらふらと去っていった。


(弟よ、哀れな奴)


 同情しているのなら、もう少し言いようもあったのではないかと思われるが、シンシアの言葉は半ば以上自分に向けられたものだった。


(ヴェイン師のこと、もう諦めた方がいいんじゃないの?)


 心の声が聞こえる。自虐的な笑みを残して、シンシアも自室へと戻っていった。

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