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魔剣恋歌  作者: かわせみ
12/22

 シンシアが漸く寝付いた頃、ヴェインは浅い眠りから覚め、寝台から抜け出した。麻で織られた薄手の夜着を脱ぎ、いつもの服に着替える。ちなみにヴェインは「いつもの服」を何着も持っているため、「不潔だ」との批判にはあたらない。


 大魔術師などとよばれているのに、着替えは自分の手でしなければならないのかと思うと自嘲の笑みがこぼれてくるヴェインだった。


 実際には、ヴェインは一切手を使わずに服を着替えることができる。服を脱ぐときには、服が物質を透過する状態にした上で自分の意思で操作できるような魔法陣を描けばよい。


 しかし、服を着る場合にはこの方法は使えない。何故なら、魔術で物体を精確に操作できるかは、魔力の強大さとは関係がないからである。


 自分では上手く着ることができたと思って魔術を解除したところ、服の端が体の中に入ってしまった、という笑えない状況が容易に起こりうるのである。


 かといって、物質透過を伴わない、単なる物体操作で服を着るも難しい。袖が腕に通るように服を操作し、ボタンを一つずつはめる。ズボンをはくためには、自分の身体を宙に浮かせなければならない。滑稽である。しかも、これだけ複雑な動作だと、手を使った方が遙かに早い。


 これは魔術文字の不備に起因する。残念なことに、ヴェインの知る限りでは「服を着替える」とか、「魚を三枚におろす」といった具体的な動作を表す魔術文字は存在しない。


 そのため、「物質を透過する」だとか「対象を操作する」、「対象を切り裂く」といったより一般的・抽象的な動作を表す文字を組み合わせて目的を達さなければならないのだ。


 だが、一説に依れば、古代王国の滅亡時に魔術文字の多くは失伝し、現在残っている魔術文字(エポルエ王国の国立の魔術研究機関である魔術府では現在のところ141字を公式の魔術文字として確認している)は、古代王国の最盛期の半分以下に過ぎないとも言われている。そうした失われた魔術文字の中には、服を着替えることに特化した文字も存在したのかも知れない。


 ごく稀に、このような失われた魔術文字を運よく見つけだす者がある。魔術府では、新たに発見された文字の効果が十分に検証されないまま使用されることの危険性に鑑み、公式の魔術文字ではない文字を使用した魔術を禁じている。そのため、いわゆる「禁呪」には、こうした未確認の魔術文字を使用した魔術という意味もある。


 魔術を使うことなく手早く着替えを終わらせると、ヴェインはその場で空間転移のための魔法陣を描いた。実は、この魔法陣も「禁呪」であった。一般的に用いられる空間転移の魔法陣と変わらないように見えるが、ヴェインの魔法陣には一字だけ、公式ではない文字が用いられているのである。


 複数の固体が同一座標を占めるような結果が生じた場合に質量の小さい方の固体が重なり合いの生じない位置までずらされる、という効果を有する文字である。


 つまり、ヴェインの用いる空間転移の魔術には、シンシアが予想したとおり、「全滅」の恐れは無いのである。ヴェインが空間移転の都度、殊更に「事故」の可能性に言及するのは、それが「禁呪」であることを他の者に悟られないようにするためであった。


 ヴェインは、多くの文献中に、古代の人々が視界の届く範囲に限らず、無制限に空間転移を行っていることを伺わせる記述があることから、このような文字の存在を推測し、探し当てたのだ。


 ともあれ、この文字のお陰で、ヴェインだけは、転移先に物の無いことが明らかな、視界の届く範囲でしか空間転移できない(危険だからしない)、という現代の魔術師の不文律を破ることができるのである。これは様々な局面で有利に働く。そのため、ヴェインはこの文字を魔術府は愚か、弟子達にも秘匿していた。


 唯一の例外が「聖女」サアラで、彼女が遠方に住む貧しい人たちに治療を施すために遠距離の空間転移を行う高度の必要があったこと、彼女がヴェインに敵対することなど有り得ないことから、他の誰にも教えないことを条件にヴェインはこの文字をサアラに教えている。


 空間転移でヴェインが向かったのは、先に《魔》を封じていたのと同じ様な洞窟であった。元は岩山であったものをヴェインが魔術でくりぬいたものである。


 だが、この洞窟に閉じこめられているのは《魔》ではない。何日か前にヴェインが壊滅させた野盗の残党である。ヴェインはその場で殺さなかった野盗をこの洞窟に閉じこめたのだ。目的は、魔剣アスタルテのための「保存食」とするためである。


 洞窟の中には、まだなお10人以上の男がいた。飢え死にしたりしないように、最低限度の食料も置いてある。彼らの顔はヴェインの姿を見るなり、恐怖に歪んだ。


「ははは、人を、そんな化け物を見るみたいな目で見ないで欲しいなぁ。傷付くじゃないか」


 ヴェインは一向に傷付いたようには見えない顔で言った。が、今日も又1人か2人、仲間が「喰われる」のである。彼らの目に、ヴェインが人の形をした化け物として映ったとしても不思議はない。疲労と、いつ殺されるか解らないという緊張とで、男達は既に捕らえられた当初のようにヴェインを罵る元気も失っていた。


 薄暗い洞窟で、他に何をすることもできず自分が殺される番を待つ恐怖を思うと、ヴェインは彼らに同情してしまうのであるが、これも仕方がない。


 せめて一度に殺してくれればいいものを、生き残ってしまった者には一時の安堵と共に更なる恐怖が待っているのだ。


 誰をその日の贄とするかはヴェインが決めるわけではない。ヴェインが行うのは、野盗達を閉じこめた結界の中にアスタルテを解き放ち、その食事を見物することだけである。


 この日もアスタルテを解き放とうと、結界まで近寄ると、男達は無理だと知りながらも口々に哀願した。


「た、頼む、助けてください!」


 ヴェインは本来、それほど残虐な性格の持ち主ではない。先のシンシアとの会話では殊更にアンチテーゼを提示しただけで、ヴェインの考えがあれほど極端かつ単純なわけではない。基本的に正義感に乏しく、身内を彼らに殺されたわけでもないヴェインにしてみれば、多くの無辜を殺してきた野盗とは言え、彼らの生き死にになど基本的には何の興味もないのだ。だから、男達の悲痛な叫びは正直、耳に痛い。


「ごめんね。でもあの魔剣が生きる為には仕方がないんだ。助けてくれ、と言われても助けてあげられないなんて、君たちにも経験があるだろう?」


 確かに彼らにも自分たちの欲望の為に、無力な人々の哀願を無視して殺した経験がある。自分が被害者の立場に追いやられて初めて、彼らは自分たちのしてきた行為の罪深さを自覚するのだ。


「もう、盗みも殺しもしない、ぜ、絶対にしない、だ、だから」


「でも、アスタルテに餌は必要なんだ。盗みも殺しもしたことのないような人間を餌にするのは、流石に良心が咎めるだろ? 人を殺す者は人に殺される危険をも負わなければならないなんて、当然のことだよね。僕だってその危険を負っている。いつか同じように誰かに殺されるだろう。だから、今は、君たちも諦めておくれ」


 なおも何か言いたげな男達を無視して、ヴェインは左手を前に突き出し、魔剣の名を呼んだ。


「アスタルテ……」


 平時、ヴェインの体内に寄生しているその《魔》は、ヴェインの呼びかけに応じてその手の中に姿を現した。剣に施された少女のレリーフは、今はまだ清純な乙女である。


「さあ、アスタルテ、食事の時間だよ」


 ヴェインは少女に優しく微笑み掛けた。少女もそれに答えるように微笑んだかのように見える。ヴェインは手を離した。アスタルテは結界に阻まれることもなく、男達に向かって進んでいった。男達の顔に絶望の色が浮ぶ。


 アスタルテは意思を持ち、自ら行動できる魔剣である。


 勿論、剣として自分の手で振るうこともできるのだが、手から離れてもヴェインの意思で自在に操ることができたし、攻撃を命じれば自らの意思で対象を攻撃する。その戦闘能力はかなりのものである。


 ただ、いかなる場合にも(例え攻撃を命令されていても)寄主の安全を最優先し、寄主が危険に曝されればそれが魔術であろうがその他の物理力であろうが、寄主の下に戻って完全に防ぎきる。


 そんなアスタルテが今、獲物を求めて漂っている。


 男達には、これまでの経験で彼女に攻撃を加えた者や派手に逃げ惑う者が真っ先に獲物にされることを知っていたから、身動き一つできもせず恐怖に耐えている。彼らには、もはや抗う術はないのだ。

 

 男達にとって無限に続くかに思えた緊張状態は、しかし、突然終わりを告げた。アスタルテが今日の贄を定めたのである。アスタルテは1人の男の面前に切っ先を突き出し、その動きを止めた。男の顔からは目に見えるほど大きな粒の汗が噴き出し、その身体は意識的にはなしえないほど大きく震えた。声にならない悲鳴を挙げつつ助けを求めるよう左右の仲間を見回したが、皆顔を背けている。そして、男がおそるおそる視線を彼女に戻したとき、彼女は男の身体を深く切り裂いた。


 一太刀、二太刀、弄ぶように。溢れる血が男を、そして辺りを、赤く染めあげる。そして、アスタルテもまた朱に染まり胎児の如く脈打っている。純真無垢だった処女が今や血に飢えた娼婦と化して男の生命を貪っているのだ。胸をはだけ、歓喜の表情で。


 アスタルテが喰らうのは、厳密には血ではない。血に象徴される生命力だ。だから彼女は乾涸びるまで人の血を吸ったりはしない。彼女の絶頂は、血と共に生命の全てが流れ出るとき、すなわち、絶命時に訪れるのだ。


 そして遂に、男は息絶えた。その瞬間、びくん、とアスタルテも一際大きく跳ねる。彼女は、余韻を楽しむかの如く男の中に刀身を残したまま、暫し胎動をやめた。


 そこから、また男達に緊張が広がる。この貪欲な姫君は更なる贄を求めることがあるからだ。


 ……今日も、もう1人の男が姫君の夜伽に供された。


 2人の死に顔は、見ようによっては愉悦に歪んでいるとも見えた。身動きできない状態で死神が自分の身体を切り刻む時を待つのには、一種被虐的な恍惚が伴うのだろう。ましてやその死神が美しき淫婦であれば。


 そういった死体を、ヴェインは先刻の《魔》と同様、魔術でどこぞの荒野に打ち捨てる。仲間が血の跡と臭いだけを残して忽然と消え去る様を見て、残された者達は自分たちが変死体として野に醜態を晒し、獣たちに腐肉を漁られるという、ごく近い未来の光景をまざまざと思い描くのだ。


 ある時、男達の1人がヴェインに嘆願したことがある。


「せめて、埋めて貰えないだろうか」


 死を前に触発された迷信深さ故の願いであったのだが、ヴェインの返答は乾いていた。


「埋めるのはちょっと面倒くさいんだよね。ここで火葬にするくらいなら簡単にできるんだけど、君たちだって人の焼ける臭いが洞窟にこもるのは嫌だろ?」


 ヴェインは残虐でこそ無いが、殺人者のために骨を折るほど優しくもなかったのである。

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