添い寝
リリスが「糧」を得た後、3人は近くの街へ行き(勿論ヴェインが空間転移した)夕食を採った。いつもは食事について優柔不断なシンシアに食欲がなかったらしく、注文はあっさりと決まった。思い悩んだ様子のシンシアに、ヴェインは穏やかに話しかけた。
「さっきのことを気に病んでいるのかい? 僕は別に、シンシアが間違っていると言っているわけではないよ。君がどう考えようとそれは自由だ。そして、その考えを否定することは誰にも、例え神にだってできないんだよ。それと同様に君以外の人間の考えも尊重されなければならない。大切なのはまさにそこなんだ。君にとっては『善』や『正義』というものが大きな価値を持っているのだろうけど、それは万人に共通のものではない。例えば、盗みは悪とされている。君は、貧しくて盗まなければ食べていくこと、つまり生きることができない人間を『悪』だとして殺してもいいと考えるのかい? それでは、その者は飢え死にするか、君のような者に殺されるしかなくなってしまう」
ヴェインの考えに、シンシアは反論した。
「少なくとも、明文の法のある今では、盗みを働いただけで死刑になったりはしません」
数年前まで、エポルエには制定法が無く、罪は慣習に照らし裁かれていた。そのため、罪人の身分などによってその処断はまちまちであり、人品が賤しいとされれば、盗みを働いただけで死罪となることもあった。
かかる慣習を廃して成文の法を制定し、万人に同様に罰が科されるようになったのは、賢王リファイスの功績である。
「善悪の基準は法が担うというのかい? 例えば現行の法は、他人の奴隷を殺せば自分の奴隷を代わりに差し出すことを定め、自分の奴隷を殺しても罪にならないとしている。奴隷は物と同じだ、ということだ。自分の奴隷を何人殺そうとも悪ではないんだね?」
「……」
シンシアには答えられない。ヴェインは続ける。
「法なんていうものは、その時代や社会によって幾らでも変わるものだよ。現にリファイスが法を制定するまでは慣習という形で酷い法が横行していたし、誰もそれをおかしいとは思っていなかった。ひょっとしたら将来には、髪の黒い人間は汚れているから死罪、などという法ができているかも知れない。だから、法に定められているからと言って、必ずしもそれが正しいとは限らない。まあ、法の歴史が積み重ねられて、法によって縛られる者も法の制定に参与するようになれば、ある程度『正しい』法も観念できるのかも知れないけどね。少なくとも、国王の様な権力者が国民を縛るために上から与えた法が正しいわけがないよ」
「では、正義というのは何処にあるんですか?」
「言っただろ、シンシア。正義なんていうのは相対的なものだと。誰の心の内にもあるが、どの正義も決して同じではないし、どれが正しいというものでもないんだよ。シンシアが人々のために尽力したいと言うのであれば、その志はよい。自分の正義を貫けばいい。ただ、それが、鏡を覗いて自分は美しいと思うのと同様、自己満足に過ぎないことだけは自覚した方がいい。自分は正義の味方だから偉い、だとか、自分と意見の異なる奴は悪だ、などという思いこみほど醜悪なものはない」
そのことはシンシアにも理解できた。確かに、自分が一番正しいなど、単なる傲慢であるし、シンシア自身もそんなことを思ったことはない。誰がどう思おうと、自分には自分の正義を貫くことしかできないのだ。師の言わんとするところを知って、少し安心したのか、シンシアの顔に笑みが浮かんだ。
「良かった。別にヴェイン師は、善人は間違っているから悪人になれ、と言っているわけではないんですね」
「当たり前だよ。僕だって悪人よりは善人の方が好きだからね。ただ、善人であることを売り物にしている一部の連中が嫌いなだけでね」
ヴェインも微笑んだ。心の中の呟きを、悟られないように。
(でもね、シンシア、僕は決して、善人なんかではないんだよ)
***
食事を終え(安心したシンシアがその後大量に追加注文したことを付言しておく)、3人は黒鴉城に戻った。
シンシアは旅の疲れを癒すため、何日か滞在することにしたらしい。そのことについては、リリスにも異存は無かったのだが、リリスにとって不満だったのは、ヴェインがリリスに添い寝することを、シンシアがやめさせたことだった。
「血の繋がりのない未婚の男女が、同衾するなんて不潔です」
というのがシンシアの言い分である。
「血の繋がりのある既婚の男女が同衾する方がよっぽど不健全だと思うけど……」
「血の繋がりがあったら、子供に大人が添い寝をしてあげるのも自然だと言ってるんです。曲解しないで下さい」
「リリスはまだ子供だよ。大人の僕が添い寝してあげてもいいじゃないか」
リリスがこくこくと頷く。シンシアは無視する。
「リリスは子供でも、もう立派な女性です。少なくとも、少女愛好家の誰かさんにとっては!」
少女愛好家……、その言葉がヴェインの脳にずしりと響く。ソロムが嫌がらせで言ったのが最初であるが、どうやらシンシアの中ではヴェインの評価として定着してしまっているようだ。
「いいこと、リリス。少女愛好家なんかに体を許したら身の破滅だよ。2,3年して大人の女性になったら捨てられてしまうんだからね」
リリスは言葉の意味が分からないのか、キョトンとしている。
「うーむ、誤解があるなぁ。時に、シンシア、少年愛好ならよいのかい?」
「不潔です」
***
添い寝についての論争が終わった後も、シンシアの怒りは続いた。
リリスと一緒に風呂に入ったシンシアは、リリスの纏った夜着……肌が透けて見える程薄い例のアレである……を見たのだ。
「し、信じらんない。最っ低ぇ。あのど変態……添い寝するだけならまだしも、こんな破廉恥な服を着せるなんて……」
リリスは特に気にしている様子もなかったが、シンシアの言葉に、シンシアに用意された夜着を無言で指さした。
「えっ、なに? ……!?」
それは、リリスの着ているものよりも更に過激な夜着であった。
肌の透けて見えそうな所は同様であったが、それだけでなく、胸の前が大きく開いており、身体の線を強調するような形になっている。
「な、なんて頽廃的な……」
シンシアの声は怒りに震えていた。汗で汚れた衣服に再び袖を通す気にもなれず、タオルだけを身体に巻いて(考えようによっては、その格好の方が余程露出度が高いのであるが、怒りで羞恥を忘れていたのだ)ヴェインの書斎へと怒鳴り込んだ。
「ボクやリリスにこんなもの着せるなんて、何て下劣なんですか! 恥を知ってください」
件の夜着を手に、言う。しかし、ヴェインには悪びれた様子もない。
「下劣とは人聞きの悪い。エロティシズムと言っておくれ。生殖から切り離された情欲こそ、人間と他の下等生物とを分ける、真に人間的なものなのだよ」
「婉曲的に言ったって、誤魔化されません。単に変態なだけじゃないですか!」
「あー、なぁんだ、ごめん、ごめん。お子さまのシンシアには、まだ、こんな大人っぽい服は着れないんだね……そうならそうと言ってくれれば、もっと子供っぽい夜着を用意したのに」
ヴェインは殊更、挑発的な口調で、言ってのけた。「大人の女性」を自称するシンシアは、思わずこれに乗せられてしまった。
「なっ、ぼ、ボクに着れないものなんてないもん!」
「♪」
言ってしまって、後悔したがもう遅い。ヴェインの思惑通り、彼の目を楽しませてしまったシンシアであった。
「くすん。ボク、もうお嫁に行けない」
シンシアらしくない、媚びるような口調はある言葉を期待してのものだったのだが、ヴェインは乗ってはくれなかった。
「大丈夫、自分から嫁に行かなくても、君なら幾らでもお嫁の来手があるよ」
一変して、シンシアに生じた殺意に、ヴェインは脱兎の如く自室へと逃げ帰って行った。
***
その夜、リリスはなかなか寝付けなかった。理由は明らかだ。自分の隣にヴェインがいない。もう一月以上も一人きりで眠っていなかったのだから無理もない。
自分以外の者の寝息や体温を感じながら眠ること、それは幸せの一つの形だろう、とリリスは思う。もしこれからずっと1人で眠らなければならないのだとしたら……想像してみると、悲しくて、涙が出そうになった。独り寝など少し前までは当たり前のことだったのに。幸せは人を弱くするものなのだろう。
悲しい想像を追い払うように頭を振って、リリスはベランダに出た。蒼い月の夜だ。初冬の空気は冷たく張りつめている。
リリスは隣の部屋のベランダに先客が居ることに気付いた。シンシアだ。月の光を浴びて、シンシアの身体は、柵の上に置かれたしなやかな指先から、そよ風に揺れる柔らかな髪の一筋一筋まで仄かに輝いて見えた。
月夜に佇むシンシアの、その美しさにリリスは思わず息を飲んだ。自分もいつか、こんな風に月影を纏えるようになるのだろうか。
暫し、目を離せずにいると、シンシアもリリスに気付いた。
「眠れないの? ヴェイン師が側に居てくれないから?」
リリスは遠慮がちに頷いた。
「ごめんね。ボクなんか早く帰ってしまえばいいと思ってるよね?」
リリスは首を横に振る。これは社交辞令ではなく、確かにヴェインと一緒に寝られないことは不本意であったが、不思議とシンシアに対する恨みの気持ちは無かったのだ。
「リリスは……、ヴェイン師のことが好きなんだよね」
シンシアの口調は質問と言うよりも確認に近い。リリスも当然とばかりに頷く。
「素直だね。羨ましいな。ボクもね、ヴェイン師のこと、好きなんだ。でも、ヴェイン師をボクに振り向かせる術を思いつかなくて……どうしても素直になれないんだな」
リリスはじっと聞き入っている。
二人はまだ、こんな秘め事を打ち明け合う仲ではなかった筈であるが、二人とも何故か今のこの状況を当然のものとして自然に受け入れていた。
「でもね、実はボク、最近ヴェイン師が怖いんだ。今日の《魔》のことにしたって、ヴェイン師ほどの力があれば、あんな酷いやり方をしなくても、幾らでもリリスを鍛えられるはずなのに。少なくともエポルエにヴェイン師を止められる力の持ち主はいないわ。ヴェイン師が欲しいままに人を殺すようになったらと思うと、怖くてたまらない。なのに、こんなに怖いのに、それでもヴェイン師のことを好きな自分がいて……気が、狂いそうになる」
ヴェインが、怖い? その気持ちはまだ、リリスには解らなかった。リリスにとってはヴェインの言うこと、なすことが全てで、かつ疑いようのないほど絶対であったから。
「解んない、かな。きっとキミはボクよりもずっと、ヴェイン師に近いんだろうね」
自分で言って納得する。
「ちょっと深く話しすぎちゃったかな。これが月の魔力っていうものなのかなぁ? あっ、ボクがヴェイン師のことを好きだっていうこと、ヴェイン師には内緒だからね。絶対だよ。女の約束」
シンシアが笑って言った。リリスも笑って頷く。話の流れからすれば二人は恋敵ということになるのだろうが、二人の間には同志めいた連帯感が芽生えていた。
「さっ、そろそろ寝よっか。1人で寝られないんだったらボクが一緒に寝てあげる。迷惑?」
リリスは首を振った。
「良かった。じゃあ、寝よう」
言って、シンシアはベランダの手摺りを身軽に飛び越え、リリスの部屋のベランダへと降り立った。
布団に入ると、リリスはシンシアに腕枕をねだった。シンシアが腕枕をしてやると、疲れていたのだろう、リリスはすぐに可愛い寝息を立て始めた。いたいけな寝顔にシンシアは思わず髪を撫でて頬に口づけしてしまった。ヴェインの気持ちが解かる気がした。
しかし、シンシアは考える。ヴェインとリリスが人々に徒なす存在となるときには、自分が、殺してでも二人を止めなければならないのだろう。悲壮な考えにシンシアは暫く寝付けなかった。




