第九十話:日常への帰還(後編)
「……そうですか」
彼女に釣られて、玲哉も顔を赤くする。繋いだ手を見つめて、彼は続けた。
「分かりました。それなら、このまま……」
楽しげに呟いて、少年は琴葉の手を引きながら廊下を歩く。その途中で。俯きながら足を進めていた彼女は、ふと立ち止まった。
「あら……? これは、ゴミでしょうか。どうして、こんなところに……」
目線の先。廊下の隅には、丸められた紙が落ちている。綺麗に掃除された床には不釣り合いなそれを見て。女は不思議そうにした。その横で。玲哉が渋い顔をする。
「……片付け忘れただけでしょう。何でもありませんよ」
明らかに嫌そうな、声と態度。その姿は、以前も見たと。琴葉は急に、思いだした。
「……そういえば。昨日、玲哉さんがお手伝いさんから、メモを受け取っていたような。どうでもいいと仰られて捨てられたので、私は結局見ていませんけど……」
気になって、彼女はそこから動けなくなる。その様子を目にして、少年は深々とため息をついた。
「……ええ、まあ。おそらくそれだと思います。捨てたものが、こんな……すぐに目につくような所にあるというのも、おかしな話ですが」
「どなたかが拾われたのでは? ……中に何と書いてあったか、お聞きしてもいいですか」
「…………伝言です」
彼は明らかに、言いにくそうにしている。琴葉は困って、狐の方に目を向けた。小さな生き物は、黙って床に飛び降りる。そして彼は、丸まった紙に向けて前足を伸ばした。シワになった紙がひとりでに浮き上がり、開かれて、そこに書かれた文字が見える。
『桜花家より連絡。神祇省に、琴葉様をお呼びしたいとのこと』
「……私?」
短い文章を目で追って、女は思わず声を上げる。狐は全てを察した顔で、躊躇なく紙に火をつけた。
「そういうことか。どうせ、ろくな話じゃないだろう。放っておくのが正解だよ」
「……そんな」
目の前で、燃えて無くなる紙を見ながら、琴葉は呟く。
「どうせ外に出るのなら、ついでに寄っても良いのでは? 神祇省といえば、佐藤さんたちが勤めていらっしゃる場所ですし……。……それに、その。お父様とお母様のお話も、できるかと」
「……それは、まあ」
苦笑を浮かべて、玲哉が返す。足元に戻った狐が、冷ややかな声で告げた。
「大丈夫。僕が目を光らせていれば、滅多なことにはならないよ」
紙を燃やした狐火が、そのまま廊下の奥へと進む。少し遠くで、何かに火がつき、燃え上がった。炎に包まれたそれは、段々と小さくなっていく。
(……それに、こんなことをした理由も。聞いておかないといけないし)
口には出さず、神は思う。2人が気づかないところで、燃やされた人形は、灰となって風に散らされていった。




