第七一話:黒い影
夕食後。西日が差し込む縁側で、琴葉と玲哉は、並んで座った。整備されていたはずの庭も、今は見る影もなくなっている。
「……家の桜は、もう咲かないんですね。暁明様の神使も……」
真新しい切り株の断面を見て、寂しそうに視線を落とし。呟く彼女に、狐が寄り添う。
「大丈夫。君には僕が付いているから」
「……あ。でも、その。私は穢れているのですが……」
笑う彼に視線を向けて、女は少しためらいながら言葉を発する。隣にいた少年は、その話を聞いて目を細めた。
「ご家族を亡くされたからですか? ……どうかお気になさらずに。宵闇様も、今は僕を優先してくださっているだけで、あなたを避けているわけではありません」
「そうだよ、琴ちゃん。……死者に近づいたとしても、君は綺麗なままだ。安心して」
玲哉の後に、暁明が続ける。その話を聞いて、女は表情を和らげた。沈みかけた太陽が、いっそう赤く輝く。その瞬間に。庭の隅、低木の影になっている場所から、声が聞こえた。
「バカを言うな」
ユラリと影が立ち上がる。深く、濃い闇は、人の形をしていた。その声は、女の父親とよく似ていて。彼女は表情を曇らせる。
「お前は我らを救わなかった。罪人だ。何もかもが終わった今になって、帰ってきても意味はない」
地の底から聞こえてくるような、低くこもった声が。風に乗って、琴葉の元に届く。彼女は体を固くして、影を見つめた。少年は無言で、彼女の肩を抱き寄せる。狐が前に出て、影を見据えた。
「……うるさいな」
尻尾が広がり、その先端に火球が生まれる。それを見て、影は怯んだ。
「優一の霊か。……僕に文句があるなら聞く。だけど琴ちゃんは関係ないだろう。お前が彼女の優しさにつけこんで、死んでもなお、追い詰めようとするのなら。僕はお前を、力ずくで追い払う」
影がゆらめく。慌てたように動き、その場から去っていく黒い塊から目を離さずに、狐は火球を周囲に浮かべた。橙色の炎は、女を守るようにフワフワと中空を漂い始める。
「……玲哉。悪いけど、後は任せる。僕はしばらく、手が離せなくなるから」
そう言って、彼は庭石の上に飛び下りる。少年は真顔で頷いた。
「分かりました。……行きましょう、琴葉さん。あなたはここから離れるべきです」
硬い声で呼びかけられて、女は小さく首肯する。そして彼女は、彼に連れられて立ち上がった。廊下を歩いて、2人は屋敷の奥に入る。小柄な神は、その背が見えなくなるまで油断せず、周囲を見張っていた。




