第五九話:急な連絡
穏やかな時間を過ごして、体の芯まで温まった琴葉は、夢見心地でお風呂から上がった。体を拭き、浴衣に着替えて。彼女は座椅子に座り、足を伸ばす。
「ふわあ……」
口元を手で隠しながら欠伸をする。そしてウトウトとし始めた女の耳に、スマホの着信音が聞こえた。
「……はい。どなたですか?」
玲哉が電話を取る。彼は明らかに不機嫌な様子を見せていた。霞む視界にその姿を捉えた琴葉は、嫌な予感に襲われながら耳を澄ませた。
「……すみません、佐藤さん。今日は僕、オフなので……。……は? なんです、それは。彼女が何故……」
電話の向こうにいる人の言葉は、女には聞こえない。だが、話が進むに連れて、少年の声には険しさが増す。それで彼女も、ボンヤリとしていた意識を引き戻した。彼の話を聞き漏らさないように、彼女は耳をそばだてる。やがて彼は電話を切って、深いため息をついた。
「……馬鹿なことを」
電話に向かって吐き捨てて、玲哉は琴葉の方に視線を向ける。
「あなたはここに居てください。僕だけで片付けてきます。すぐに戻ってきますから……」
そこで初めて。女は真っ直ぐ、少年の目を見た。闇より深い黒瞳は、言葉よりも雄弁に、彼女の思いを彼に伝える。
「――琴葉。今回は止めておけ。ようやく落ち着けたばかりだというのに、こんなことに関わっていては、お前はまた……」
玲哉の目の色が、黒から赤に移り替わる。髪の色が薄くなり、背中を覆うほどに伸びた。いつの間にやら、側に来ていた暁明が、彼を見上げて問いかける。
「君が止めるとは思わなかったな。そんなに危ないことなの?」
「……そうではないが」
宵闇は目線を彷徨わせながら、室内を横切った。そして窓を開け、外に出る。足を一歩踏み出して、彼はそのまま中に浮いた。日中だというのに、その姿は誰かに見られることもなく。温泉街の上空に立った彼は、低い声で話を続ける。
「事は桜花の本家で起きた。……俺の領分ではないが、見過ごすことはできん。覚悟があるのなら、この手を取れ」
青空を背景にして、男は琴葉に手を伸ばす。彼女は立ち上がって窓まで行き、迷わずその手を握った。その両足が地面から浮き上がり、彼女は彼にしがみつく。後から付いてきた狐が、金色の光の筋となって、2人の周りをグルリと囲んだ。
「向こうに行くなら、手伝うよ。……僕も詳しいことが知りたい。あの場所は僕の神域なのに、今はよく見えないんだ。まるで、何かに邪魔をされてるみたいに」
どこからともなく、声が響く。宵闇はその言葉を聞いて、眉間にシワを寄せた。琴葉は彼に、その理由を聞こうとして口を開く。だが、彼女が何かを言う前に。風に乗って散る、桜吹雪に包まれて。2人は一瞬で、その場から消えた。




