第五四話:出発(前編)
「……はい。ええ、そうです。……なるほど。では、お願いします」
朝食の後、玲哉はすぐに電話をかけた。琴葉は彼の側で、その横顔を見つめて待つ。やがて受話器を置いた彼は、彼女の方を見て告げた。
「ちょうど部屋が空いているそうで。僕たちは運が良いですね」
少年の言葉に、女は面食らって口を開けた。彼はそのまま、別のところに電話をする。驚く彼女には構わずに、玲哉は電話を済ませると、そのまま荷物を纏め始めた。1泊分ということで、そこまで荷物は増やさずに、小さめのスーツケースに着替えやタオル等を詰める。そうして、琴葉が呆然と見守る前で、彼はあっという間に準備を終わらせた。
「……さて。それでは参りましょうか、琴葉さん」
差し出された手を、女は戸惑ったまま握る。間を置かずに来たタクシーに、狐と一緒に乗せられて、彼女は首を傾げた。玲哉はケースをドライバーに渡して、後部座席に移動する。
(……あれ?)
彼の手際があまりにも良くて、口を挟む隙もなかった。そのことに驚いて、琴葉は隣に座る少年に目を向ける。
「……ええと、あの。玲哉さんは、随分と慣れていらっしゃるのですね」
「……僕は初めてではありませんから」
苦笑を浮かべて、彼は続ける。
「創銅庵は昔からある宿なのですが、以前に幽霊騒ぎが起きて、人が来なくなったことがあるんです。それを解決したのが僕で……いえ、まあ。正確に言えば、宵闇様の方ですが」
そこで言葉を切って、玲哉は自嘲するように目を伏せる。
「僕はあの人には及ばない。ただの入れ物でしかない。そんなことは、僕が1番分かっています。それでも生きている意味はあると思いたかった」
琴葉は言葉が出なかった。ただ、寂しそうな彼に寄り添うことしかできない。そんな彼女を見返して、少年は真剣な顔をした。
「僕という人格が残った理由。それはきっと、あなたを支えるためなのでしょう。人として、あなたと同じ目線に立つことができる。それが僕の強みです」
その言葉に、何と返そうか迷って。女は口を閉じたまま、彼の黒い目を見つめた。玲哉は表情を和らげて、彼女の手を取り、自分の方に引き寄せる。
「琴葉さん。僕はあなたと同じなんです。死にたいと思ったこともあるし、冷遇されたこともある。同じ痛みを感じた、仲間だと。そう思っていただければ、僕としては十分です」
「……同じだなんて。玲哉さんの方がずっと、辛かったのでは……」
「比べてどうするの、それ。無意味だよ」
掠れた声を出した彼女に、狐が真顔で言い返す。少年は複雑な顔をしていた。




