第五三話:玲哉の提案
「……ねえ、琴葉さん。今はそれほど忙しくはありませんし、どこかでゆっくりしませんか」
翌日の朝。琴葉が目を覚ましたときには既に、玲哉は布団から出て、枕元に座っていた。部屋には低い机が置かれていて、その上には朝食が並べられている。気が滅入っていた自分に気を使って、ここまで持ってきてくれたのだろうと思いながら。彼女は上半身を起こした。
「ええと、それは……」
質問の意味が分からず、女は首を傾げる。その姿を見て、少年が微笑んだ。
「温泉旅館で、1泊2日。露天風呂付きの個室を取って、部屋からは出ず、僕と一緒にすごすんです。……そのくらいの息抜きは許されるでしょう。あなたは色々なものを背負いすぎている。1度、全て下ろしてみてください」
琴葉は何も言えなくなった。玲哉の本気を察したから。
(……それはそうよね。昨日の私は、自分でもおかしかったと思うもの)
布団から抜け出して、女は机の前に膝を揃えて座る。背筋を伸ばした彼女は、箸を取って茶碗を持った。白飯を食べつつ、先程の提案について考える。
(それに、旅行なんて初めてだし……)
琴葉は外に出られなかったせいで、世間知らずになってしまったことを自覚している。けれど玲哉が付いているなら、戸惑うことがあっても大丈夫だろうと。そこまで思考を進めてから、彼女は唐突に気づいた。
(……でも、玲哉さんは? 私に付き合っているだけでは、楽しくないのではないかしら……)
女は食事をしながら、不安げに目線を動かす。その姿を見て、少年はスッと目を細めた。何度言っても自分の価値を低く見積もることに、内心では苛立ちを感じながら。彼は努めて、優しい声を出そうとする。
「……あなたの考えそうなことは分かりますよ。ですが心配は要りません。僕は琴葉さんと旅行が出来るだけで、十分楽しめるので」
思考を読まれた彼女は、目を見開いて固まった。布団の近くに居た狐が、足音を立てずに歩み寄る。
「君は分かりやすいんだよ。もちろん僕も行くからね。2人きりにはしてやらない」
「存じております」
琴葉の向かいに移動して、玲哉も同じように正座し、箸を持つ。そして彼はニッコリと笑った。
「そうと決まれば、すぐに連絡を取りましょう。昔から世話になっている、老舗の旅館があるんです。そこならすぐに、予約を取れるはずですから」
「……楽しみにしています」
何と返そうか迷って、女は結局それだけ言う。少年は満足そうに頷いた。そしてそれからは、朝食を全て片付けるまで、2人の間に会話はなかった。




