第五話:橘の家
「琴ちゃん、楽しい?」
狐が琴葉に声をかける。彼女は慌てて、顔を上げた。
「……は、はい! ええと……」
神に抱え上げられている。そのことを、申し訳なく思いながら。女は懸命に言葉を続けた。
「……あの、本当にありがとうございます。力を引き出していただいただけでなく、こんなに素晴らしい体験もさせてもらえて……このお礼は、必ずします。雑用でも、何でも……!」
「……では、俺の婚約者となってくれ」
宵闇が薄く笑む。狐は尻尾で、彼の頭を軽く叩いた。
「琴ちゃん。この馬鹿の言うことは、真面目に聞かなくていいからね」
「は……その、あの……」
琴葉が戸惑う。狐は柔らかな声音で言った。
「君の……桜花の神は僕だろう? 社においで。僕と永遠を共にしよう」
彼の言葉に、彼女は宵闇と狐を見比べて、困ったような顔をする。その姿を見て、狐はため息をついた。
「……すぐに決めることは出来ないか。いいよ。僕は優しいから、いつまででも待っていてあげる。まずは橘花の本家に行こう。そこでゆっくり、休むといい」
「勝手に決めるな。お前は、まったく……」
そう言いながらも、宵闇は風に乗って移動する。都を挟んで、反対側にある橘花の屋敷へと向かって。
「俺の客だ。丁重にもてなせ」
屋敷に到着した彼は、空から庭に下りて告げた。家の中が騒がしくなり、使用人たちが集まってくる。彼らの前で、琴葉の体を縁側に横たえて、男は眉間に皺を寄せた。狐がスルスルと床に移動して、琴葉にすり寄る。
「……そろそろか。俺は、少し休む。いいか、お前たち。その娘は、俺の宝と心得よ」
その言葉を残して、宵闇はどこかへ行ってしまう。残された琴葉は、体を起こして周囲を見た。
『……お初にお目にかかります、お嬢様』
使用人たちが一斉に、女に向かって頭を下げる。その中の1人、老いた侍従が顔を上げて、彼女を見た。
「我々は、宵闇様にお仕えする者。その望みを、叶えるために生きる者です。どうぞこちらへ。お客様……それも宵闇様の宝とあらば、無下にするわけには参りません。すぐに、お部屋をご用意いたします」
「……は、はい! よろしくお願いいたします……」
琴葉は恐縮した様子で、挨拶を返した。そして狐を肩に乗せて、侍従に招かれるまま、屋敷の奥へと歩みを進める。橘花と桜花、家は違っても、その構造は大きく変わることはなかった。彼女が案内されたのは、当主の部屋のすぐ隣。本来であれば、正室に与えられるべき部屋だった。




