第三八話:お出かけ(後編)
「大丈夫」
狐が微笑む。他人には聞こえない穏やかな声で、彼は琴葉に囁きかけた。
「君は外に出たことがないんだから、戸惑うのは当たり前だよ。閉じ込めていたのは僕だから、君には何一つ非はない。責められるべきは僕の方だ」
「……そんな」
目を伏せながら、彼女は出来上がった品物を受け取る。狐はその肩から飛び下りて、空いた席に着地した。
「おいで、琴ちゃん」
彼に呼ばれて、女は大人しく席につく。焼き立てのトーストは、香ばしい香りを漂わせていた。
「……あ」
そして彼女は、フォークを取ってくるのを忘れたことに気づいて動く。その姿を見ながら、神は笑みを深めた。
(慌てる琴ちゃんも可愛いなぁ。……早く僕のものになればいいのに)
彼は尻尾をパタリと動かす。本体が社に縛られている今は、小さな端末を動かすことしかできない。それが少しだけ口惜しくて、狐は目を細める。
「……ねえ。君はいつまで、続けるの?」
戻ってきた琴葉は、その意味が分からず首を傾げる。小さな動物は、彼女を見上げて続けた。
「今の仕事。……幸いなことに、玲哉は分かっているようだけど。どれもこれも、君に任せるようなことじゃない。他の人間でも出来ることだ。つまらないと思わない?」
「――いいえ」
少し沈黙した後に、やっと彼の意図を察して。彼女は小さな声で、ハッキリと告げる。
「私は、皆様のお役に立てることが嬉しいのです」
「……君はそうだろうね。だけどさぁ」
予想通りの答えに、狐は深々とため息をつく。
「僕は納得できないよ。政府も、家も。君を利用しているという意味では、大差はない」
女は困ったような顔をした。
「……仮にそうだとしても、私は構いません。それに」
僅かに頬を赤らめて、彼女は続ける。
「……その。実は少しだけ、望んでいることがありまして」
「へえ、何?」
彼の声が低くなる。彼女は俯きながら続けた。
「……ええと。また、暁明様に褒めて頂けたら、なんて……」
後半はほとんど聞き取れないくらいの声で言い、琴葉は照れ隠しのためかサラダを食べ始める。彼女の神は、虚を突かれたような顔をした。
「…………え?」
願われることは、何度もあった。けれど、そんなことを願われたのは初めてで。それが、誰よりも大切な巫女の願いであることもあって、彼の理性は吹き飛んだ。
「……かっわいい……。何それ。いいよ、叶えてあげる」
狐の体が膨れ上がる。大きくなった彼は、彼女の頭に手を伸ばして、優しく撫でた。
「いい子、いい子。琴葉ちゃんは偉いね。生きているだけでも偉いのに、もっと頑張ろうとするなんて。僕の可愛い子。ずっと一緒にいようね」
「……うう」
気恥ずかしさに、琴葉は食べ物の味も分からなくなる。それでもその手を拒むことは出来なくて、彼女は彼が満足するまで、ずっとされるがままだった。




