第十六話:初仕事(後編)
「……そろそろ、時間ですね」
一通りの確認を終えた後で、玲哉はそう言って地図をしまう。
「それでは、行きましょうか」
立ち上がり、彼が差し伸べてきた手を取って。琴葉は笑顔で頷いた。玄関を通り、本家の前を通る大通りでバスに乗る。混み合う車内で、2人は邪魔にならないように詰めて立った。
(……玲哉さんが、近い……)
息がかかるような距離に、彼がいる。そのことに、彼女は少し緊張していた。心臓の鼓動が早くなる。
「……どうかなさいましたか?」
少年が、小声で女に話しかける。琴葉は、その優しげな笑みを見てホッとした。緊張が解けて、微笑みが浮かぶ。
「いいえ、何でも……」
穏やかな時間。だが、それは一時のことだった。駅に着き、バスから降りた2人に、背後から声がかけられる。
「久々に会うわね、お姉様。それに、あら……今日は宵闇様ではないのですね。初めまして、玲哉様」
声の主は青葉だった。私服に濃い目の化粧をした少女は、傍目には普通の女子にしか見えない。桜花でも随一と褒めそやされた美貌を持つ娘は、立っているだけで人の視線を集めていた。その美しい顔を歪めて、彼女は続ける。
「お姉様ったら、相変わらず気が利かないんだから。服を揃えるのなら連絡してよね」
その言葉に、琴葉は戸惑う。
「いえ、あの……これは別に、示し合わせて揃えたわけじゃ」
「嘘つき。まあいいわ。同じ家に住んでいるんだもの。お姉様が抜け駆けすることくらい、分かっていたから」
言い捨てて、青葉は玲哉の腕に抱きつく。
「ねえ、玲哉さん。宵闇様は来てくださらないの?」
「……いらっしゃいませんよ。当たり前でしょう? 何事もなければ、この仕事は僕だけで終わります」
それまでと同じ丁寧な口調には、僅かに怒りが滲んでいる。彼は掴まれた腕を振り払って、冷たく告げた。
「本当なら、琴葉さんに来ていただく必要もなかった。彼女が喜んでくれたからいいようなものの……ワガママも程々にしてください。第一、あなたは桜花家の跡継ぎでしょう。橘花の管轄に、踏み入らないでほしいのですが?」
「……お、お姉様だって桜花の娘よ」
突き放された青葉は、それでも気丈に言い返す。玲哉はニッコリと笑って言った。
「彼女は僕の婚約者です。橘花を共に守っていく方と仕事をするのは、おかしなことではありません。少なくとも、あなたよりは余程相応しいと思いますよ」
彼女が強く歯噛みして、琴葉を睨む。琴葉は気圧されて、立ち尽くした。




