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第64球 奇跡の向こう側

―――カッッッッッ!!!!


世界から音が消えた。

俺のそして親友の理想のスイングから放たれた打球。

その心地よい感触だけを掌に残し、俺の周りの時間の流れが完全に停止した。


永遠にも思えるその一瞬の静寂の中。

俺は見た。


マウンドの上で全てを出し尽くし膝から崩れ落ちるレクスの姿を。彼の絶対王者としての仮面が剥がれ落ち、ただの一人の野球小僧として、その打球の行方を信じられないという瞳で見上げている。

三塁ベース上でスタートを切ったゼノが、その皮肉な笑みを消し、ただ勝利だけを信じてホームへと向かっていくのを。

二塁ベース上でバルガスがその巨体を揺らし、人生で一番必死の形相で地面を蹴るのを。

一塁ベース上でリコがその小さな体で仲間たちの未来を、その両足に懸けて走っているのを。

そして俺たちのベンチでルーナが、グランが、仲間たち全員が祈るようにその打球の行方を見つめているのを。


打球は夜空を切り裂く一本の白い槍となって、センター方向へと突き刺さるように飛んでいった。

それはホームランのような美しい放物線ではない。

ただひたすらに低く速く、相手の完璧だったはずの守備網を食い破るための、俺たち全員の執念の弾丸だった。


―――時間が動き出す。


「「「いけええええええええええええええっ!」」」


スタジアム中の数万の観客の絶叫が俺の鼓膜を揺さぶった。

俺は我に返り、一塁ベースへと全力で走り出していた。


帝国のセンターを守るのは鷹の獣人ゼピュロス。

世界最高の守備範囲を誇る最後の門番。

彼はその鷹の瞳で完璧に落下地点を予測していた。

そしてその風を切り裂く翼で猛然とダッシュする。


「(間に合う! 間に合え! 我らが帝国の栄光が、こんな田舎者たちの奇跡ごときの前に終わってたまるか!)」


彼は地面スレスレでその身を投げ出した。

グラブが一直線に白球へと伸びる。

捕れるか――!?

抜けるか――!?


歓声と悲鳴が入り混じる。

打球は必死に伸ばされた彼のグラブの、その先端のほんの数センチ上を無情にも通り過ぎていった。


ザシャアアァァッ!


ボールは外野の芝生をえぐり、勢いを殺すことなく転々と最も深いフェンスまで転がっていった。


その瞬間、俺たちの勝利への道が開かれた。


三塁ランナーのゼノが同点のホームイン。

スコアは6-6。

ベンチが爆発する。


だがまだだ! まだ終わらない!


二塁ランナーのバルガスがその巨体を揺らし、必死の形相で三塁ベースを蹴った。

彼の肺はもう限界のはずだ。足も鉛のように重いはずだ。

だが彼は走るのをやめない。

4番としての誇りを懸けてその魂を燃やし尽くす。


ボールが中継のショートへ渡る。

ショートからキャッチャーへ。

帝国の完璧な中継プレー。

レーザービームのような送球。

クロスプレー。

間に合うか――!?


「うおおおおおおおおっ!」


バルガスはもはやスライディングですらなかった。

彼はただ自分の巨大な体をホームベースへと投げ出した。

その泥だらけの体が相手捕手を吹き飛ばし、ホームベースに叩きつけられる。


「セ―――フ!」


審判の腕が大きく横に広げられる。

サヨナラ。

逆転。


試合終了。



俺が二塁ベースを蹴ったところでそのコールを聞いた。

足が止まる。

膝から力が抜けていく。


(……終わった……のか……?)


信じられなかった。

あの絶望的な点差を、あの神のごとき絶対王者を、俺たちが本当に打ち破ったなんて。

俺はその場に膝から崩れ落ちた。


その瞬間、俺の中で張り詰めていた全てのものが一気に溢れ出した。

監督としての重圧。

転生者としての孤独。

親友を壊してしまった後悔。

仲間をまた壊してしまうのではないかという恐怖。

その全てが熱い熱い涙となって、俺の頬をとめどなく流れ落ちていった。


「う……うわあああああああああああああっ!」


俺は子供のように声を上げて泣いた。


「キャプテーン!」

「ソラァァァァッ!」


次の瞬間、俺の体は歓喜の雄叫びをあげる仲間たちによってもみくちゃにされていた。

バルガスが俺を軽々とその巨大な肩に担ぎ上げる。

「見たかコラァ! これが俺たちのキャプテンだ!」

「親方! 最高だぜあんた!」

グランが負傷していない方の腕で俺の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。

「ソラさん! やりました! やりましたね!」

ルーナがベンチで号泣している。

エルマもゼノもカイもリコもフィンも、誰もが最高の笑顔で俺の名前を叫んでいた。


スコアボードが最後のスコアを誇らしげに表示していた。

『6-7X』。

信じられない奇跡の大逆転劇。


俺は仲間たちに担がれながら空を見上げた。

そこには俺がこの世界に来てから見た中で、一番美しい紫と緑の月が浮かんでいた。

小国アークランドが数多の強豪を打ち破り、世界の頂点に立った歴史的な瞬間だった。


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