第6球 ハンマーとプライド
地方大会一回戦、対ゴルダ・ハンマーズ戦の当日。
試合前のロッカールームは、張り詰めたというより、どこかギスギスとした空気に満ちていた。あの大惨敗から数日、俺たちがまともにチーム練習をできた時間は、ほとんどない。
「……なあ、キャプテン。本当に勝てるのかよ、今日」
ポツリと、誰かが不安を口にする。
その一言が、チーム全体の疑念を代弁していた。俺への不信感。俺の知識への失望。それが霧のように、この狭い空間に充満している。
俺は、前夜にルーナと二人で練り上げた、新しい設計図を手に、選手たちの前に立った。
深呼吸を一つ。
もう、俺はこいつらに、俺の知識を押し付けない。
俺がやるべきは、こいつら一人ひとりの魂に、直接語りかけることだ。
「……まず、グラン」
俺が最初に名前を呼んだのは、一番の頑固者であるドワーフの投手だった。彼は腕を組み、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いている。
「お前の今日の仕事は、9回を投げきることじゃない。試合に勝つことでもない」
「ああん? ならワシは何をしにマウンドに上がるんだ」
「相手の4番、ダインを、お前の力で三振させること。それだけがお前の仕事だ」
「……なんだと?」
グランの眉が、ピクリと動く。
相手の4番ダインも、グランと同じドワーフ族。そのパワーは、地方大会でも屈指と噂されている。
「他の打者は、俺の指示通りに投げてくれ。そうすれば、必ずお前とダインが、最高の舞台で勝負する場面を作ってやる。どうだ? ドワーフの誇り、見せてみないか」
俺は挑戦的に笑いかける。グランは「……ふん、面白い」とだけ呟き、再び黙り込んだ。だが、その瞳の奥に、確かな闘志の火が灯ったのを俺は見逃さない。
「次に、バルガス」
「おう、なんだ!」
ミノタウロスの巨漢が、椅子をギシギシいわせながら応じる。
「お前には今日、ホームランを打つなとは言わない。だが、お前の本当の舞台は最終回に用意する。それまでは、俺のためにその有り余る力を貸してほしい。いいか、お前は俺たちの『最終兵器』だ。出番が来るまで、牙を研いでおいてくれ」
「最終兵器……俺が……」
バルガスは、その単純な言葉に目を輝かせている。単純だからこそ、こういう「役割」を与えることが、彼のモチベーションを最大限に引き出す。
「カイ、リコ」
猫族の獣人と、ホビット族の小さなコンビが顔を上げる。
「お前たちの仕事は、ヒットを打つことじゃない。グラウンドを掻き回し、相手の集中力を根こそぎ奪うことだ。ルールの中でなら、何をやってもいい。盗塁、揺さぶり、挑発……好きにやってこい。お前たちは、この試合の『かく乱者』だ」
「ニャるほど。それは面白そうだニャ!」
「任せてください、キャプテン!」
俺は、一人ひとりの目を見て、彼らの種族としての誇りや、彼らの魂が本当に求めるものを、言葉にして与えていく。
エルマには「エルフの美学で、相手の守備の穴を正確に射抜いてほしい」と。
ゼノには「お前のトリッキーな剣術のように、誰も予測できない一打を期待している」と。
ミーティングが終わる頃には、ロッカールームを支配していたギスギスした空気は消え、代わりに、奇妙な熱気と期待感が生まれていた。
俺は最後に、全員に告げた。
「俺は、前の試合で間違っていた。俺の知識を、お前たちに押し付けた。だが、もうやらない。今日からは、お前たちの力を、俺が繋ぎ合わせる。――勝利への道筋は、俺が再定義した。あとは、お前たちがその舞台で、最高のパフォーマンスを見せるだけだ。いくぞ!」
「「「応っ!!」」」
初めて、チーム全員の声が一つになった。
◇
試合開始。
1回表、アークスの攻撃。
俺の宣言通り、1番リコと2番カイは、徹底したかく乱戦法に出た。
リコがしぶとく四球を選ぶと、カイの打席で、執拗に盗塁を仕掛けるフリをする。相手のドワーフ捕手は、その俊敏な動きに翻弄され、パスボール(捕球ミス)を犯してしまう。
その隙に、アークスは労せずしてチャンスを広げた。
「いいぞ! もっと揺さぶれ!」
俺はベンチから叫ぶ。
この回は得点に至らなかったが、相手守備陣に「こいつら、何かやってくるぞ」という焦りを植え付けるには、十分すぎる攻撃だった。
そして1回裏、アークスの守備。
マウンドには、グランが仁王立ちしている。俺はキャッチャーマスクを被り、彼の後ろに座った。
「(さあ、ここからが本当の勝負だ)」
俺はグランに、外角低めへのスローカーブのサインを送る。
グランは一瞬、眉をひそめた。
「(……親方め。本当にこんなションベンカーブで、あのゴリラどもを抑えられるというのか?)」
グランの心の声が聞こえるようだ。だが、彼は俺と交わした「約束」を思い出し、コクリと頷くと、そのサイン通りに腕を振った。
ふわりと投げられたボールは、大きな弧を描いてキャッチャーミットに収まる。
「ストライーク!」
相手の1番打者は、あまりに遅い球にタイミングが合わず、見送るしかなかった。
「な、なんだあの球は!?」
「嘗めとんのか、コラァ!」
ゴルダのベンチから野次が飛ぶ。
パワー自慢のゴルダ打線は、俺のその挑発的なリードに、まんまと乗ってきた。
誰もが、力任せにフルスイングしてくる。だが、狙いが絞れていない大振りでは、グランの緩いボールに当たるはずもない。
「カッ!」
鈍い音を立てて、打球は力なくピッチャーの前に転がる。
「アウト!」
「これも内野ゴロだ!」
面白いように、凡打の山が築かれていく。
グランは、自分の投げた「ションベンカーブ」が、いとも簡単にドワーフの強打者たちを打ち取っていく光景を、信じられないという顔で見ていた。
「(……すげえ。これが、親方の言っていた『再定義』か……!)」
グランは、徐々に俺のリードを信頼し始める。彼の投球は、無駄な力が抜け、よりキレを増していった。
そして、4回裏。
ワンアウト・ランナー無しで、ついにその男がバッターボックスに入った。
相手の4番、ダイン。グランと同じドワーフ族で、そのパワーは地方最強と噂される男だ。
「ウオオオオオ! ダイン! ここで一発見せろやあ!」
「あのヒョロヒョロピッチャーを粉砕しろー!」
スタジアムのボルテージが一気に上がる。
俺は、マスクの下で静かに笑った。
「(待たせたな、グラン。ここがお前の仕事場だ)」
俺は、この試合で初めて、そしてただ一度だけ、ストレートのサインを送る。
――インコース高め。力と力が、真正面からぶつかり合う、一点の曇りもない、フルパワーの勝負球。
サインを見たグランの目が、カッと見開かれた。
「……ウオオオオオオオオッ!」
ドワーフの誇りを懸けた雄叫びが、マウンドから響き渡る。
グランは、地面が抉れるほどの力でプレートを蹴り、渾身の力を込めて、その右腕を振り抜いた。
放たれたボールは、唸りを上げて、ダインの胸元へと突き刺さるように飛んでいく。
対するダインも、その勝負球を待っていたかのように、全身のバネを使ってバットを振り抜いた。
キィィィィン!
スタジアム中の誰もが、息をのむ。
凄まじい金属音と衝撃。
だが、ダインの振ったバットは、ほんの数センチ、ボールの下を空しく切り裂いていた。
「ストライィィィク! バッター、アウト!」
審判のコールが響き渡る。
空振り三振。
グランは、マウンド上で天に向かって雄叫びを上げた。そのプライドは、最高の形で満たされた。
彼は、完全に俺を「親方」と認め、その後の投球は、まるで神が乗り移ったかのように、安定感を増していった。
俺は、マスクの下で静かに笑みを浮かべる。
「(第一段階、クリアだ。ここからが、俺たちの本当の野球だ)」