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第58球 砕かれる希望

1回の攻防が終わった。

だがそれはもはや「攻防」と呼べるような代物ではなかった。

一方的な蹂躙。

絶対的な王者が挑戦者の淡い希望を、その圧倒的な力で容赦なく踏み潰した、ただそれだけの時間だった。


ベンチに戻ってきた仲間たちの顔には色が無かった。

ショック、驚愕、そして理解不能なものに遭遇してしまったことによる純粋な恐怖。

あの自信に満ち溢れていた試合前の威勢のいい声はもうどこにもない。

あるのは重く息苦しい、絶望的な沈黙だけだった。


「……キャプテン」

バルガスがかすれた声で俺に問いかける。

「……今のはなんだ? 俺は今、何を見せられたんだ……?」

「……」

俺は答えることができなかった。

俺自身もまたそのあまりにも次元の違う力の前に、完全に打ちのめされていたのだから。


2回表、アークスの攻撃。

マウンドには依然としてあの神のごとき男が君臨している。

レクス。

彼は先ほどの自らのホームランにも何の感情も見せず、ただ静かにそして冷徹に俺たちを見下ろしていた。


この回の先頭打者はフィン。

彼はこのチームで最も勇気のある男だ。

彼は恐怖に震える足を叱咤し、必死でレクスに食らいつこうとした。

ファウルで粘る。

だがその執念も絶対的な力の前にやがて尽きた。

彼の渾身のスイングは空を切り、空振り三振。


続くピッチャーのグランも心ここにあらずといった様子で、呆気なく三振に倒れる。


そして再び一番のリコ。

彼は最初の打席での恐怖を振り払うように、今度は作戦を変えてきた。

セーフティバントだ。

彼はその小さな体を極限まで使い、完璧なバントを一塁線に転がした。

奇襲は成功したかに見えた。


だが。

帝国の一塁手―――熊の獣人のような巨漢の男が、その巨体からは想像もつかないような俊敏な動きでボールを素手で掴むと、走ってくるリコをそのままタッチしてアウトにした。

俺たちの得意なはずのスピードですら、彼らの前では通用しなかった。



2回裏、帝国の攻撃。

ここからが本当の地獄の始まりだった。

レクスだけではない。

帝国の選手たちはその全員が、他の国なら4番でエースを張れるほどの怪物たちの集まりだったのだ。


二番打者。

風を操るエルフ族の剣士。

彼がヒットで出塁すると、次の瞬間にはもう二塁ベース上にいた。

盗塁。

そのあまりにも速すぎるスタートに俺は送球することすらできなかった。

「(……速い!)」

「(カイよりも速いだと……!?)」

ショートのカイがその事実を信じられないという顔で見つめている。


続く三番打者。

山のような巨人族ギガントの戦士。

彼はマウンドのグランをまるでゴミでも見るかのように見下ろすと、その棍棒のようなバットを軽々と振り抜いた。

打球は高く高く舞い上がり、犠牲フライとなるには十分すぎる飛距離で外野へと飛んでいく。

あっさりと追加点。

スコアは4-0。


グランの心が折れていくのが分かった。

俺はヤマトから託された虎の子のデータを必死で活用しようとした。

相手打者の僅かな弱点を突く配球を組み立てる。


「(……データではこいつは内角のスライダーに弱いはずだ!)」


グランも俺の意図を汲み、完璧なスライダーを投げ込む。

相手打者の体勢が確かに崩れる。

よし、打ち取った!

俺がそう確信した瞬間。

相手打者はその崩れた体勢のまま、ありえない腕力だけでバットを振り抜いた。

打球は力なく詰まっていたはずなのに、ぐんぐんと伸びていき外野のフェンスに直撃した。

タイムリーヒット。


「(……嘘だろ)」

俺は呆然とした。

「(データは正しい。弱点は確かにそこにあった。だがそれを圧倒的な身体能力で無理やりねじ伏せやがった……!)」

「(まるで竜の弱点が腹の逆鱗だと分かっていても、その圧倒的な力の前に近づくことすらできないように……!)」

「(……これが詰み、か……!)」


帝国の猛攻は止まらない。

3回、4回、5回とイニングは進んでいくが、点差はじわじわと、しかし確実に広がっていった。

5-0。

そして6-0。

俺たちアークスはまだ一本のヒットも打てていない。


スタジアムの空気はもはや試合を楽しむものではなくなっていた。

それはただ絶対王者の圧倒的な力を確認するだけの儀式。

俺たちアークスに向けられる視線は期待から同情へ、そして憐れみへと変わっていった。

スタンドで俺たちの戦いを見守ってくれていたダインやコジロウたちも、ただ黙ってそのあまりにも残酷な光景を見つめているだけだった。



5回の裏が終わった。

スコアは6-0。

俺たちはベンチで誰一人として言葉を発しなかった。

バルガスはもう怒る元気もなく、ただ虚ろな目で自分のバットを見つめている。

エルマは1回に砕け散った自分のバットの破片をただ集めている。

リコは俯いて必死で涙をこらえていた。

ルーナはもう俺に差し出すべきデータを持っていなかった。


『……こ、これはあまりにも一方的な試合展開です!』

スタジアムのアナウンサーの声が残酷に響き渡る。

『若き挑戦者アークランド・アークス! 懸命に戦ってはいますが、絶対王者ヴァルム帝国との力の差はあまりにも大きい! 果たして彼らの心が9回の終わりまで持つのでしょうか!』


その憐れみに満ちた言葉が俺の心を抉った。


俺はベンチの一番端で一人、自分の震える手を見つめていた。

俺は全てを出し尽くした。

俺が日本で学んだ知識を。

ヤマトが託してくれたデータを。

そしてこの最高の仲間たちの理不尽なまでの個性を。

だがその全てがこの本物の『神』の前では何の意味もなさなかった。


「(……これが壁か)」

「(俺がこの世界に来て最初にぶち当たった、あの絶対的な理不尽の壁……)」

「(俺はチームワークで戦術で絆の力で、その壁を乗り越えられると信じていた。だがそれは幻想だった)」

「(壁が俺の想像していたよりも遥かに、遥かに高かっただけだ。……その頂上が見えないほどに……)」


チン、と軽いベルの音が6回表の攻撃の開始を告げる。

だが俺は動けなかった。

仲間たちにかけるべき言葉が見つからなかった。

俺はただ唇を血が滲むほど強く噛みしめることしかできなかった。

口の中に広がる鉄の味が、まるで俺たちの敗北の味のように感じられた。


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