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第55球 決勝前夜の決断

コーシエン準決勝を奇跡的に突破したその夜。

俺たちアークスの宿舎の作戦会議室。

その空気は勝利の熱狂からは程遠い、静かでそしてあまりにも重い緊張感に支配されていた。


テーブルの中央にはヤマトの主将コジロウから託された黒い魔力水晶が静かな光を放っている。

その水晶が壁一面のスクリーンに、俺たちが明日戦うべき『神』の姿を映し出していた。


「……これが絶対王者ヴァルム帝国。そしてその王レクスに関する全てのデータです」


ルーナの声が震えている。

彼女はこの一年ヤマトが血と汗と屈辱の中から紡ぎ出してきた、そのあまりにも膨大なデータを俺たちのために再解析してくれていたのだ。

そしてそのデータが指し示す結論は。

ただ一つだった。


「まず投手としてのレクス」

ルーナが水晶に触れると画面が切り替わる。

「彼の平均球速は198km/h。最高球速は今大会で記録した201km/hです。ですが本当の脅威はその球速ではありません」


彼女はヤマトが特殊な魔術を使って解析したというボールの軌道データを表示した。

「見てください。彼の投げるボールには常に微弱ですが指向性の重力魔法が付与されています。これにより彼のボールは物理的な重量以上に打者のバットに重い衝撃を与える。これが並の打者ではバットをへし折られてしまうカラクリです」


「……重力魔法だと?」

グランが唸る。

「そんなもんルール違反じゃねえのか!?」

「いえ」とルーナは首を振る。「彼の竜人族としての固有能力スキルの範疇と判断されています。魔法を『使っている』のではなく、彼の肉体そのものが魔法なのです」


絶望的な事実。

ルーナはさらに続けた。


「彼が操る変化球は七種類。その全てが地方大会のエース級のウイニングショットに匹敵します。ですがヤマトの一年間に及ぶ分析の結果、たった一つだけ僅かな癖が発見されました」

「……癖だと?」

「はい。彼が精神的に極限まで追い詰められた時。そのスライダーのリリースポイントが通常よりも約3ミリ、下にズレる傾向があると」

「……3ミリ……」


それはもはや希望というより天の糸を掴むような話だった。

最後に彼の打者としてのデータが表示される。

「打者としても彼は完璧です。選球眼、パワー、技術、その全てが規格外。ですがここにも一つだけ……」

ルーナは震える指で、あるコースを指し示した。

「内角高めの速球のさらに上。そしてその対角線となる外角低めへのチェンジアップ。この二つのコンビネーションに対してのみ、彼の空振り率が僅かに上昇するというデータがあります」


分析が終わった。

部屋は死んだような沈黙に包まれた。

そこに映し出されたのはあまりにも完璧で、あまりにも強大すぎる一人の『神』の姿だった。


「……つまりだ」

バルガスが乾いた声で言った。

「あの化け物を精神的に極限まで追い詰めて、3ミリのズレを見抜いて、そして神様みたいなコントロールで針の穴を通すようなコンビネーションを決めなきゃならねえってことか」

「……」

「……無理だろ、そんなの」


その絶望的な一言がチーム全体の心を代弁していた。

そうだ。

普通の野球をしている限り、俺たちに勝ち目は万に一つもない。

その重い重い空気を断ち切るように、俺はゆっくりと立ち上がった。



俺は自分の部屋からあの俺自身が封印したはずの小さな木箱を持ってきた。

仲間たちが訝しげな顔で俺を見ている。

俺はその箱の錠を静かに外した。

そして中から一枚の丸められた羊皮紙を取り出し、テーブルの上に広げた。

そこに描かれていたのは、俺たちの最後の、そして最強の切り札『アルカヌム』の設計図だった。


「……これは?」

「俺たちの最後の賭けだ」


俺は仲間たちに全てを話した。

マギノグラム戦の後、俺がどれほど追い詰められていたか。

仲間たちをこれ以上危険に晒すのがどれほど怖かったか。

そしてこのあまりにも危険すぎる諸刃の剣を、自らの手で封印したことを。


「……悪かった」

俺は仲間たちに深く頭を下げた。

「俺はお前たちを信じ切れていなかった。お前たちのその無限の可能性を、俺のちっぽけな過去のトラウマで縛り付けようとしていた。……監督失格だ」


仲間たちは何も言わない。

ただ黙って俺の次の言葉を待っている。

俺は顔を上げた。

その瞳にはもう迷いも恐怖もなかった。


「だがもう迷わない。ヤマトが俺たちに道を示してくれた。俺たちが進むべき、たった一つの道を」

俺はアルカヌムの設計図を強く指差した。


「―――これを使う」

「……!」

「今の俺たちが、あの神のごとき帝国に勝つ方法はこれしかない!」


俺はその狂気の作戦の全貌を仲間たちに説明し始めた。

ホームスチール偽装、盗塁、バスター。

三つの事象を完全に同時に発動させ、相手の完璧な思考に強制的にバグを生み出させる禁断の魔術。


選手たちはそのあまりにも複雑で、そして常軌を逸した作戦の難易度に息をのんだ。

長い長い沈黙が部屋を支配する。

俺は静かにその答えを待った。


「……このプレーは」

俺は言った。

「お前たちの俺への絶対的な信頼と、そしてお前たちの仲間への絶対的な信頼がなければ、決して成立しない」

「……」

「一つの躊躇いが、一つの疑いが全てを崩壊させる。そして誰かを危険に晒すことになるかもしれない」

「……」

「だから強制はしない。もしこの中に一人でもこの作戦は無謀すぎるとそう思う者がいるなら、俺はこの作戦を今すぐ捨てる。そして別の道を探す」


俺は仲間たちの顔を一人ひとり見つめた。

その答えを待った。



その重い沈黙を破ったのは。

意外にもグランだった。

彼はベンチで治療中の腕をさすりながら、静かに、しかし力強く言った。


「……親方よぉ」

「……グラン」

「ワシらがこれまで戦ってきた戦いが、一度でも無謀じゃなかったことがあったかよ?」

「……!」

「俺たちは最初から小国の寄せ集めの負け犬チームだ。そんな俺たちが神々に挑もうってんだ。無謀で当たり前じゃねえか」


彼はニヤリと、そのドワーフらしい豪快な笑みを浮かべた。

「ワシはもう投げられねえ。だがワシの魂はお前たちと共にある。―――やろうぜ親方。面白えじゃねえか」


その一言が狼煙だった。

次に立ち上がったのはバルガスだった。

彼はテーブルをドン!と強く叩く。


「そうだぜ! ごちゃごちゃ難しいことは俺には分かんねえ!」

「だがキャプテンがあの竜野郎をぶっ飛ばすためにこれしかねえって言うなら、俺はそれに乗るだけだ!」

「俺はあんたを信じるぜキャプテン!」


そしてエルマが静かに立ち上がった。

「……狂気の沙汰ですわね」

彼女はそう冷ややかに言い放った。

「ですが」

彼女は続ける。

「―――狂気でしか神は殺せないのかもしれませんわね。私も乗りましょう。この無謀な賭けに」


ゼノがやれやれと肩をすくめる。

「……仕方ありませんね。この自殺行為同然の祭りに付き合って差し上げましょう」

カイが、リコが、フィンが。

一人また一人と、仲間たちが静かに、しかし力強く頷いていく。

誰一人として反対する者はいなかった。


俺はこみ上げてくる熱いものを必死でこらえた。

そして声にならない声でただ一言だけ呟いた。

「……ありがとう」


俺たちはこの夜、最後の、そして最高の覚悟を決めた。

俺たちの全てを懸けて最強の敵に挑む覚悟を。


最後の円陣。

俺たちは全員で手を重ね合わせた。

それはもう熱狂的な雄叫びではなかった。

静かで、しかしどこまでも固い鋼のような誓いの声だった。


「「「―――アークス」」」


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