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第54球 託された意志

ヤマト・サムライズとの死闘の直後。

俺たちアークスのロッカールームはこれまでのどの勝利の後とも違う、一種独特の熱狂に包まれていた。

それはただの勝利の喜びではない。

監督である俺の常識を放棄した『賭け』に選手たちがその『本能』で応え、そして完璧な『組織』を純粋な『混沌』が打ち破った。

そのあまりにも劇的な、そして美しいカタルシス。

俺たちは自分たちの野球の新しい可能性の扉を、自らの手でこじ開けたのだ。


「うおおおおおっ! 見たかキャプテン!」

バルガスが汗だくの子供のような笑顔で俺の元へ駆け寄ってくる。

「考えないでぶっ飛ばす! 最高だぜこれ!」

「ニャはは! 俺もだニャ!」

カイも興奮冷めやらぬ様子でその尻尾をぶんぶんと振っている。

「サインなんてクソくらえだニャ! 好きに走るのが一番速いんだニャ!」


そのあまりにも純粋な野生児たちの言葉に俺は苦笑するしかない。

「……お前らなあ。あれはあくまで緊急事態の最終手段だぞ」

「ええ。常にあのような戦い方をされてはこちらの身が持ちませんわ」

エルマがやれやれと美しい額の汗を拭う。

「ですが」

彼女はちらりとバルガスとカイを見て続ける。

「……あの理屈を超えた一撃の破壊力。あの常識を掻き乱す混沌の美しさ。それもまた我々アークスの一つの『真実』なのでしょう」


彼女の言葉にゼノも静かに頷いた。

そうだ。

俺たちはまた一つ強くなった。

制御された『戦術』と制御不能な『本能』。その両極端の武器を俺たちは手に入れたのだ。


その時だった。

ロッカールームの扉が静かにノックされた。

入ってきたのはコーシエンの運営委員会の役員だった。

彼は俺の前に立つと恭しく告げた。

「アークランドの将ソラ殿。ヤマト・サムライズの主将コジロウ殿が、あなた様とプライベートでの面会を求めておられます」

「……コジロウ殿が?」


俺は驚いた。

負けた相手が勝った相手に面会を求める。

それはこの勝者が全てを決めるコーシエンの世界では、極めて異例のことだった。


「場所はスタジアムの中庭、『静寂の庭園』にてと」

「……分かった。すぐ行くと伝えてくれ」


俺は仲間たちに一言断ると、一人その静かな庭園へと向かった。

そこには一体何が待ち受けているのだろうか。



『静寂の庭園』はその名の通り、スタジアムの喧騒が嘘のような静けさに包まれていた。

竹林を夕暮れの風が通り抜けていく心地よい音。

ししおどしがカコン、と静寂を破る。

その東方様式の美しい庭園の中央にある小さな東屋に、彼らはいた。


ヤマト・サムライズの主将コジロウ。

そして彼の後ろにはヤマトの全選手が、まるで将軍の帰りを待つ武士のように、畳の上に完璧な姿勢で正座をしていた。

その顔には敗北の深い悔しさが滲んでいる。

だがそれ以上に少しの乱れも許さない、鋼のような規律と誇りが満ちていた。


俺が東屋へと足を踏み入れると、コジロウがゆっくりと立ち上がった。

そして彼と彼の後ろに控える選手たち全員が、まるで一つの生命体のように完璧に統率された動きで、俺に向かって深々と頭を下げた。


「―――アークランドの将ソラ殿。此度の戦、見事であった」


そのあまりにも真摯で潔い敗者の礼に俺は思わず息をのんだ。

俺もまた慌てて彼らに深く頭を下げた。

「……いや。こちらこそ、あんたたちの野球から多くを学ばせてもらった」


顔を上げるとコジロウは静かな、しかしどこか吹っ切れたような表情をしていた。

「我らはこの一時間この場所で瞑想し、そして我らの敗因を分析していた」

「……」

「結論から言おう。我らが『統率』の盾は欠陥品ではなかった。だが貴殿らの『個性』の剣は、我らが盾の哲学の外側から我らを斬り裂いた」

「……」

「我らはあまりにも完璧すぎた。あまりにも秩序を信じすぎた。それゆえにあの獣の混沌を、我らの理屈では処理することができなかったのだ。……見事な一撃だった」


彼は自らの敗北を完璧に受け入れていた。

そしてその静かな瞳で俺をまっすぐに見つめた。


「だがソラ殿。貴殿らが次に戦う相手は我らとは違う」

「……!」

「絶対王者ヴァルム帝国。彼らは我らのような完璧な『統率』の盾と、そして貴殿らのような制御不能な『個性』の剣、その両方を併せ持つ」

「……」

「特にあの竜人レクス。あれは最強の『個』でありながらチームを率いる最強の『王』でもある。我らでは到底歯が立たなかった。だが貴殿らならば……」


コジロウはそう言うと、懐から一つの小さな黒い魔力水晶を取り出した。


「……これは?」

「昨年、我らが帝国との練習試合で屈辱的な大敗を喫した時の記録だ」

彼の声に初めて悔しさの色が滲む。

「我らはあの日から一年間このたった一つの敗北を徹底的に分析し続けてきた。あの神のごとき男レクスの、僅かな、本当に僅かな癖や弱点の可能性を探るために」


彼はその黒い水晶を俺に差し出した。

その水晶がひどく重いものに感じられた。


「―――これをお主らに託す」


俺は息をのんだ。

それはただのデータではない。

彼らヤマト・サムライズが一年という長い長い時間を懸けて、血と汗と、そして屈辱の中から紡ぎ出した努力の結晶そのものだった。


「我らが盾では奴を傷つけることは叶わなかった」

「だが貴殿らのあの荒ぶる剣ならば……我らが見つけたこの僅かな亀裂を、こじ開けることができるやもしれぬ」

「頼む」


コジロウが再び深く頭を下げた。

「我らが意志を、誇りを、そして魂を貴殿らに託させてはくれまいか」

「―――どうかあの傲慢な帝国を打ち破ってくれ」


俺はそのあまりにも重い想いを受け取った。

俺はその黒い水晶をまるで壊れ物を扱うかのように、両手で受け取った。

その水晶がずしりと重い。

それは彼らの一年分の想いの重さだった。


「……コジロウ殿。そしてヤマト・サムライズの皆さん」

俺は顔を上げた。

「……あんたたちのその武士の魂。確かに受け取った。俺たちはあんたたちの想いも背負って決勝の舞台に立つ」



俺は一人、宿舎へと戻る道を歩いていた。

手の中にはヤマトの魂が込められた黒い水晶が、微かな熱を帯びている。


「(……とんでもないものを託されちまったな)」


もはやこれは俺たちアークランドだけの戦いではない。

ゴルダの、シルヴァニアの、アクアリアの、そしてヤマトの。

俺たちがこのコーシエンで戦ってきた全てのライバルたちの想いを、俺は今この両手に抱えている。


「(……混沌だけでは勝てない)」


俺は確信していた。

ヤマト戦で見せたあの個性を爆発させるだけの野球では、ヴァルム帝国には絶対に勝てない。

このコジロウが託してくれた精密なデータを使いこなすには、俺たちの混沌にヤマトのような完璧な『秩序』を融合させなければならない。


俺は宿舎の自室に戻った。

そしてベッドの下からあの俺自身が封印したはずの木箱を取り出した。

鍵を開ける。

中から現れたのは俺たちの最後の切り札、『アルカヌム』の設計図だった。


俺はその複雑怪奇な設計図と、ヤマトから託された黒い水晶を机の上に並べた。

混沌と秩序。

個性と統率。

俺の転生知識とこの世界の理不尽さ。

そしてライバルたちの想い。


「(……これを全て一つに束ねる……)」


それこそが神のごとき絶対王者とを打ち破るための唯一の道。

俺は決勝戦への、あまりにも困難で、しかし限りなく胸が躍る最後の挑戦を始めようとしていた。





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