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第50球 完璧なる組織野球

準決勝、対東方連合ヤマト・サムライズ戦。

試合開始を告げるサイレンがセントラリアの澄み切った空に響き渡った。

俺たちアークスナインが守備位置へと散っていく。マギノグラム戦で負った見えない傷跡はまだ癒えていない。だが昨日、好敵手コジロウと交わしたあの静かな誓いが、俺たちの心に新たな闘志を灯してくれていた。


対するヤマト・サムライズの選手たちは試合前と何一つ変わらない。

その立ち居振る舞いはまるで古武術の達人のように静かで洗練されている。

彼らはグラウンドに、審判に、そして俺たちに深々と一礼した。

そのあまりにも礼儀正しく、そして揺るぎない姿に俺は背筋が伸びるのを感じていた。


1回表、アークスの攻撃。

マウンドに上がったヤマトの先発投手ムラサメ。

彼はこれまでの相手とは全く違った。

イグニスのような圧倒的な威圧感はない。イカロスのような神秘性もない。

ただそこに静かに立っているだけ。そのフォームは教科書のようにシンプルで美しい。

彼が投げるボールもそうだ。

球速はせいぜい140キロそこそこ。変化球も特筆すべきキレはない。


だが。


「ストライィィク!」


一番打者のリコが首を傾げる。

「(……あれ? 速くない……。打ち頃のはずなのに……)」

彼は次の球を完璧に捉えた。

痛烈なゴロ。三遊間を真っ二つに引き裂く完璧な当たりだった。

誰もがヒットを確信した。


だがそこにはヤマトのショート、コジロウがいた。

彼は慌てない。飛びつかない。

ただまるでそこに打球が飛んでくると最初から分かっていたかのように、数歩横に移動しその打球を体の正面で当たり前のように捕球した。

そして流れるような無駄のない動きで一塁へと送球する。

アウト。


ベンチがどよめく。

「……なんだ、今の」

「なんであそこにいるんだよ……」


続くカイ。

彼はその神速の足を生かし、絶妙なドラッグバントを試みる。

ボールは三塁線の一番いやらしい場所に転がっていく。

これもセーフのはずだった。

だがヤマトの三塁手は、カイがバントの構えを見せたその瞬間に猛然とダッシュを開始していた。

彼はその打球を素手で掴むと、体勢を崩しながらも一塁へと完璧な送球を見せた。

アウト。

カイは一塁ベース上で信じられないという顔でその光景を見上げていた。

「……俺の動きが読まれてる……?」


そして4番のバルガス。

彼は力でこの嫌な流れを断ち切ろうとした。

だが相手投手ムラサメは決して彼と勝負をしない。

徹底して外角低めのボールゾーンにボールを集めてくる。

苛立ったバルガスはそのボール球に手を出してしまい、力ないセカンドゴロに倒れた。


三者凡退。

それはあまりにも静かで、あまりにも完璧な守備だった。

俺たちはまるで巨大で滑らかな一枚岩を相手にしているような無力感に襲われていた。



そしてヤマトの本当の恐ろしさはその攻撃にあった。

3回裏、ヤマトの攻撃。

先頭打者がグランの投球の癖を完全に見抜き、粘りに粘った末ヒットで出塁する。

続く二番打者。

彼は初球、何のためらいもなくバントの構えを見せた。

そのバントは芸術品だった。

ボールの勢いを完璧に殺し、ホームベースの前にぴたりと止める。

俺とグランが必死で処理に向かうが、アウトにできたのは打者走者だけ。

ランナーは確実に二塁へと進む。


そして三番打者。

彼の仕事も決まっている。

―――進塁打だ。

彼は徹底して右方向だけを狙い、ボールに逆らわない流し打ちに徹する。

打球は平凡なセカンドゴロ。

ツーアウト。

だがその間にランナーは三塁へと進んでいた。


ツーアウト・ランナー三塁。

そしてバッターボックスには4番のコジロウ。

俺はこの試合最大の勝負どころだと判断した。

俺はグランに内角を厳しく抉るシュートを要求する。

グランもその意図を汲み渾身の一球を投げ込んだ。

完璧なボールだった。


だがコジロウはそのボールを、まるで剣で斬り払うかのように鋭くコンパクトなスイングで捉えた。

打球は高くレフトへと舞い上がる。

飛距離はない。

左翼手のフィンが落下地点で悠々と捕球する。

だがその飛距離は、三塁ランナーをホームに還すには十分すぎる距離だった。

犠牲フライ。

先制点。


俺は呆然としていた。

ヤマトはたった一本のヒットと二つの自己犠牲の打席だけで、いとも簡単に一点を奪っていったのだ。

そこにはパワーも奇策も何もない。

ただ完璧に統率された精密機械のような組織野球だけがあった。


俺たちの個性と理不尽さを武器にする混沌の野球は、この完璧な秩序の前で完全にその牙を抜かれていた。



試合は中盤を過ぎても0-1のまま完全に膠着した。

俺たちのどんな攻撃も、ヤマトの完璧な守備組織の前にことごとく吸収され無力化されていく。


エルマが痛烈な右中間へのライナーを放つ。

だがヤマトのセンターとライトは完璧な連携でその打球をアウトにしてしまう。

ゼノがトリッキーなプッシュバントを試みる。

だがヤマトのファーストはその動きを完全に読んでいた。

バルガスには甘いボールが一つも来ない。

カイの足も出塁できなければ宝の持ち腐れだ。


ベンチの空気が重い。

それはマギノグラム戦の時のような苛立ちではない。

ヴルカニア戦の時のような絶望でもない。

ただひたすらに何もさせてもらえないという絶対的な無力感。

それが俺たちの心をじわじわと蝕んでいった。


「(……どうすればいい)」

俺はキャッチャーマスクの下で必死で思考を巡らせていた。

「(どうすればこの完璧な壁を崩せるんだ……!)」


俺の転生者としての全ての知識を総動員しても答えが見つからない。

彼らはあまりにも完璧すぎた。


6回が終わり、俺たちはベンチへと引き上げてきた。

スコアボードの「1」と「0」の数字。

そのたった一点差がもはや決して越えることのできない、天と地ほどの差に感じられた。


仲間たちが俺の顔を見ている。

答えを、奇跡を求めて。

だが今の俺には差し出してやれるものなど何もなかった。

俺は転生してから初めて、最も難解で、そして美しいパズルに直面していた。


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