第49球 静かなる挑戦者
マギノグラムとの死闘から一夜明けた準決勝の朝。
俺たちアークスの宿舎の空気はまだ重く淀んでいた。
食堂に集まった仲間たちの顔には、勝利の喜びよりも見えない敵と戦い抜いたことによる深く深い疲労の色が色濃く刻まれている。
「……おはよう、キャプテン」
バルガスが力なく挨拶をする。そのいつもは騒々しい声がまるで湿った薪のように覇気がない。
「……ああ、おはよう」
俺もそう返すのが精一杯だった。
昨夜、俺は俺たちの最後の切り札であるはずの『アルカヌム』を自らの手で封印した。
仲間たちをこれ以上の危険に晒すことはできない。
その決断に後悔はない。
だが武器を失った今、この疲弊しきった軍隊を率いてどうやって次の戦いに勝てばいいというのか。
その答えが見つからないまま朝を迎えてしまった。
「うう……なんだかまだ頭がぼーっとするニャ……」
カイがテーブルに突っ伏してうめき声を上げる。
「昨日のあの気色悪い歌がまだ耳の奥で鳴ってるみたいだ……」
「ええ。私もです」
エルマがこめかみを押さえながら同意する。
「精神が落ち着きません。これでは弓を引くこともままなりませんわ」
その時、食堂に設置された魔力水晶がまばゆい光を放った。
準決勝の組み合わせが発表されるのだ。
俺たちは無言でその画面を見つめた。
そして俺たちの次の対戦相手の名がそこに映し出された。
―――『東方連合 ヤマト・サムライズ』。
「……ヤマト?」
バルガスが首を傾げる。
「聞いたことねえな。強いのか、そいつら?」
「……確か東の果てにある島国の連合国家でしたわね。武士道とかいう独自の精神文化を持つ、少し変わった国だと……」
「へえ。まあどんな相手だろうとやるしかねえな」
仲間たちはまだその相手の本当の恐ろしさを知らない。
だが俺と隣に立つルーナだけは、その名を見て顔をこわばらせていた。
ヤマト・サムライズ。
彼らこそこの大会でヴァルム帝国に次ぐ優勝候補の一角と目される、最強の『盾』を持つチームなのだから。
◇
「……これがヤマト・サムライズの準々決勝の試合映像です」
作戦室。
ルーナの緊張した声が響く。
壁一面のスクリーンにヤマトの試合が映し出された。
彼らの相手は西の地区を圧倒的なパワーで勝ち上がってきた巨人族のチームだ。
「うおお、でけえ!」
バルガスが思わず声を上げる。
画面の中の巨人族の打者は、それこそバルガスですら子供に見えるほどの巨躯を誇っていた。
その棍棒のようなバットが唸りを上げてボールを捉える。
凄まじい打球。
地方大会なら間違いなく場外ホームランになっていただろう、痛烈なライナー性の当たりだ。
だが。
「……なっ!?」
打球が飛んだその場所に。
まるで最初からそこにいたかのように、ヤマトの二塁手が静かに立っていた。
彼は慌ても騒ぎもしない。
ただ飛んできたボールを当たり前のようにそのグラブに収めただけだった。
アウト。
「……偶然か?」
「いや、違う!」
俺は映像を巻き戻し、スローモーションで再生させる。
そして俺たちは信じられない光景を目の当たりにした。
ヤマトの守備陣は、相手打者がバットを振るそのコンマ数秒前に、全員が一斉に数歩だけ移動しているのだ。
それはシフトではない。
まるで未来が見えているかのような、『予測移動』だった。
「どうなってやがる……」
グランが唸る。
「あいつら全員エルフみてえな未来予知でも持ってるってのか……!?」
「いえ、違います」
ルーナが首を横に振る。
「彼らの個々の能力は決して高くありません。ですが彼らはその膨大な練習量と研ぎ澄まされた観察眼で、相手打者の僅かな癖、筋肉の動き、視線の先、その全てを読み解いているんです。そしてその情報を声を出さずとも互いに共有している。まるで……」
「……まるで一つの巨大な生命体のようだな」
俺の言葉にルーナがこくりと頷いた。
そうだ。
彼らの野球にはミスがない。
なぜならそこに『個』が存在しないからだ。
彼らは11人で一つの完璧な生命体なのだ。
攻撃も同じだった。
彼らは決して派手な攻撃はしてこない。
だが送りバント、ヒットエンドラン、進塁打を、まるで精密機械のように完璧に成功させてくる。
そうしてじわじわと相手にプレッシャーを与え、相手の僅かなミスを誘い、確実に一点をもぎ取っていく。
「(……なんて野球だ)」
「(美しい。だがそれ以上に不気味だ……)」
「(ゴルダのような『パワー』には隙があった。シルヴァニアのような『技術』には弱点があった。アクアリアのような『知略』には裏があった。だがこいつらには何もない。あるのはただ完璧に統率された『組織』だけだ)」
仲間たちの顔から血の気が引いていくのが分かった。
エルマが静かに呟く。
「……私たちの野球と正反対ですわね」
「ああ」
ゼノも同意する。
「我々が予測不能な『混沌』なら、彼らは完璧な『秩序』。最も相性の悪い相手、というわけですか」
そうだ。
俺たちの個性を爆発させる野球は、この完璧な組織野球の前ではことごとく吸収され無力化されてしまうだろう。
そして俺のこのチームの最大の武器であったはずの『アルカヌム』は、今俺自身の手で封印されてしまっている。
「(……どうすればいい)」
「(どうすればこの完璧な『盾』を打ち破れるんだ……!)」
俺は答えが見つからないまま重い足取りで、試合前の最後の調整へと向かった。
◇
試合前。
俺は一人、セントラリア大球場に併設された静かな東方の庭園で精神を集中させていた。
竹林を風が通り抜けていく心地よい音。
ししおどしがカコン、と静寂を破る。
この場所だけがコーシエンの喧騒から切り離された別世界のようだった。
「(……落ち着け。焦るな、俺)」
「(答えは必ずあるはずだ)」
俺が目を閉じ思考の海に深く潜ろうとしたその時だった。
背後から静かな、しかし凛とした声がかけられた。
「―――アークランドの将、ソラ殿とお見受けする」
振り返るとそこには一人の武士のような男が静かに立っていた。
ヤマト・サムライズの監督兼主将。
コジロウだった。
彼は俺の目の前で立ち止まると、深々とそして美しく一礼した。
「いかにも」
俺も立ち上がり礼を返す。
「あなたがヤマトのコジロウ殿か」
「いかにも」
彼はゆっくりと顔を上げた。
その瞳はまるで静かな湖面のようだった。
俺の心の奥底まで全てを見透かされているかのような。
「あなた方の戦い、拝見しておりました。実に興味深い。実に面白い野球だ」
「……どうも」
「一人ひとりの選手がまるで鍛え上げられた名刀の如し。それぞれが全く違う、しかし見事な切れ味を持つ。あなた方はその予測不能な『個性』の剣を束ねて戦う」
「……」
「対する我らは『統率』の盾。我ら一人ひとりは大した力は持たぬ。だが11人が一つの盾となった時、我らは何人にも破れぬ鉄壁となる」
彼はその静かな瞳で俺の心を射抜くように見つめた。
「―――今日このグラウンドで決めようぞ」
「……」
「荒ぶる『個性』の剣が我らが『統率』の盾を打ち砕くのか」
「あるいは我らが盾が貴殿らの剣を受け止め、そして砕くのか」
彼は再び深々と一礼した。
「マギノグラムのような小細工は不要。ただ正々堂々互いの野球の全てを懸けて戦おうぞ」
俺はそのあまりにも清々しい挑戦状に、思わず背筋が伸びるのを感じた。
そうだ。
これだ。
これこそが俺がこの世界でやりたかった野球だ。
俺の心の中に澱のように溜まっていたマギノグラム戦での精神的な疲労が、すっと晴れていくのが分かった。
俺の目の前にいるのは紛れもない好敵手だ。
俺はコジロウに向かって同じように深く、そして心を込めて頭を下げた。
「―――望むところだコジロウ殿。俺たちも全力で戦わせてもらう」
俺と彼の間に静かだが燃えるような火花が散った。
俺は心の底からこの戦いが楽しみになっていた。
答えはまだ見つからない。
だが俺の心は不思議と晴れやかだった。