第45球 歌を力に
「―――精神干渉系の、デバフ魔法だと!?」
ルーナの魂の叫び。
その言葉は、混乱の極みにあった俺の頭を、冷水で殴りつけるかのような強烈な衝撃を与えた。
俺は相手ベンチを睨みつけた。
そこに座る老賢者パラケルススが、まるで俺たちの混乱を楽しむかのように優雅に茶をすすっている。
「(……あの狸ジジイが!)」
俺は怒りに任せてベンチを飛び出した。
そしてホームベースを守る、石像のように厳格なドワーフの球審の元へと駆け寄る。
「球審! 抗議します!」
「……どうした、アークランドの将よ」
「相手チームが魔法による不正行為を行っています! あの応援歌に、こちらの選手の集中力を削ぐ魔法がかけられている!」
俺の必死の訴えに、球審はその石のような眉を僅かに動かした。
彼はバックネット裏に控える大会の魔術監督官たちに、魔力水晶で確認を取る。
長い、長い沈黙。
その間にもマギノグラムの不気味な詠唱は止むことがない。
やがて球審は俺に向き直ると、淡々と、しかし最終宣告のように告げた。
「―――抗議を棄却する」
「なっ!? なぜだ!」
「魔術監督官によるマナ周波数の分析の結果、相手応援団より発せられる魔力は、コーシエンの公式ルールブック、第7条4項に定められた『選手への直接的な魔法干渉』の基準値を下回っている」
「……!」
「よって、あれは不正行為ではなく、『応援に付随する周辺的な魔力発露』と見なされる。以上だ」
俺は言葉を失った。
パラケルススは全てを計算していたのだ。
ルールのギリギリのラインを。
俺たちが絶対に抗議できない完璧な法の網を張り巡らせていたのだ。
俺はベンチに戻り、力なく椅子に座り込んだ。
「(……どうすればいい)」
「(合法的に、俺たちは魔法で首を絞められ続けている……)」
「(このままでは確実に負ける……!)」
絶望。
再び俺の心を黒い霧が覆い尽くそうとした、その時だった。
「―――ソラさん!」
俺の目の前にルーナが立っていた。
そのいつもは気弱なはずのエルフの少女の瞳には、これまでに見たこともないような強く、そして燃えるような決意の光が宿っていた。
「まだ終わりじゃありません!」
「……ルーナ……?」
「ルールがダメなら。魔法には魔法で対抗するしかありません!」
「……魔法で対抗する、だと?」
「はい!」
ルーナはその小さな胸をぐっと張った。
それは彼女が自分自身の臆病な殻を完全に打ち破った瞬間だった。
「私がこの不気味なデバフ魔法を中和し、そして逆に私たちの仲間たちの士気を最大限に高める、『支援効果』の応援歌を作ります!」
「……お前が、か?」
「はい! 私、小さい頃から書庫にこもって、古代エルフの魔術的効果を持つ古の歌を研究するのが趣味だったんです!」
俺は呆然と彼女を見つめていた。
気弱で引っ込み思案だったはずのあの少女が。
今、俺たちの最後の希望になろうとしていた。
「ですが、私一人の力では足りません。だから力を貸してください、ソラさん! そして―――」
彼女はスタンドを指差した。
そこには、俺たちの不甲斐ない戦いを悔しそうな顔で見守ってくれている、地方のライバルたちの姿があった。
「―――あの人たちの力も!」
◇
タイムを取り、俺はルーナと共にベンチの最前列に立った。
ルーナは魔法で自らの声を拡声させる。
その澄み渡った声がスタジアム中に響き渡った。
「―――スタンドで、我らの戦いを見てくださっている、東地区の全ての盟友達へ!」
スタンドのダインたちが驚いたようにこちらを見る。
「どうか私たちに、皆さんの魂の音を貸してください!」
「ゴルダ・ハンマーズの皆さん! その大地を揺るがす不屈の、ドワーフのリズムを!」
「シルヴァニア・リーフスの皆さん! その森を渡る風のような、気高きエルフのハーモニーを!」
「そして火山公国ヴルカニアの皆さん! その全てを焼き尽くす、荒ぶる獣のソウルを!」
彼女の魂の呼びかけにライバルたちが応えた。
ダインがニヤリと笑い、巨大なエールの樽を力任せに叩き始めた。
ドン! ドン! ドン!
それは大地の心臓の鼓動。
ルシオンが静かに頷き、その仲間たちと透き通るようなハーモニーを奏で始めた。
それは森の癒やしの旋律。
イグニスが獰猛に咆哮し、その仲間たちが野性の魂の雄叫びを上げた。
それは火山の生命の息吹。
そして。
その混沌として、しかし力強い奇跡のオーケストラをバックに。
ルーナが歌い始めた。
彼女がその場で即興で紡いだ、俺たちアークランドに伝わる古の英雄譚。
その黄金の歌声が、マギノグラムの不気味な灰紫色の詠唱と激突した。
光と闇の激突。
俺たちのフィールドを覆っていた、重く淀んだデバフの霧が、ルーナの歌声と仲間たちの魂の音によって、見る見るうちに晴れていく。
そして俺たちアークスの選手たちの体に力が戻ってきた。
頭の靄が消え去り、思考がクリアになる。
重かった体が羽のように軽くなる。
その瞳に再び闘志の光が力強く宿った。
その回のマギノグラムの攻撃。
相手が打った痛烈な三遊間へのゴロ。
これまでならカイはそれに反応できなかっただろう。
だが今の彼は違う。
彼は獣のような神速の動きでその打球に追いつくと、完璧な送球で打者をアウトにした。
カイは自分の軽くなった体を信じられないという顔で見つめている。
そしてベンチで誇らしげに歌い続ける小さなマネージャーの姿を見て、満面の笑みを浮かべた。
相手ベンチで老賢者パラケルススが、初めてその人の好さそうな笑みを消した。
彼はルーナと、そして彼女と共に奇跡のアンサンブルを奏でるスタンドのライバルたちを、驚愕と、そしてほんの少しの賞賛が入り混じった複雑な表情で見つめていた。
見えない攻撃は破られた。
スコアはまだ1-0。
だが俺たちの本当の反撃が今、始まろうとしていた。