第41球 翼なき者の奇襲
ゼノの一打で完全に流れは変わった。
続く6回、7回と俺たちアークスは徹底した『グラウンダー戦法』で、ラピュータの完璧だったはずの守備をじわじわと切り崩していく。
これまで空中の戦いに特化してきた彼らは、地上を這う予測不能な打球への対応に明らかに戸惑っていた。
そして7回裏。
フィンとグランの泥臭い連続ヒットで、俺たちはついに1-1の同点に追いついた。
天上の要塞はもはや完璧ではない。
俺たち翼なき者たちの執念の前に、その壁は確かに崩れ始めていた。
◇
運命の8回裏。アークスの攻撃。
この回を0点に抑えられれば、試合の流れは再びラピュータへと傾いてしまうだろう。
なんとしてでも勝ち越し点が欲しい。
だが相手も馬鹿ではない。
俺たちのグラウンダー戦法に対応するため、ラピュータの内野陣は極端な前進守備を敷いてきた。
これでは並のゴロでは内野を抜くことはできない。
一打サヨナラのプレッシャーがスタジアム全体を支配する。
ツーアウト。
だが俺たちは執念でランナーを三塁まで進めていた。
三塁ランナーはゼノ。
そしてバッターボックスには、このチームで最も小柄で最も非力な男、ホビット族のリコが向かっていた。
スタジアムの観客席から諦めのため息が漏れるのが聞こえる。
相手チームもこの場面で最も与しやすい打者を迎え、安堵の表情を浮かべていた。
だが俺だけは笑っていた。
「(……来たな。最高の舞台だ)」
俺はタイムを取り、バッターボックスのリコの元へと駆け寄った。
「キャプテン……!」
リコはプレッシャーで顔を真っ青にさせている。
「僕じゃ無理です……! あんな前から守られたら僕の力じゃ内野を抜けません……!」
「ああ、無理だろうな」
俺はあっさりと言った。
「え……?」
「だから打たなくていい」
「……は?」
「いいかリコ。お前にしかできない仕事がある」
俺はリコの耳元で悪魔のように囁いた。
「―――サインは『セーフティ・スクイズ』だ」
その言葉にリコは目をこれ以上ないくらい大きく見開いた。
スクイズ。
バントで三塁ランナーをホームに還す奇襲戦法。
誰もが強攻策か、せめてヒットエンドランを予想するこの場面で。
あまりにも大胆不敵な、そして無謀な作戦。
「(だがこれしかない!)」
「(相手の思考の完全に裏をかく!)」
「できるか、リコ?」
俺の問いにリコはしばらく震えていた。
だが彼はやがて顔を上げた。
その瞳には恐怖を乗り越えた、強い強い決意の光が宿っていた。
「……はい! やります! キャプテンが僕を信じてくれるなら!」
◇
タイムが解け、試合が再開される。
リコはバッターボックスで深く、深く息を吸い込んだ。
そして彼はバットを短く持ち、スクイズの構えを見せた。
「なっ!?」
「スクイズだと!?」
ラピュータの選手たちが完全に虚を突かれる。
天上の投手イカロスもその穏やかな表情を初めて歪ませた。
彼は慌ててバントをしにくい高めの速いボールを投げ込んでくる。
だがリコはそれに完璧に対応した。
彼はその小さな体でジャンプするように高めのボールに食らいつく。
そしてバットを、押すのではない。引くのでもない。
ただボールが当たるその瞬間に、全ての力を完璧に殺した。
―――コン。
乾いた音と共にボールは、まるでその場に吸い付くかのように、ホームベースの真ん前に力なく転がった。
完璧なバントだった。
三塁ランナーのゼノがスタートを切る。
天上の投手イカロスが慌てて地上へと降下してくる。
だが彼は翼を持つがゆえに、その地上での細かな動きに慣れていなかった。
彼の着地がほんの僅かに乱れる。
彼がボールを拾いホームへと送球しようとするその動きが、コンマ数秒遅れた。
その間にリコは一塁へと必死で走っていた。
その小さな足がもつれそうになりながらも、彼はただ前だけを見て走る。
イカロスはホームが間に合わないと判断し、一塁へと送球を切り替えた。
ボールが矢のように一塁へと飛んでいく。
間に合うか――!?
「うおおおおおおおおっ!」
リコは最後の力を振り絞り、一塁ベースへとその小さな体を投げ出した。
ヘッドスライディング。
彼の指先がベースに触れるのと、ボールがファーストミットに収まるのはほとんど同時だった。
砂埃が舞い上がる。
スタジアムが静寂に包まれる。
そして。
「―――セーーーーーフ!」
審判の腕が大きく横に広げられた。
その瞬間、三塁ランナーのゼノが勝ち越しのホームを悠々と踏んでいた。
スコアは2-1。
逆転。
スタジアムがこの日一番の、地鳴りのような大歓声に包まれた。
俺はベンチの最前列で強く、強く拳を握りしめた。
「(やった……やったぞ……!)」
「(飛べるお前たちを、地面スレスレの俺たちの戦いで超えてやったぞ!)」
俺たちの執念が実った瞬間だった。