第4球 知識(セオリー)の敗北
アークス結成から数日後。俺はチームの初練習のために、古びたグラウンドに選手たちを集めた。
空は快晴、絶好の野球日和だ。
「よし、じゃあ始めるぞ! まずは全員でランニング、その後キャッチボールだ!」
俺の号令に、集まった面々は思い思いの反応を示す。
人間族のフィンやホビット族のリコは「はい!」と元気よく返事をして走り出すが、他の個性的なメンバーはそうもいかない。
「ランニングだとぉ? ウォーミングアップなら、この場で鎚でも振るった方がよほど効率的だわい」
ドワーフのグランは、自前の巨大なハンマーを肩に担いだまま、不満げに口を尖らせる。
「ふぁ〜あ……眠いニャ。なんでこんな朝っぱらから走らなきゃいけないのニャ……」
猫族のカイは、芝生の上で大きなあくびをしながら、ゴロゴロと寝転がっている。
「キャプテン、質問があります」
腕を組んで立っていたエルフのエルマが、理知的な瞳を俺に向けた。
「この反復的な走行運動によって得られる具体的な効果と、それに要する時間的コストを比較した場合、その練習の合理性は証明可能でしょうか? 私には、より効率的な身体の温め方があるように思えますが」
「うぐっ……」
正論パンチが痛い。こいつら、いちいち理屈っぽいか、マイペースすぎる……。
俺は頭を掻きながら、内心で叫んだ。
(そうだ、忘れてた! ここは異世界で、こいつらは異種族! 日本の高校球児みたいに『監督の言うことは絶対!』なんて文化は存在しねえんだった!)
俺は咳払いを一つして、なんとか威厳を保とうと努める。
「いいからやれ! これはチームで行う最初の練習だ! 足並みを揃えることに意味がある!」
俺の言葉に、渋々ながらも選手たちは動き出す。
だが、その後の練習も、俺の頭痛の種を増やすだけだった。
「だから! バントっていうのはな、ボールを殺すように……って、うおっ!?」
俺がグランにバントの指導をしようとした瞬間、彼が構えた特注の金属バットが、**「グニャリ」**と嫌な音を立てて曲がった。
「な、なんだ今の!?」
「ん? おお、すまんすまん。力を入れすぎるなと言われたから、ボールが当たる瞬間に、ほんの少しだけ握り込んだだけなのだが……」
「(馬鹿か! ドワーフの握力をなめてた! こいつにバント練習なんてさせたら、バットが何本あっても足りねえ!)」
「次! サインプレーの練習だ! 俺が右耳を触ったら盗塁、鼻を触ったら……」
「待て、キャプテン! 複雑すぎて覚えられん!」
ミノタウロスのバルガスが、頭から湯気を出しながら叫ぶ。
「サインは3つまでにしてくれ! それ以上は、俺の頭が爆発する!」
「(3つ!? スリーサインで戦えるか! お前はどこの原始人だ!)」
「カイ! お前はなんでベースカバーに入らない!」
「だって、めんどくさいんだニャ……。ボールが飛んで来たら走るから、それまでここで待ってるニャ」
「(お前は猫か! ……いや猫だったわ!)」
練習は、もはやカオスだった。
俺の知る日本の野球理論、チーム作りのセオリーは、この個性と理不尽の塊の前では、全く機能しなかった。
選手たちの間にも、「あいつのやり方はまどろっこしい」「もっと好きにやらせろ」という不満が渦巻き始めている。
(……ダメだ。このままじゃ空中分解する)
俺は、このチームの現在地を、選手たち自身に思い知らせる必要があると判断した。
「よし、練習は終わりだ! 明後日、練習試合を組んだ!」
◇
そして、練習試合当日。
相手は、近隣の町で活動している、人間だけで構成されたクラブチームだ。
アークスのメンバーは、相手チームの選手たちを見て、あからさまに見下した態度を取っていた。
「なんだ、ヒョロヒョロの人間ばっかりじゃねえか」
「こんな奴ら、バルガス様の一振りで全員吹き飛ぶぜ!」
「ふん、時間の無駄ですわ」
その驕りこそが、命取りになるとも知らずに。
「いいか、今日の試合、俺は敢えて、俺の知る『日本』のセオリー通りに采配を振る」
試合前、俺は選手たちに告げた。
「お前たちが馬鹿にした、緻密な配球、計算された守備シフト、サインプレー。その全てを試す。これが通用しないなら、俺は監督を辞めてやる」
俺の言葉に、選手たちは「望むところだ」と不敵に笑う。
だが、これは賭けだった。俺の知識が砕かれるか、こいつらの驕った鼻っ柱が折れるか。
試合開始。
先発はグラン。俺は捕手として、彼の後ろに座る。
初回、俺はセオリー通り、外角中心の組み立てで相手打線を打ち取りにかかる。
だが、様子がおかしい。
「(なぜだ…? 外角のストレートを、完璧に流し打ちしてきやがる!)」
相手の1番打者は、犬族の獣人だった。彼は打席で、クンクンと鼻を鳴らしている。
「(まさか……!)」
「ソラさん!」
ベンチのルーナが叫ぶ。
「相手打者、嗅覚で風向きとグラウンドの湿度を読んで、球筋を予測しています!」
「(嗅覚で野球だと!? そんなのアリかよ!)」
俺の配球理論は、犬の嗅覚の前に無力だった。
守備もそうだ。
相手のクリーンナップに座るリザードマンが、尻尾を巧みに使った変則打法で、俺が敷いた守備シフトの隙間を次々と抜いていく。
「(尻尾で打つとか、どこの世界のルールだよ! ……ああ、この世界か!)」
極めつけは、相手のピッチャーだった。
球速はたいしてない。だが、アークスの打者は誰も、まともに芯で捉えられない。
「キャプテン! なんかこのボール、妙に滑るぜ!」
バルガスが、首を傾げながらベンチに戻ってくる。
俺は審判にボールのチェックを要求した。だが、審判の答えは「問題なし」。
「ソラさん、あれは……!」
ルーナが、悔しそうに唇を噛む。
「相手投手の故郷で採れる、特殊なスライムの粘液です。ルール上、滑り止めとして認められていますが、僅かにボールの軌道を変える効果があるんです……!」
「(そんなもん、俺のいた世界のルールブックには載ってねえよ!)」
結果は、言うまでもない。
15対0。
アークスは、歴史的な大惨敗を喫した。
◇
試合後、アークスのロッカールームは、お通夜のような雰囲気に包まれていた。
そこに、不満を爆発させたバルガスの怒声が響いた。
「どういうことだ、キャプテン! あんたの言う通りにやって、このザマじゃねえか!」
「ええ、全くです」
エルマも、冷たく言い放つ。
「あなたの『セオリー』とやらは、何の役にも立ちませんでしたわね。口だけだった、ということですわ」
「……」
選手たちの突き上げるような視線に、俺は反論できなかった。
その通りだったからだ。
(まただ……。また俺は、自分の知識を過信して、目の前の現実を見ていなかった。俺が知っている『野球』と、この世界の『聖球戯』は、似て非なるものなんだ……)
砕け散ったプライド。
蘇るトラウマ。
俺は、監督を辞める覚悟を決めた。
だが、その時だった。
これまで黙って俺を見ていたグランが、重々しく口を開いたのは。
「……だが、キャプテン。奴らの野球も、俺たちの力がバラバラだったから、通用しただけじゃねえのか?」
「え……?」
「もし、俺のパワーと、エルフの目と、猫の足が、あんたの頭ン中で一つになってたら……結果は違ったんじゃねえのか?」
グランの言葉に、選手たちがハッとした顔になる。
そうだ。俺たちは、チームとして全く戦っていなかった。
俺は、俯いていた顔を上げた。
そして、集まった全員の顔を、一人ひとり、しっかりと見据えて、静かに告げた。
「ああ、そうだ。俺の知っている野球は、それだけでは通用しない」
「そして、お前たちのバラバラな力も、それだけでは勝てない」
「それが、今日の試合で証明された」
俺は、ニヤリと笑ってみせた。
「――ここからが、本当のスタートだ」