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第39球 天空の魔球

コーシエン本戦、一回戦。

俺たちアークランド・アークス対、謎の挑戦者、天空都市ラピュータ・ウィングス。

その試合は初回から俺の、いや、この世界の野球の常識を根底から覆すものとなった。


1回表、俺たちの守備。

ラピュータの攻撃はヴルカニアのような圧倒的なパワーはなかった。だがそれはひどく奇妙で掴みどころのないものだった。

打者はバットを振る瞬間にその背中の翼を小さく羽ばたかせる。それによって生まれる僅かな上昇力でゴロになるはずの打球を高く弾ませて内野安打にしてしまう。

塁に出ればその翼をブースターのように使い、通常ではありえない爆発的な加速力で次の塁を陥れる。

彼らの野球は全てが俺たちの知らない三次元の理屈で動いていた。

俺たちはその予測不能な動きに翻弄され、あっという間に先制点となる1点を献上してしまった。


「……くそっ」

ベンチに戻る仲間たちの顔に戸惑いの色が浮かぶ。

「なんだよあいつらの動き……!」

「まるで地面を滑っているみたいだったぜ……」


だが本当の悪夢はここからだった。

1回裏、アークスの攻撃。

相手のエース、イカロスがその純白の翼を広げ、静かにマウンドへと歩みを進める。

彼は俺たちを一瞥すると聖者のように穏やかに微笑んだ。

そして審判の「プレイボール」のコールと共に彼は大きく翼を羽ばたかせた。


―――バサァッ!


凄まじい風圧がグラウンドを吹き抜ける。

イカロスの体はまるで天に引かれる糸でもあるかのように、垂直に空へと舞い上がっていった。

10メートル、20メートル、30メートル……。

彼はぐんぐんと上昇を続け、やがて巨大なドームスタジアムの眩い魔法照明のすぐそばで静かに滞空した。


「な……」

「ななな、なんだありゃあああああ!」


俺たちもスタジアムの観客も開いた口が塞がらなかった。

バッターボックスに立ったリコは豆粒のように小さくなったイカロスを呆然と見上げている。


「きゃ、キャプテン……! あいつどこから投げてくる気だ……!?」

「……」

俺も答えることができない。

審判はただ天を指差している。ルール上、投手はプレート板に触れてさえいればどこから投げてもいいことになっている。だがまさかそのルールをこんな形で利用してくる者がいるとは。


そして。

天上のイカロスがその腕をゆっくりと振りかぶった。

これが噂の―――。


―――『天空の魔球てんくうのまきゅう』。


彼の手から放たれたボールは最初はただの小さな点にしか見えなかった。

照明の光に紛れてその姿を捉えることすら難しい。

だが次の瞬間。

その点は凄まじい重力加速度と共に、一直線にホームベースへと落下してきた。


ヒュウウウウウウウッ!


ボールが空気を切り裂く不気味な風切り音。

それはもはや「投球」ではなかった。

天から降り注ぐ「砲弾」だった。

リコはそのあまりにも異常な軌道に全くタイミングが合わず、バットはボールの遥か上を虚しく切り裂いた。


ズドオオオオオン!


俺の構えたミットにまるで岩石が叩きつけられたかのような、重い重い衝撃が走った。

腕が痺れる。


「(なんだ、今の威力は……!?)」

「(ただの自由落下じゃない! 落下に合わせてボールに何らかの回転か、魔法的な圧力がかかっている……!)」

「(クソッ、それ以前にリリースポイントが全く見えない! これじゃ目を瞑ってバットを振っているようなもんだ!)」


リコはなすすべなく三球三振に倒れた。

その顔は恐怖で真っ青だった。


                 ◇


その後も試合は一方的な展開となった。

2回、3回、4回とイニングは進んでいくが、俺たちアークスは誰一人としてあの天空の魔球を捉えることができない。


2番のカイ。

彼はその獣じみた超人的な反射神経でなんとかバットにボールを当ててみせた。

快音と共に打球は痛烈なライナーとなって、レフトとセンターの間を真っ二つに引き裂くかのように飛んでいく。

通常なら間違いなくツーベース、いやスリーベースヒットになる当たりだ。

だが。


「……!」


センターを守っていたハーピー族の選手がその翼を広げると、地面を蹴ることなく一直線に打球へと向かって滑空した。

彼は走るよりも遥かに速く落下地点へと到達し、まるで飛んでいる虫を捕らえるかのように軽々とそのボールをキャッチしてしまった。


「……アウト」

非情なコールが響き渡る。

カイは二塁ベース上で信じられないという顔で、その光景を見上げていた。

「……あいつ、走ってねえ。飛んだのか……」


4番のバルガス。

彼は怒りに任せて天空の魔球を、その有り余るパワーで無理やり天高く打ち上げた。

「うおおおおっ! 小細工なんざパワーで粉砕してやるぜ!」

だが高く上がれば上がるほど、それは翼を持つ彼らにとっての絶好の獲物となる。

キャッチャーとファーストを守る有翼種が同時にふわりと宙に浮かび上がると、落ちてくるボールをまるでバスケットボールでもするかのように余裕でキャッチしてしまった。

俺たちの最強のパワーヒッターの力が完全に無力化された。


5番のエルマ。

彼女は技術で対抗しようとした。

あのあまりにも急な落下角度に対し、低く鋭いライナー性の打球を打とうと試みる。

だがそれも相手の思う壺だった。

彼女の打球は全て内野への平凡なゴロとなる。

そしてそのゴロをラピュータの内野陣は、翼を補助ブースターのように使い、驚異的な俊敏性でいとも簡単に捌いていく。


6番のゼノはバントを試みた。

だが真上から落ちてくるボールにどうやってバントをすればいいというのか。

彼はボールを自分の足の上に落とし、その場に蹲った。

そしてベンチの俺に向かって初めて、心の底から困惑したような顔で呟いた。

「……キャプテン。これは非論理的です」


そうだ。

何もかもが非論理的だった。

俺たちがこれまで積み上げてきた野球という名の『常識』が、今目の前で音を立てて崩れ去っていく。


                 ◇


4回が終わり俺たちはベンチへと引き上げてきた。

スコアはまだ1-0。

だがその一点差がもはや決して越えることのできない、絶望的な壁のように感じられた。

俺たちはまだ一本のヒットも打てていない。

それどころか誰一人としてまともに出塁すらできていないのだ。


選手たちは皆うなだれ、押し黙っている。

その瞳からは地方大会で見せたあの輝きが完全に消え失せていた。


俺はベンチの前をいらだたしげに行ったり来たりしていた。

頭の中で必死で打開策を探す。

だが答えは見つからない。


「(攻撃も守備も何もかもが俺の知ってる野球じゃない……!)」

「(俺の知識は無力だ。俺の戦術は意味がない。パワーも技術もスピードも、全てが奴らの『飛行能力』の前に封じられている……!)」

「(どうすればいい? どうすればあの空の要塞を攻略できるんだ……!?)」


俺の脳裏にあの悪夢が蘇る。

親友の肩が砕け散ったあの日の記憶。

キャプテン・キッドの掌の上で踊らされたあの屈辱。


「(まただ……また俺は、この世界の『理不尽』の壁の前に何もできずに立ち尽くしているだけなのか……!)」

「(俺は所詮、地方大会で運良く勝ち上がってきただけの、ただの詐欺師だったのか……?)」


チン、と軽いベルの音が5回表の開始を告げる。

選手たちは動かない。

ただその光を失った瞳で俺を見ている。

答えを、奇跡を求めて。

だが今の俺には差し出してやれるものなど何もなかった。


俺はグラウンドの遥か上空で天使のように静かに滞空するイカロスの姿を見上げた。

そしてあの日の親友の肩が砕けた時以来の深い、深い絶望を感じていた。


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