第38球 空からの挑戦者
コーシエン本戦、一回戦の組み合わせ抽選会。
その会場は、セントラリア大聖堂の一角にある荘厳な広間だった。
高い天井には、聖球戯の歴史を描いた巨大なステンドグラスが嵌め込まれ、神々しい光が床の大理石に反射している。
この場所に今、この世界の野球の頂点を決める、16の国の代表たちが集結していた。
西の巨人族、東の妖精族、南の魚人族、北の雪男族。
そのどれもが、俺たちが地方大会で戦ってきた相手とは比較にならないほどの威圧感と、そして誇りをその身に纏っていた。
まさに神々の集い。
俺たちアークスは、その中で最も新参で、最も弱小の挑戦者だった。
「(……すげえな、こりゃ)」
俺は、壇上に置かれた抽選のための魔法の水晶宝珠を見つめながら、内心で乾いた笑いを漏らした。
「(どこを引いても、地獄か)」
抽選は厳粛な雰囲気の中、進んでいく。
絶対王者ヴァルム帝国が、早々に比較的与しやすい相手を引き当てると、会場からは安堵と、そして同情のため息が漏れた。
西の巨人族と、東のヤマト・サムライズが当たるという、パワー対技術の好カードも決まった。
そしてついに、俺たちの番が来た。
アークランドの代表として、俺はゆっくりと壇上へと歩みを進める。
背中に、仲間たちの、そして地方で戦ってきたライバルたちの視線が突き刺さる。
俺は覚悟を決め、その魔法の宝珠に手を触れた。
―――ゴオオオオオ……。
宝珠がまばゆい光を放ち、空中に、対戦校の名を映し出す。
そこに浮かび上がった文字に、会場全体が大きくどよめいた。
―――『天空都市 ラピュータ・ウィングス』。
「……ラピュータ、だと?」
「おいおい、よりにもよって、あの謎のチームを引きやがったぞ……」
「西の巨人族の方がまだマシだったかもしれん。少なくとも、奴らは何をしてくるか分かるからな……」
ラピュータ・ウィングス。
雲海の上に浮かぶ、天空都市に住まう有翼種だけの国家。
彼らは極端な孤立主義を貫いており、これまで他国との交流がほとんどなかった。
今大会が初のコーシエン本戦出場。
その実力は完全に未知数。
俺が自分の席へと戻ろうとした、その時だった。
一人の長身の男が、俺の前に静かに立ちはだかった。
背中には純白の大きな翼。
穏やかな、しかしどこか底の知れない笑みを浮かべた天翼人。
彼こそが、ラピュータ・ウィングスのキャプテン、イカロスだった。
「―――東地区の覇者、ソラ殿、ですかな」
彼は優雅に一礼した。
「お噂はかねがね。あなた方の奇跡の快進撃は、我らが天空都市にまで届いております」
「……どうも」
「お会いできて光栄です。―――願わくば、我々の戦いが天まで届くような、素晴らしい試合になりますことを」
そのあまりにも丁寧な、しかしどこか人間味の感じられない言葉に、俺は得体の知れない不気味さを感じていた。
◇
その夜、俺たちの宿舎の作戦室は重い沈黙に包まれていた。
ミステリアスな対戦相手は、分かりやすい強敵よりもよほど、俺たちの心をざわつかせていた。
「これが、ラピュータに関する全てのデータです……」
ルーナが壁に映し出した情報は、ほとんど白紙同然だった。
建国記念日、主な輸出品(天空の宝石)、そしてただ一つだけ入手できた、5年前に国内で行われたというエキシビションマッチの低画質な記録映像。
俺たちは固唾を飲んでその映像を見つめた。
映像はひどく不鮮明で、遠距離から撮影されたものだ。
翼を持つ選手たちがグラウンドを飛び交っているのは分かるが、その詳細な動きまでは全く読み取れない。
だが、その中でただ一つ、俺たちの目を釘付けにする異常な光景があった。
ラピュータの投手がマウンドに立つと、大きく翼を広げ、空高く舞い上がったのだ。
そして打者の遥か頭上から、まるで石を落とすかのように、ボールを投げ下ろした。
ボールは凄まじい角度でストライクゾーンへと落下してくる。
「な、なんだ、今の……!?」
バルガスが呆然と呟く。
「ボールが、空から、降ってきたぞ……!」
「あんなのピッチングじゃねえ! ただの自由落下じゃねえか!」
グランが怒鳴る。
だが俺は、その映像に強い違和感を覚えていた。
「(……いや、違う。あれはただの自由落下じゃない)」
「(もしそうだとしたら、あんなものは脅威でもなんでもない。何かトリックがある。俺たちの知らない、物理法則を捻じ曲げるような、何か……!)」
俺は、その日からチーム全員でのブレインストーミングを開始した。
「いいか、全員で考えられる全ての可能性を洗い出すぞ!」
「なあ、キャプテン! あいつらバッティングの時も飛べるのか? だとしたらストライクゾーンはどうなるんだ?」
「ありえますわね。あるいは、翼で風を起こし、打球の飛距離を伸ばしている可能性も」
「守備も厄介だニャ。俺たちの頭の上を、ひょいひょい飛んで、フライを捕られたらたまらないニャ」
選手たちはそれぞれの得意分野から意見を出し合った。
エルマは弓の知識から未知の弾道を予測し、カイは獣としての本能から空中での動きをシミュレートする。
だが、どれも憶測の域を出なかった。
データがない。前例がない。
俺たちはまるで、幽霊を相手に戦術を練っているようなものだった。
俺の転生者としての知識も、このあまりにも常識から逸脱した相手の前では、ほとんど役に立たなかった。
俺は再び、あの無力感に苛まれそうになる。
だが、今の俺はもう一人ではなかった。
「(そうだ。俺一人で答えを出す必要はない。俺には、この最高の仲間たちがいるじゃないか)」
◇
試合前夜。
何時間にも及ぶ議論の末、俺たちは結局、明確な答えを一つも見つけ出すことはできなかった。
選手たちの顔には疲労と、未知への不安が色濃く浮かんでいる。
俺はそんな彼らの前に立ち、パンと手を一つ叩いた。
「―――よし、もう終わりだ。これ以上考えても時間の無駄だ」
俺は仲間たちの顔を一人ひとり見つめて言った。
その顔には不思議と焦りはなかった。
「明日、俺たちは完全に暗闇の中を飛ぶことになる」
「……」
「俺たちがこれまで積み上げてきた野球の常識が、セオリーが、明日全て役に立たなくなるかもしれない」
「……」
「だがな」
俺はニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。
「―――だから、どうした?」
俺のその一言に、選手たちがハッとしたように顔を上げる。
「思い出せ。俺たちはこれまでもそうやって戦ってきたじゃねえか」
「ゴルダの常識外れのパワーを、俺たちは知恵と足で乗り越えた」
「シルヴァニアの完璧な技術を、俺たちは理屈抜きの本能で打ち砕いた」
「アクアリアの狡猾な頭脳を、俺たちはそれを上回る絆で出し抜いた」
「そうだろ?」
俺は続ける。
「俺たちはいつだって、目の前で起きた事象にその場で適応してきた。ルールブックを何度も何度も破り捨てて、俺たちだけの答えを見つけてきた。―――あの地獄の合宿で俺たちが本当に手に入れたものは、それだ」
俺は最後に力強く言い放った。
「明日、頼れるのはお前たち自身の『対応力』だけだ。自分の研ぎ澄まされた感覚を信じろ。隣にいる最高の仲間を信じろ」
「そして何が起きても、絶対に驚くんじゃないぞ」
俺の言葉に、選手たちの瞳から不安の色がスッと消えていった。
そしてその代わりに、あの合宿の最終日に見せた、静かだが燃えるような決意の光が宿った。
俺たちは、未知なる空からの挑戦者を迎え撃つ覚悟を、決めた。