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第37球 集う旗のもとに

コーシエン本戦、一回戦の組み合わせ抽選会を翌日に控えた、その夜。

俺たちアークスが割り当てられた宿舎は、絶対王者ヴァルム帝国が滞在するという、天を突くような豪華絢爛なホテルとは比べるべくもない、セントラリアの旧市街にひっそりと佇む、古びたしかし歴史を感じさせる宿屋だった。


昼間の開会式とレクスとの遭遇。

そのあまりにも強烈な経験は、俺たちの心に興奮と、そしてそれ以上のずっしりと重いプレッシャーを刻みつけていた。

宿舎の共有スペースでは、選手たちがそれぞれのやり方で、その重圧と戦っていた。


「ふんっ! だぁっ!」

中庭ではグランとバルガスが、上半身裸になって巨大な岩を持ち上げるという、単純極まりないトレーニングに没頭している。あの屈辱的な言葉への怒りを、彼らは純粋なパワーへと変換しようとしているのだ。


「……ゼノ。三塁側の守備シフト、もう少し後ろに下げた方が合理的かもしれませんわ。本戦の打球速度は地方大会の比ではない」

「同感ですね、エルマ。ですが、それだとあなたの得意なカットプレーの中継地点が遠くなりすぎる。一長一短、といったところでしょう」

談話室の隅ではエルマとゼノが、セントラリア大球場の詳細な見取り図を広げ、静かにしかし熱心に、守備の連携について議論を交わしている。


リコとフィンは、小さな魔力水晶を覗き込み、他の地区の代表チームの試合映像を食い入るように見つめている。

「うわっ……なんだ、今のスイング……!」

「……強い。みんな、強いな……」

知れば知るほど、自分たちがいかに無謀な挑戦をしようとしているのかを、思い知らされる。


そして俺とルーナは、作戦室でその膨大なデータと向き合っていた。

「……ソラさん。明日の抽選会、どのチームと当たっても厳しい戦いになることは間違いありません」

ルーナが青ざめた顔で言う。

「ああ、分かってる。16チーム中、俺たちは間違いなく最弱だ。客観的なデータの上ではな」

「……」

「だが、それでいい。俺たちは挑戦者だ。失うものなんて最初から何一つないんだからな」


俺はそう言って無理やり笑ってみせた。

だが俺たちの心は、張り詰めた一本の糸のようだった。

その重苦しい沈黙を破ったのは――。


―――ドン! ドン! ドン!


宿舎の古い木の扉が、まるで攻城兵器で打ち破られるかのような乱暴なノックの音だった。


「な、なんだ!?」

「帝国の奴らが、殴り込みに来たのか!?」

選手たちがいっせいに身構える。

俺はフィンに目配せすると、ゆっくりと扉へと向かった。

そしてそこに立っていたのは、俺たちの全く予想しない人物たちだった。


                  ◇


「―――おう、小僧ども! こんなネズミの巣みてえな薄汚え宿舎に泊まっとると聞いてな! ワシらが景気づけの差し入れを持ってきてやったぞ!」


そこに立っていたのは、巨大なドワーフエールの樽を軽々と肩に担いだ、ゴルダ・ハンマーズの4番、ダインだった。

彼の後ろには、同じように酒や豪快な肉料理を手にした、十数人のドワーフたちがニヤニヤと笑いながら控えている。


「ダイン……さん!?」

「な、なんで、お前たちがここに!」

グランが驚きの声を上げる。

「フン。決まっておるだろうが。お前ら田舎者の戦いを、冷やかしに来てやったのよ」

ダインはそう言って、グランの胸を拳でドンと突いた。

「……グラン。地方大会の決勝、見事だったぞ。あのリザードマンの小僧から、一本もぎ取りおって。ワシらの分まで、よく戦ってくれた」

「……当たり前だ。俺は、アークスのエースだからな」

グランもぶっきらぼうに、しかしどこか嬉しそうにダインの拳を受け止める。


ダインたちの登場で、宿舎の重苦しい空気は一気に、陽気な宴会のそれへと変わった。

だが、訪問者は彼らだけではなかった。


「……やれやれ。相変わらず、ドワーフというのは野蛮で騒々しいですわね」


その鈴の音のように凛とした声に、俺たちはハッと入り口を振り返る。

そこに立っていたのは、シルヴァニア・リーフスのエース、ルシオンだった。

彼の後ろにも数人のエルフたちが、静かに控えている。

彼はドワーフたちの馬鹿騒ぎには目もくれず、まっすぐにエルマの元へと歩み寄った。


「……ルシオン」

「息災そうで何よりだよ、エルマ」

ルシオンは静かに微笑むと、一つの美しく装飾の施された矢筒を彼女に差し出した。

「これは?」

「『清心の矢』だ。試合の前にこの矢羽根に触れるといい。君のその研ぎ澄まされた感覚が、さらに冴え渡るはずだ。ルールに抵触するような魔法効果はない。ただの我ら森の民のおまじないさ」

「……」

「我らの誇りも君たちと共にある。見せておやりなさい、エルマ。この世界の頂点に立つ者たちに、エルフの野球の本当の『美しさ』というものを」

「……ええ。必ず」

エルマはその矢を、まるで宝物のように大切に受け取った。


そしてそのカオスは、さらに加速する。

いつの間にか、談話室の隅のソファに、アクアリア・パイレーツのキャプテン・キッドが、足を組んで座っていた。

「よぉ。相変わらず騒々しいチームだな、お前らは」

「キッド! いつの間に!?」

「海賊をなめるなよ。こんなボロ宿の鍵を開けるくらい、朝飯前だ」

彼は近くで呆然としていたゼノに、コインを一枚ひょいと投げてよこした。

「俺は、お前らがこのコーシエンでとんでもない大穴を開ける方に、たんまりと賭けさせてもらった。頼むから一回戦で負けて、俺の船を沈没させるのだけは勘弁してくれよな?」


そして最後の、最もありえない訪問者。

宿舎の扉が、まるで爆発したかのように蹴破られた。

そこに立っていたのは、火山公国ヴルカニア・バーサーカーズのエース、イグニスだった。

彼の後ろには、あの決勝戦で戦った獰猛な獣人たちが、腕を組んで控えている。

宿舎の空気が再び、緊張に支配される。


イグニスはゆっくりと部屋の中に入ってくると、バルガスの前で足を止めた。

二人の怪物が無言で睨み合う。

やがてイグニスはフイッと視線を逸らし、窓の外をその爬虫類の瞳で見つめた。

その視線の先にあるのは、天を突くようにそびえ立つ、ヴァルム帝国の豪華絢爛なホテル。


「……奴を、潰せ」

イグニスは低い地を這うような声で言った。

「あの傲慢なとかげ。レクスは本来なら俺が、この爪で引き裂くはずだった獲物だ」

「……」

「だが、俺はお前たちに負けた。だから今回はその役目をくれてやる」

「―――絶対に俺以外の奴に、負けるな。失望させるなよ、人間」



俺たちの狭い狭い宿舎に、地方大会で俺たちが戦ってきた全てのライバルたちが集結していた。

ドワーフの酒宴、エルフの祝福、海賊の賭け、そしてリザードマンの無言の激励。

それぞれの国の誇りの旗が、この部屋に集まっている。

俺は、ようやく理解した。

地方大会の決勝の後、俺がインタビューで言った、あの言葉。


『――俺たちだけの力じゃない。ここで戦った、全てのチームの想いを、俺たちは背負っている』


その言葉が彼らの心を動かしたのだ。


俺は集まってくれた好敵手たちの中心に、ゆっくりと歩み出た。

そしてこの世界に来て、最も深く最も心を込めて頭を下げた。


「ダインさん。ルシオンさん。キッドさん。イグニスさん。そして皆の衆」

「……」

「―――ありがとう」

「……」

「あんたたちのその旗を。その誇りを。その想いを。俺たちはこのユニフォームと共に、絶対にあのグラウンドへ連れていく」


俺の言葉にダインが豪快に笑い、エールの杯を掲げた。

「言ったな、小僧!」

「―――ならば見せてみろ! 俺たち東地区連合の魂というものを!」


その声に、ドワーフが、エルフが、海賊が、獣人が、そして俺たちアークスが、種族の垣根を越えて一つの雄叫びを上げた。

俺たちはもう、アークランド一国だけの代表ではない。

この地方の全ての想いを背負う、代表なのだ。


その夜、俺は眠れなかった。

だがそれは、不安や恐怖からではなかった。

背負った想いの重さ。

そしてその重さが、とてつもなく心地よかったからだ。


「(待ってろよ、レクス。そして世界の猛者たち)」

「(お前たちがこれから戦うのは、ただの小国の寄せ集めチームじゃない)」

「(―――俺たちの後ろには、俺たちが倒してきた全てのライバルたちが、ついているんだぜ)」


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