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第36球 絶対王者レクス

コーシエン・セントラルの荘厳な開会式は終わった。

スタジアムを埋め尽くした数万の観客の熱狂的な歓声が、まだ耳の奥でまるで嵐のように鳴り響いている。

俺たちアークスは、他の出場チームと共に、グラウンドから控室へと続く、長い長い通路を歩いていた。


「は、はぁ……。す、すごかったな……」

リコが、まだ夢見心地といった様子で、その小さな胸を上下させている。

「僕、あんなにたくさんの人、生まれて初めて見たよ……。足がまだガクガクしてる……」

「フン! 何にビビることがある! あんなもん、ただの見物人の集まりだろうが!」

バルガスはそう言って強がっているが、その額には大粒の汗が浮かび、しきりに手のひらをズボンで拭っている。


「……だが、あのヴァルム帝国の行進は、見事だったな」

グランが腕を組み、唸るように言った。

「まるで軍隊だ。一糸乱れぬ動き、一人ひとりのあの揺るぎない自信。ワシらとは格が違う」

「ええ。選手たちから発せられる魔力の総量も桁違いでしたわ。特に、あのレクスという竜人族……」

エルマの、いつもは自信に満ちたその声が、僅かに震えている。


俺は黙って仲間たちの会話を聞いていた。

心臓がまだ高鳴っている。

恐怖ではない。

あの世界の頂点に立つ男、レクスをこの目で見たことによる武者震いだ。


通路はひんやりとした石でできており、俺たちの足音だけがやけに大きく反響していた。

薄暗く、どこまでも続くかのような長い回廊。それはまるで、これから始まる長く厳しい戦いを暗示しているかのようだった。


その角を曲がった、瞬間だった。

俺たちは息をのんだ。


通路の向こうから、漆黒と黄金のユニフォームを纏った一団が静かに歩いてくる。

―――ヴァルム帝国。


狭い通路だ。どちらかが道を譲らなければすれ違うことはできない。

俺たちも、そして彼らも、自然と足を止めた。

奇妙な静寂がその場を支配する。


空気が重い。

いや、それだけじゃない。

まるで強力な重力魔法でもかけられたかのように、体が鉛のように重くなっていく。

呼吸が浅くなる。


「(……なんだ、これは……!)」


帝国の選手たちがただそこに立っている。

それだけで俺たちは、圧倒的な『格』の違いを、肌で、魂で感じさせられていた。

バルガスよりもさらに一回りは大きいミノタウロスの巨漢。

エルマのプライドを一瞥だけで打ち砕きそうな、冷たい瞳を持つエルフの剣士。

カイの野性的な本能が危険信号を鳴らし続ける、蛇のような目をした獣人の暗殺者。

その一人ひとりが、俺たちが地方大会で戦ってきたどのエースよりも強いオーラを放っていた。


やがて、帝国の選手たちが俺たちを見て、嘲笑うかのようにひそひそと囁き始めた。

「……おい、見ろよ。あれが、東の田舎から出てきたっていう、アークランドとかいうチームか?」

「はは、本当だ。まるで迷子の子供の集まりだな。ピクニックでもしに来たのか?」

「キャプテンは、人間だそうじゃないか。人間、だと。……滑稽だな」


その侮辱に満ちた言葉に、俺たちの仲間たちの顔が怒りに染まっていく。

だが誰も何も言い返せない。

あまりにも力の差がありすぎた。


その時だった。

帝国の選手たちが、モーゼの前の海の如く、スッと左右に分かれた。

その中央を一人の男が静かに歩いてくる。

―――レクス。


彼の足音は聞こえない。

だが彼が一歩踏み出すごとに、この石造りの通路がビリビリと震えるような錯覚に陥る。

彼は他のアークスの選手たちには目もくれなかった。

その竜のもののように縦に長い、冷たい瞳は、ただまっすぐに俺だけを射抜いていた。


                  ◇


レクスは俺の目の前で立ち止まった。

見上げるほどの長身。

その影が俺を完全に飲み込んでいく。

長い、長い沈黙。

俺と彼はただ無言で、互いを見つめ合っていた。

それは視線の殺し合いだった。


やがてレクスがその薄い唇をゆっくりと開いた。

その声は冬の氷河のように冷たく、そして重い響きを持っていた。


「……お前が、このアークスとかいう、ガラクタの寄せ集めの、将か」

彼は俺を頭のてっぺんからつま先まで値踏みするように見下ろした。

その瞳に侮蔑の色が浮かぶ。

「……人間、か。実に、滑稽だな」


そして彼はその長身を少しだけ屈めた。

俺の耳元にその冷たい唇を寄せてくる。

その声は仲間たちには聞こえない、俺だけに向けられた絶対王者の宣告だった。


「貴様らの地方大会の決勝とやらを、見たぞ。混沌として行き当たりばったりの、運と勢いだけの勝利。……貴様らは、あれを野球と呼んでいるのか?」

「……」

「あれはただの子供の砂遊びだ」


レクスの吐息が耳にかかる。


「―――貴様らの砂遊びはもう終わりだ」

「ここはコーシエン。神々の戦場だ」

「俺がその矮小な体に直接教えてやる。神に牙を剥くということがどういうことかをな」


それだけを言うと、レクスはまるで道端の石ころに興味を失ったかのように、俺の横を通り過ぎていった。

彼に続いて帝国の選手たちも、俺たちを嘲笑うかのように通り過ぎていく。


                  ◇


彼らの姿が通路の向こうへと完全に消え去った、瞬間。

俺たちを縛り付けていた重圧の魔法が解けた。

そして次の瞬間、溜まりに溜まった仲間たちの怒りが一気に爆発した。


「―――あの、クソトカゲ野郎がああああああっ!」


バルガスが獣のような雄叫びを上げ、通路の石壁をその巨大な拳で殴りつけた。

ズン!と鈍い音が響き、壁に大きなヒビが入る。

「キャプテン! あいつ最後に、アンタに何て言いやがったんだ!」


「許さん……!」

グランも、その体を怒りにワナワナと震わせている。

「あの傲慢なトカゲ……! ワシのこの腕で、あの綺麗な顔を叩き潰してくれるわ……!」


チーム全体が、恐怖を通り越した純粋な煮えたぎるような怒りに包まれていた。

俺はそんな仲間たちをゆっくりと振り返った。

俺の手は悔しさに強く強く握りしめられ震えていた。

だが俺の顔には怒りでも恐怖でもなく、不敵な獰猛な笑みが浮かんでいた。


俺は静かに、しかしホール全体に響き渡る声で言った。

「……聞いたか、みんな」

「……」

「あいつは言ったぞ。ここは神々の戦場だ、と」

「俺たちの野球は砂遊びだ、と」


俺は仲間たちの一人ひとりの瞳を見つめた。

その怒りに燃える瞳に、俺はさらに油を注いでやった。


「―――面白くなってきたじゃねえか」


その俺の一言で。

チームの空気が変わった。

ただ熱いだけの激情が。

冷たく鋭く研ぎ澄まされた蒼い炎へと変質していく。


そうだ。

あの屈辱は俺たちを壊さなかった。

あの屈辱は俺たちを、本当の『挑戦者』へと鍛え上げたのだ。


俺は仲間たちに背を向けた。

そして控室へと力強く歩き出す。


「(ありがとうよ、レクス。おかげで目が覚めた)」

「(俺たちは、思い出作りのためにここに来たんじゃない)」

「(―――神々をその玉座から引きずり下ろすために来たんだ)」


俺たちの本当の戦いが今始まろうとしていた。


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