第35球 決戦の都
ゴトゴトと、心地よい揺れ。
俺たちアークスを乗せた魔法機関車はアークランドの国境を越え、世界の中心へと続く線路をひた走っていた。
車窓の外には見たこともない景色が広がっている。天を突くようにそびえ立つ世界樹の森、大地を雄大に流れる大河、そして空に浮かぶ巨大な浮遊島。
「すげえ……!」
窓に額を押し付けるようにして、リコが目を丸くしている。
「なあフィン! 見てみろよ! お城が空に浮いてるぞ!」
「はは、本当だな。こりゃとんでもない所に来ちまったみたいだ」
地方大会を制したとはいえ、俺たちはしょせん小国の代表チーム。
この世界の広大さを、今改めて肌で感じていた。
車内は明日から始まるコーシエン本戦への期待と不安が入り混じった、独特の熱気に包まれている。
「フン! どんなデカい城だろうが、俺様のホームランで粉々にしてやるだけだぜ!」
バルガスはそう言って力こぶを作るが、その声はいつもより少しだけ上ずっていた。
「ニャはは! 俺は都の高級魚が楽しみだニャー! グラン、お前は何が楽しみだ?」
「ワシか? ワシは都の武具屋だ。ヴァルム帝国の連中が使うという、魔法金属製のバットとやらをこの目で見てみたい」
エルマは窓の外を流れる濃密な魔力の流れを感じ取り、静かに瞳を閉じている。
「……空気が違いますわね。王都とはマナの密度が比べ物にならない」
「ええ。まるで世界中の力が一つの場所へと、収束していくようです」
隣でルーナも緊張した面持ちで頷いた。
俺はそんな仲間たちの様子を静かに見守っていた。
そうだ。俺たちはこれから戦場へと向かうのだ。
この世界の全ての力が集まる、聖球戯の最高峰。
決戦の都『セントラリア』へ。
◇
「―――まもなく、終点、セントラリア中央駅に、到着いたします」
女神のような、穏やかなアナウンスが車内に響き渡る。
そして列車が最後のトンネルを抜けた、その瞬間。
俺たちは言葉を失った。
目の前に信じられないような光景が広がっていた。
天を突き破るかのようにそびえ立つ、白亜の摩天楼。その摩天楼が、古い荘厳な城郭と完璧な調和を保って融合している。
空には、魔力を帯びた乗り物『エアカー』が光の川のように行き交い、時には巨大なグリフォンに乗った騎士が、俺たちの列車の横を優雅に追い抜いていった。
「……ここが、セントラリア……」
「……世界の中心……」
列車がクリスタルと大理石でできた、巨大な駅のホームへと滑り込む。
そこはもはや駅というより、神殿のようだった。
プラットフォームには、俺たちのような列車だけでなく、巨大な飛空艇や異国の魔獣たちが所狭しと並んでいる。
そして行き交う人々の多様さ。
これまで見たこともないような様々な種族が、当たり前のように雑踏を形成していた。
俺たちはまるで田舎者のように、キョロキョロと、その光景を見回すことしかできなかった。
駅の外に出ると、その感覚はさらに増していく。
五感を情報の奔流が叩き潰してくる。
建物の壁に、巨大な魔法の広告がキラキラと明滅している。
どこからともなく異国の陽気な音楽が聞こえてくる。
食欲をそそる未知のスパイスの香りが鼻腔をくすぐる。
「うおおおっ! なんだありゃあ! ドラゴンステーキだってよ!」
「ニャ! あっちの店は、空飛ぶイカの踊り食いだニャ!」
「おい、バルガス! カイ! 勝手に行動するな!」
俺の制止も聞かず、バルガスとカイとリコはあっという間に雑踏の中へと消えていった。
「やれやれ。まるで躾のなっていない獣ですわね」
「……ですが、少し羨ましい気もします」
エルマとゼノはそう言って、近くにあった魔導具の露店へと興味深そうに歩いていく。
「親方! ワシはあっちの武具屋通りを見てくるぞ!」
「あ、待ってください、グランさん!」
グランと、彼を追いかけるルーナも人波に消えていく。
結局、俺の周りに残ったのは苦笑いを浮かべるフィンだけだった。
「……はは、すごいな、みんな。まあ気持ちは分かるけどな」
「……ああ、そうだな」
俺は仲間たちのその子供のような姿に呆れながらも、どこか微笑ましい気持ちになっていた。
俺とフィンはしばらく、スタジアムへと続くメインストリートをゆっくりと歩くことにした。
道の両脇には、コーシエンに出場する各国の旗が誇らしげにはためいている。
そして露店には有名選手のグッズが所狭しと並べられていた。
そのほとんどが。
「……全部、レクスだな」
「ああ……」
レクスのユニフォーム、レクスのバットのレプリカ、レクスの顔が描かれたポスター。
この都は、この世界は、完全にあの絶対王者のために回っているかのようだった。
ふと、広場に設置された巨大な魔力水晶スクリーンに目が留まる。
そこでは過去のコーシエンの名場面集が流されていた。
そしてその主役もまた、レクスだった。
彼が驚異的な剛速球で英雄たちを次々と三振させていく姿。
彼がどんな悪球でもいとも簡単にホームランにしてしまう姿。
その神のような活躍に、道行く人々が熱狂し、歓声を上げている。
いつの間にか、俺の周りには雑踏からはぐれた仲間たちが全員戻ってきていた。
誰もが黙ってそのスクリーンを見上げている。
その顔に浮かんでいるのは畏怖と、そしてこれからあんな化け物と戦わなければならないという絶望の色だった。
◇
そして俺たちはついに、その場所へとたどり着いた。
決戦の舞台『コーシエン・セントラル』。
それはもはやスタジアムというより、一つの巨大な芸術品だった。
白く輝くドームは魔法で編まれたクリスタルでできており、空に浮かぶ二つの月光を浴びて虹色に輝いている。
ここは聖球戯という名の宗教の総本山。
野球の神々が住まう、聖なる大聖堂だ。
開会式。
俺たちはアークランドという、誰も知らない小国の旗を掲げ、その聖なるグラウンドへと足を踏み入れた。
地鳴りのような大歓声。
360度どこを見ても人、人、人。
地方大会とは比較にならない、世界のスケール感が肌をビリビリと震わせる。
俺たちの前を、各地区を勝ち上がってきた強豪たちが、堂々と入場行進していく。
「あれが西の巨人族チーム……! で、でけえ……!」
「東の妖精族……! 動きが残像に見える……!」
「南の魚人族……! グラウンドなのに、足元が濡れている……!?」
まさにモンスターたちのパレードだった。
そして。
スタジアムの空気が一変した。
全ての音が一瞬だけ消え去る。
そして次の瞬間、これまでとは比較にならない、割れんばかりの大歓声がスタジアム全体を揺るがした。
絶対王者、ヴァルム帝国の入場だ。
漆黒と黄金を基調とした威圧的なユニフォーム。
一糸乱れぬ完璧な行進。
その一人ひとりが、他国の4番エース級の覇者のオーラを放っている。
彼らは歩いているのではない。
この聖なるグラウンドを征服しているのだ。
俺たちアークスの選手たちは、そのあまりにも強大なプレッシャーに完全に気圧されていた。
膝が笑っている。
自信が急速に萎んでいく。
あのバルガスやグランですら、ただ黙ってその光景を見つめることしかできなかった。
俺は、その行列の中心に立つ一人の男を睨みつけていた。
レクス。
俺がこの世界に来て初めて、心の底から「戦いたい」と思った好敵手。
彼がゆっくりとこちらを見た。
その竜の瞳と俺の目が確かに交錯する。
彼の瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
ただ絶対的な強者だけが持つ、底知れない静かな闇が広がっているだけだった。
「(……ここが世界の中心か)」
俺はゴクリと唾を飲んだ。
恐怖で体が震えている。
だが同時に。
俺の魂が、心の奥底が、歓喜に打ち震えていた。
転生者として、野球人として、これ以上ない最高の舞台。
俺は無意識に笑っていた。
これから始まる神々との戦いを、心の底から楽しもうとしている、挑戦者の獰猛な笑みだった。