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第34球 誓いを新たに

地獄の強化合宿が始まって一週間が過ぎた。

最終日の朝、俺はこれまでで最も早く夜明けと共に目を覚ました。

ロッジからそっと抜け出し、朝靄に包まれた伝説のグラウンドを見渡す。


(……変わったな、あいつら)

そこには合宿に来た時とは、まるで別人のような仲間たちの姿があった。


誰に言われるでもなく黙々とランニングをしているフィンとリコ。その足取りは一週間前とは比較にならないほど力強く、そして軽い。

川のせせらぎの音に耳を澄ませ精神を統一しているエルマとカイ。二人の間にもはや言葉は必要ない。互いの気配そのものがコミュニケーションになっている。

大きな切り株に腰掛け自作の木彫りの彫刻を満足げに撫でているバルガスとグラン。彼らのその表情にはこれまでの荒々しさではなく、職人のような静かで深い集中力が宿っていた。


不便な環境での過酷な特訓。

それは彼らが生まれ持った『力』に溺れることを許さず、その力の『本質』と向き合わせるための荒療治だった。

彼らは確実に己の殻を破り始めていた。


「……よし」

俺は柏手を一つ、パンと鳴らした。

その音に選手たちが一斉に俺の方を向く。

その顔にはもう不満も戸惑いもなかった。あるのはこれから始まる『最後の試練』への静かな覚悟だけだ。


「お前ら、いい顔になったな」

俺は笑って言った。

「今日がこの合宿の最終日だ。そして最後の試験を行う」

「……試験?」

「ああ。紅白戦だ」


俺の言葉に選手たちの瞳がギラリと輝いた。

一週間溜めに溜めた野球への渇望。それが一気に解放される。

「チーム分けは俺が決める。―――お前たちがこの一週間で何を掴んだのか。その全てをこのグラウンドで俺に見せてみろ!」


                  ◇


俺が発表したチーム分けは、選手たちの意表を突くものだった。

俺自身はフィンの率いる『紅組』のキャッチャーとして出場。

対する『白組』のキャプテンにはゼノを指名した。

そしてグランとバルガスの『パワー』コンビを敢えて敵同士に。

カイとエルマの『感覚』コンビも同じように敵同士に分けた。

これは彼らが互いの手の内を知り尽くした相手に、合宿の成果をどう応用して戦うのかを見るための最終試験だった。


「プレイボール!」

審判役のルーナの少し緊張した声がグラウンドに響き渡る。

試合は序盤から俺の想像を遥かに超えるハイレベルな展開となった。

白組の先発グランがマウンドに立つ。

対する紅組のバッターはバルガス。

合宿前なら力と力の真っ向勝負になっていただろう。

だが今の二人は違った。

グランは剛速球を投げない。

彼が投じたのは指先の繊細な感覚で絶妙な回転をかけられた、遅い遅いスローカーブだった。

バルガスはそのボールを打ちたくてたまらないという本能を必死で抑え込む。

彼の体は釣りで培った驚異的な忍耐力と、彫刻で学んだ脱力の技術を覚えていた。

フルカウントからの6球目。

グランが投じた外角低め、ギリギリのコースへのストレート。

バルガスはそれに手を出さなかった。

見逃し三振。

だがベンチに戻る彼の顔には悔しさよりも、好敵手との高度な読み合いを楽しんだ満足げな笑みが浮かんでいた。


守備ではカイとエルマの超感覚の戦いが繰り広げられた。

紅組のカイが盗塁を試みる。

だが彼がスタートを切るコンマ数秒前。

白組のライトを守っていたエルマが矢のような声で叫んだ。

「―――走った!」

彼女はカイの僅かな筋肉の動き、殺気の流れをその研ぎ澄まされた感覚で完全に読み切っていたのだ。

結果はタッチアウト。


「やるニャ、エルマ!」

「当然ですわ。あなたのその野蛮な思考は全てお見通しですのよ」

二人は憎まれ口を叩き合いながらも、互いの成長を確かに認め合っていた。


試合は両チーム一歩も譲らない投手戦となった。

そして試合が動いたのは中盤の5回。

俺が率いる紅組の攻撃。ワンアウト・ランナー一、三塁。

俺はここでタイムを取った。

「……やるぞ」

俺はバッターのゼノ、一塁ランナーのリコ、三塁ランナーのカイを集め、静かに告げた。

「―――アルカヌムを仕掛ける」

その言葉に三人の顔に緊張が走る。

帝国の神々を打ち破るために俺たちが編み出した最後の秘儀。

あまりにも複雑であまりにもリスクが高すぎる諸刃の剣。

練習ではまだ一度も完璧に成功したことはない。


「……正気か、キャプテン。この素人同然の投手フィン相手に使う必要はないだろう」

ゼノが呆れたように言う。

「練習だ。ここで成功させられなければ本番で使えるはずがない。……いいな?」

三人は無言で、しかし力強く頷いた。


                  ◇


タイムが解け、試合が再開される。

その瞬間、グラウンドの空気が一変した。

俺はキャッチャーとして、相手捕手のゼノの背後から全ての動きを監視する。


「(―――始めろ!)」

俺の心の合図と共にアルカヌムが発動した。

まず動いたのは三塁ランナーのカイ。

彼は常識ではありえないほど大きなリードを取り、ホームスチールを何度も偽装する。

白組のピッチャー、フィンはその挑発的な動きに完全に幻惑されていた。

フィンがカイに気を取られ投球モーションに入った、そのコンマ数秒の隙。

一塁ランナーのリコが電光石火の速さでスタートを切った。

そして打席のゼノ。

彼はその二つの動きに相手守備陣の意識が集中した、その完璧なタイミングでバントの構えからヒッティングに切り替える『バスター』を敢行した。


ホームスチール偽装、盗塁、バスター。

三つの事象が完全に同時に発動する。

白組の守備陣はあまりにも多すぎる情報量に、思考が完全に飽和状態に陥っていた。


だが。

やはり練習不足は否めなかった。

ゼノのバスターのタイミングがほんの僅かに早すぎたのだ。

彼が打ち返した打球は力のないセカンドゴロとなった。

最悪の併殺ダブルプレーコース。

アルカヌムは失敗したかのように見えた。

だがその瞬間こそが、この秘儀の真に恐るべきポテンシャルだった。

混乱は終わっていなかった。

セカンドを守っていた白組の選手は、二塁へ盗塁してくるリコへの対応とバスターの打球への対応、その二つの判断を同時に迫られ、完全に動きが固まっていた。

そのコンマ数秒の判断の遅れ。

ゼノの力ないゴロは、その選手のグラブの先をするりと抜けていった。

ヒット。

その間に三塁ランナーのカイが悠々とホームイン。

そして盗塁していたリコは止まることなく三塁まで進んでいた。

失敗したはずのプレーが1点をもたらし、そしてなおもワンアウト・ランナー一、三塁の絶好のチャンスを作り出したのだ。

選手たちは自分たちが仕掛けたプレーがもたらした、その信じがたい結果に呆然と立ち尽くしていた。


「(……これがアルカヌム……)」

「(不完全ですらこれほどの破壊力とは……)」

俺はマスクの下で確かな手応えを感じていた。

これは俺たちの、神々を打ち破るための唯一無二の武器になる。


                  ◇


紅白戦が終わる頃には空は美しい茜色に染まっていた。

選手たちは疲労困憊で芝生の上に大の字に寝転がっている。

だがその顔には絶望の色も不満の色もどこにもなかった。

あるのは全てを出し尽くした心地よい疲労感と、確かな成長への自信だけだった。

俺は選手たちをホームベースの前に一列に並ばせた。

そして夕日に染まるこの伝説のグラウンドに向かって、全員で深く深く頭を下げた。


「……ありがとうございました」

誰からともなく感謝の言葉が漏れる。

俺は仲間たちに向き直り、静かにそして力強く告げた。

「俺たちは強くなった。俺が想像していた以上に遥かにな」

「……」

「だが世界はもっと広い。コーシエンは俺たちが本物の『チーム』かどうかを試す場所だ。俺たちのこの絆が、神々を打ち破るほどの本物かどうかをな」


俺は仲間たちの顔を一人ひとり見つめた。

「―――覚悟はできてるか?」


返事はなかった。

ただそこにいる全員が、無言でしかし燃えるような瞳で力強く頷き返した。

俺たちはこの日、地方の王者から世界の挑戦者へと生まれ変わった。

俺たちアークスは誓いを新たに、決戦の地コーシエンへと向かう魔法列車に乗り込んだ。


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