第30球 英雄の休息、キャプテンの焦燥
俺たちアークスが、地方大会の優勝トロフィーを掲げてアークランドに凱旋した日。
国中が、建国以来と言われるほどの、熱狂の渦に包まれた。
街道は、俺たちの名を叫び、旗を振る、あらゆる種族の民衆で埋め尽くされている。紙吹雪のように舞うのは、魔法で輝きを放つ、色とりどりの花びらだ。吟遊詩人たちが、俺たちの戦いを称える即興の歌を奏で、子供たちが、目をキラキラさせながら、俺たちの後を追いかけてくる。
あの、活気がなく、沈みかけていた船のようだったアークランドが、まるで嘘のように、生命力に満ち溢れていた。
「す、すげえ……」
馬車の上で、リコが目を丸くしている。
「俺たち、本当に、英雄になっちまったんだな……」
その夜、王城で開かれた祝賀パーティは、まさに豪華絢爛の一言だった。
tテーブルには、見たこともないようなご馳走が山と積まれ、樽からは、黄金色のドワーフエールが川のように注がれている。
選手たちは、一夜にして英雄となり、アリシア王女をはじめとする王侯貴族や、民衆の代表たちから、惜しみない賛辞と栄光を浴びていた。
「がっはっは! 見たか、俺様のホームランを! あれぞ、まさに英雄の一撃だろうが!」
バルガスは、十数人の屈強な騎士たちと腕相撲をしながら、上機嫌で咆哮を上げている。もちろん、全戦全勝だ。
「ふん、あの程度で英雄とはな。ワシの、あの4番を三振に仕留めた投球術に比べれば、まだまだだわい」
グランは、故郷から駆け付けたドワーフの長老たちに、自慢のドワーフエールを振る舞われ、その頑固な顔を、これ以上ないくらいに綻ばせていた。
「ニャはは! もっとだニャ! もっとこの高級魚を貢ぐがいいニャ!」
カイは、美しい貴族の令嬢たちに囲まれ、喉をゴロゴロと鳴らしながら、満更でもない様子で餌付けされている。
エルマとゼノは、そんな喧騒の輪から少し離れたテラスで、シャンパングラスを傾けていた。
「……やれやれ。実に、下品で、野蛮な宴ですわね」
「同感ですね。ですが、まあ、たまにはこういうのも、悪くはありません」
二人は、そう皮肉を言い合いながらも、その口元には、確かな笑みが浮かんでいた。
誰もが、勝利の美酒に酔いしれていた。
この奇跡のような夏が、永遠に続くかのように。
だが、俺だけは、その歓喜の輪の中心で、一人、冷たい焦燥感に駆られていた。
「ソラさん……? お食事、召し上がらないのですか?」
隣で、ルーナが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「……ああ、悪い。少し、考え事だ」
俺は、そう言って、曖昧に笑った。
だが、俺の心は、全く、笑ってはいなかった。
◇
俺は、喧騒から逃れるように、そっと祝宴のホールを抜け出した。
ルーナが、何も言わずに、俺の後をついてくる。
俺たちが向かったのは、王城の地下にある、作戦司令室だった。
「ソラさん……」
「悪いな、ルーナ。祝賀ムードに、水を差すような真似をして」
「いえ……私も、気になっていましたから」
俺は、魔力水晶のスイッチを入れた。
だが、そこに映し出したのは、俺たちの栄光の軌跡ではない。
俺たちが、いかに『幸運』に助けられてきたかを証明する、厳しい現実だった。
「見てくれ、ルーナ。これは、ゴルダ戦の最終回だ」
俺は、カイがサヨナラの内野安打を打ったシーンを、スローモーションで再生する。
「俺たちは、この勝利を『戦術の勝利』だと思っている。だが、もし、相手の捕手の送球が、あとコンマ数秒、早かったら? もし、一塁手の足が、もう少しだけ長かったら? 結果は、完全に、逆だった」
俺は、次々と映像を切り替えていく。
「シルヴァニア戦。バルガスの一発は、まさに奇跡だった。だが、もし、あの時、ルシオンが、たった一球、違うボールを投げていたら? 俺たちは、あの『見えざる壁』を、最後まで崩せずに、完封負けしていただろう」
「アクアリア戦。あれは、お前のファインプレーがなければ、俺が、俺自身のトラウマで、チームを崩壊させていた。完全に、負け試合だった」
「そして、ヴルカニア戦。……あれは、もはや説明するまでもない。俺たちが勝てたのは、ただ、運が良かっただけだ。俺たちの気迫が、あいつらの驕りを、僅かに上回った。ただ、それだけだ」
俺は、水晶の電源を切った。
部屋は、静寂に包まれる。
「俺たちの勝利は、全てが綱渡りだったんだ。奇跡と、勢いと、そして、相手の油断。その全てが、完璧に噛み合った結果だ。だが、そんな幸運が、この先も続くと思うか?」
「……」
「コーシエンの本戦は、そんな甘い場所じゃない」
ルーナは、俺の言葉を、黙って聞いていた。
そして、おもむろに、彼女が徹夜でまとめ上げた、新しいデータシートの束を取り出した。
それは、地方大会を勝ち上がってきた、全国の強豪たちのデータだった。
「……覚悟して、見てください、ソラさん」
そこに並んでいたのは、俺たちの常識を、再び、粉々に砕け散らせる、絶望的なまでの『理不尽』の羅列だった。
西の地区を制したのは、全員が巨人族で構成された、超パワー野球のチーム。
東の地区は、幻術を得意とする妖精族が、相手を惑わすトリッキーな野球で勝ち上がってきている。
そして、その頂点に君臨するのが――。
スクリーンに、絶対王者『ヴァルム帝国』のエース、レクスの姿が映し出される。
彼が投げ込む、200km/hに迫る剛速球。
彼が放つ、どんな悪球でもスタンドまで運んでしまう、規格外のホームラン。
ヴルカニアのイグニスですら、彼の前では、まるで子供のように見えた。
ルーナが、震える声で、その信じがたいデータを、読み上げる。
「レクス投手……コーシエン本戦における、過去3年間の通算防御率は……0.00。失点、ゼロです……」
俺は、言葉を失った。
俺たちが、これから挑もうとしている場所が、どれほど、恐ろしく、そして、次元の違う戦場であるかを、改めて、思い知らされた。
◇
俺とルーナが、祝宴のホールに戻ると、パーティは、最高潮の盛り上がりを見せていた。
アリシア王女が、壇上で、涙ながらに、俺たち『アークランドの英雄』を、称えている。
「皆さんの勇気と、絆が、この国に、希望の光をもたらしてくれました! 本当に、ありがとう!」
ホールが、割れんばかりの拍手と歓声に包まれる。
仲間たちが、誇らしげに、その栄光を浴びている。
だが、俺は、もう、その光景を、素直に、喜ぶことはできなかった。
俺は、壇上へと、ゆっくりと歩みを進める。
そして、戸惑う王女から、祝いの言葉を述べるための、魔力水晶を、受け取った。
ホールが、静まり返る。
誰もが、キャプテンである俺の、勝利の言葉を、待っていた。
俺は、ゆっくりと、口を開いた。
その声は、静かだったが、ホールにいる全員の、心臓を、直接掴むような、強い意志が宿っていた。
「……みんな、ありがとう。この、最高の祝福は、俺たちには、もったいないくらいだ」
俺は、仲間たちを見つめた。
「俺たちは、戦った。そして、勝った。だが……俺たちは、ただ、運が良かっただけだ」
俺の言葉に、ホールが、ざわめき始める。
仲間たちの顔から、笑顔が消えていく。
「何言ってんだよ、キャプテン!」
「俺たちは、チャンピオンだろ!」
バルガスとグランが、反発の声を上げる。
俺は、構わずに、続けた。
「チャンピオン? 何のチャンピオンだ? この、小さな、小さな地方大会の、だろう? それが、俺たちのゴールだったのか? 違うだろ!」
俺の声が、徐々に、熱を帯びていく。
「俺たちの本当の目標は、コーシエンだ! そして、今の俺たちでは、あの神々の戦場で、一勝すら、できやしない!」
俺は、息を、吸い込んだ。
そして、この、温かい、ぬるま湯のような空気を、完全に、断ち切るための、冷酷な宣告を、下した。
「―――この、英雄の休息は、今、この瞬間をもって、終わりだ」
「……え?」
「パーティは、もうおしまいだ。明日、夜明けと共に、俺たちは、新しい強化合宿を開始する。これまでの、どんな練習よりも、過酷で、厳しい、地獄の合宿だ」
ホールが、完全に、静まり返った。
仲間たちが、信じられないという顔で、俺を見ている。
「合宿……!? 今から!?」
「嘘だろ、キャプテン!」
「俺たちは、優勝したんだぞ! 少しくらい、休んだっていいじゃねえか!」
湧き上がる、戸惑いと、反発の声。
俺は、そんな彼らを、壇上から、冷たい、燃えるような瞳で、見下ろした。
そして、最後の、とどめの一言を、放った。
「――地方の頂点に立ったということは、世界のスタートラインに、ようやく立てたというだけだ」
「……!」
「その覚悟がない奴は、今すぐ、そのユニフォームを、ここに置いていけ。もう、俺のチームには、必要ない」
俺は、魔力水晶を、ゴトリと音を立てて、床に置いた。
後に残されたのは、 stunned silence(呆然とした沈黙)だけだった。