表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/66

第24球 崩壊への序曲

エースの、無念の降板。

トレーナーに肩を貸され、悔し涙に濡れながらベンチへと下がっていくグランの姿に、俺たちアークスの選手たちは、言葉を失っていた。

スコアは、まだ3回だというのに、7-0。

そして、俺たちの心の大黒柱だった男が、今、目の前で、打ち砕かれた。

ヴルカニアの応援席から響き渡る、勝利を確信したかのような、獣の咆哮。

ベンチの中は、まるで氷水に浸されたかのように、冷たく、重い沈黙に支配されていた。


「……くそっ」

バルガスが、自分のグラブを、怒りに任せて地面に叩きつける。

「なんだってんだよ、あいつらのパワーは……! あんなもん、野球じゃねえ! ただの暴力じゃねえか!」

「……」


誰も、その言葉に、返すことができない。

そうだ。これは、もはや野球の試合ではなかった。

俺たちがこれまで積み上げてきた戦術も、技術も、絆さえも、あの圧倒的な『暴力』の前には、あまりにも無力だった。


(俺の、せいだ……)


俺は、キャッチャーマスクの下で、強く、強く、唇を噛みしめていた。


(俺が、もっとうまくリードしていれば……グランを、あんな危険な勝負に晒すことはなかったんじゃないのか……?)

(そうだ、あの時、俺がもっと……)


―――やめろ。


脳裏に、あの日の記憶が、黒い染みのように、じわりと広がっていく。

俺の知識を信じてくれた親友。

俺が、壊してしまった、あいつの未来。


「(まただ……また、俺は、仲間を……!)」


「ソラ!」

フィンの声で、俺はハッと我に返る。

「……次のピッチャー、どうするんだ!?」

「……あ……」


そうだ。試合は、まだ終わっていない。

俺は、監督だ。キャプテンだ。

この絶望的な状況で、次の手を、打たなければならない。


(落ち着け……冷静になれ、俺……!)

(フィンが、言ってくれたじゃないか。俺は、もう一人じゃないんだ、と……!)


俺は、必死で、仲間の顔を見渡した。

だが、彼らの瞳に宿っていたはずの闘志の光は、今はもう、絶望の闇に飲み込まれかけている。


(ダメだ……この雰囲気を、なんとか、変えなければ……!)

(一発逆転の、何か……セオリーを無視した、誰もが驚くような一手が……!)


焦り。

その焦りが、俺の冷静な判断力を、急速に蝕んでいった。

俺は、本来であれば、この場面、最も安定感のある、人間族のフィンをマウンドに送るべきだった。

だが、今の俺には、その「堅実な一手」を選ぶ勇気がなかった。

俺は、この最悪の流れを断ち切るための、「奇跡」を求めてしまっていた。


俺は、ベンチの隅で、冷ややかに戦況を見つめていた、一人の男に声をかけた。

「……ゼノ」

「……何です? キャプテン」

「お前が、マウンドに上がれ」


「…………は?」


その瞬間、ベンチにいた全員が、俺の顔を、信じられないという目で見つめた。

ゼノ本人ですら、その皮肉な笑みを消し、唖然とした表情を浮かべている。


「正気ですか、あなたは。私が、ピッチャー? 冗談にもほどがある」

「冗談じゃない」

俺は、早口で続けた。

「お前の、その魔法剣の剣術。あれを、投球に応用しろ。相手の意表を突く、トリッキーな軌道のボールで、あいつらを幻惑するんだ。お前なら、できるはずだ」


それは、もはや「采配」ではなかった。

ただの、根拠のない、藁にもすがるような「願望」だった。

ゼノは、深く、深いため息をつくと、やれやれとでも言いたげに、マウンドへと向かっていった。


                 ◇


結果は、火を見るより、明らかだった。

専門外であるゼノの投球は、確かに、最初はヴルカニアの打者を戸惑わせた。

ボールは、まるで生き物のように、不規則に揺れ動き、時には、ホップするように浮き上がった。


だが、それも、最初の数球だけ。

ヴルカニアの獣人たちは、その野生の勘で、ゼノのトリッキーな軌道に、すぐに対応してみせた。


ガキィィン!


凄まじい金属音と共に、ゼノの投げた変化球が、外野の遥か彼方へと消えていく。

追加点。

さらに、次の打者にも、その次の打者にも、痛打を浴びる。


「くそっ……!」


俺は、さらに焦った。

「ピッチャー交代だ! カイ、お前が行け! その俊敏性を活かして、横から、変則的に投げろ!」

「ニャんで俺がピッチャーなんだニャ……! めんどくさい……!」


俺の采配は、もはや「賭け」ですらなく、ただの「混乱」に陥っていた。

監督である俺自身の動揺が、ウイルスのように、チーム全体へと、急速に伝染していく。


守備の連携は、完全に崩壊した。

簡単な内野ゴロを、リコとカイが、お互いに譲り合って、エラーする。

外野フライを、エルマとフィンが、お見合いして、落球する。

まるで、あの惨敗した、最初の練習試合の時に、逆戻りしてしまったかのようだった。


「どうなってんだよ! なんでこんなに打たれんだ!」

バルガスの、苛立ちを隠せない怒声が、ベンチに響く。


「ニャーんか、もうどうでもよくなってきたニャ……。早く帰って、昼寝がしたい……」

カイは、完全に集中力を失い、外野の芝生の上で、寝転がり始めている。


「……これが、私たちの限界というわけですのね」

エルマは、冷ややかに、そう呟き、諦めたように、空を見上げていた。


俺は、ベンチで、完全に、孤立していた。

誰も、俺の顔を見ようとしない。

俺の指示に、耳を傾けようともしない。

俺は、ただ呆然と、目の前で、自分が作り上げたはずのチームが、バラバラに、破壊されていくのを、眺めているだけだった。


「(俺が……俺が、このチームを、壊しているのか……?)」

「(あの時と、同じように……?)」


                 ◇


試合は、中盤を過ぎ、7回表、ヴルカニアの攻撃。

ついに、決定的な追加点を奪われ、スコアボードには、「12-2」という、残酷なまでの数字が、刻みつけられた。

誰もが、敗戦を確信する点差。


マウンドには、もはや投げる投手もおらず、控えの野手が、ただ、棒球を投げ込んでいるだけだった。

その投手が、力なく、呆然と、立ち尽くしている。


俺は、タイムを取ることすら、忘れていた。

いや、タイムを取って、何を伝えればいいのか、もう、分からなかった。

俺の瞳からは、完全に、光が消えていた。

俺の心は、完全に、そして深く、折れかかっていた。


やかましかったはずの、ヴルカニアの応援すら、どこか遠くに聞こえる。

目の前にある、絶望的なスコアボードだけが、俺の、完全な敗北を、静かに、そして冷酷に、告げていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ