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第21球 絶望のデータ

準決勝を突破した日の夜。

アークランド王城の一室を借りて開かれたささやかな祝勝会は、これまでにないほどの熱狂に包まれていた。


「がっはっは! 見たか、あの海賊どもの顔を! 俺たちの頭脳プレーの前に、尻尾巻いて逃げ出しやがったぜ!」

「頭脳プレーって…リコさんの演技と、ゼノさんの隠し球じゃないですか」

「うるせえ! 俺様がいたから、相手も油断したんだろうが!」

「ニャはは! バルガスは立ってるだけで威圧感あるからニャー!」

「だろ!? なあ、ソラ!」


酒で顔を真っ赤にしたバルガスが、豪快に俺の肩を叩く。

仲間たちの笑顔は、自信に満ち溢れていた。ゴルダの『パワー』、シルヴァニアの『技術』、そしてアクアリアの『知略』。全く異なるタイプの強敵を、俺たちはチーム一丸となって打ち破ってきた。この勢いなら、決勝も必ず勝てる。誰もがそう信じて疑っていなかった。


「……ああ、そうだな」


俺は、曖昧に笑って頷きながらも、その歓喜の輪に心から加わることはできなかった。

胸の中に、鉛のような重い塊が居座っている。

俺たちの勝利は、全てが綱渡りだった。相手の弱点を突き、奇策を成功させ、仲間の個性が奇跡的に噛み合った結果だ。だが、もし、その全てが通用しない相手がいたら…?


「ソラさん…?」

俺の表情の曇りに気づいたのか、マネージャーのルーナが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。

「……少し、付き合ってくれ。決勝の相手を、もう一度、洗い直す」

「…はい!」


俺たちは、盛り上がる仲間たちに気づかれないよう、そっと宴の席を抜け出した。

向かう先は、王城の地下にある、作戦司令室。

俺たちの、最後の戦場を分析するために。


                 ◇


ひんやりとした空気が漂う、広大な作戦司令室。

俺は、決勝の相手、『火山公国ヴルカニア・バーサーカーズ』の準決勝の試合映像を、壁一面の巨大なスクリーンに映し出した。


その瞬間、部屋の空気が、まるで真冬のように、凍り付いた。

画面に映し出されていたのは、野球ではなかった。

それは、戦術も、駆け引きも、一切を放棄した、あまりにも純粋で、圧倒的なまでの、『暴力』だった。


マウンドに立つのは、エースで4番のイグニス。 筋骨隆々とした、赤い鱗を持つリザードマンだ。

彼が、野獣のような雄叫びと共に腕を振るう。

放たれたボールは、もはや「球」ではなかった。それは、見えない軌道を描く「砲弾」だった。

相手打者のバットが、ボールの風圧だけで押し戻され、へし折れる。

捕手のミットが、その衝撃に耐えきれず、甲高い悲鳴を上げて破裂する。

スクリーンに表示された球速は――推定180km/h。


「ひっ……!」

ルーナが、小さな悲鳴を上げる。

「(速い…! だが、それだけじゃない。どこに来るか全く予測できない。これは、グランのパワーとも、ルシオンの技術とも違う、純粋な破壊の力だ…!)」


だが、絶望は、それだけでは終わらない。

打席に立ったイグニスは、まるで邪魔な虫けらを払うかのように、軽々とバットを振るう。

ゴッ! という、岩が砕けるような鈍い破壊音。

白球は、ライナー性の弾丸となって、あっという間にバックスクリーンに突き刺さり、スクリーンを粉々に破壊した。


他の打者たちも、虎族や熊族の、見るからに屈強な獣人ばかり。

彼らは、小細工など一切しない。

ただ、来た球を、バットごと粉砕するような、フルスイングを繰り返すだけ。

相手チームの選手たちは、その圧倒的な暴力の前に、恐怖で完全に戦意を喪失し、グラウンドに立ち尽くしていた。


俺は、壁一面に貼り付けた、これまでの対戦相手のデータと、ヴルカニアのデータを比較する。

そして、愕然とした。


「(ゴルダのようなパワー馬鹿なら、機動力で崩せた。だが、こいつらはパワーに加えて、獣人ならではのスピードも併せ持っている…!)」

「(シルヴァニアのような技術タイプなら、パワーで粉砕できた。だが、こいつらのパワーは、バルガス一人で対抗できるレベルじゃない…!)」

「(アクアリアのような知略タイプなら、さらにその上を行く知略で対抗できた。だが、こいつらにはそもそも知略がない! 考えるより先に体が動く、本能の塊だ!)」


俺たちが、これまで積み上げてきた勝利の方程式。

その全てが、この絶対的な『暴力』の前では、通用しない。


                 ◇


映像が終わっても、俺たちは、しばらく言葉を失っていた。

やがて、ルーナが、青ざめ、血の気の引いた顔で、震える声で分析結果を告げた。

その手には、何十枚にも及ぶデータシートが握られていたが、その全てが、同じ結論を指し示していた。


「……勝率……計算、不能です」

「……」

「いえ……あえて、言うなら……限りなく、ゼロに、近いです……」


彼女は、絶望的な表情で、俺を見上げた。

その美しいエルフの瞳が、涙で潤んでいる。


「ごめんなさい、ソラさん……! 何度も、何度も、計算し直したんです……! 何か、何か見落としがあるんじゃないかって……でも、ダメでした……!」

「……」

「私たちの野球が……ソラさんの戦術も、みんなの技術も、あの絶対的なパワーの前では……データが、全く、意味を成しません……!」


その言葉は、俺の心に、深く、重く、突き刺さった。

データと戦術。

それは、転生者である俺の、唯一の存在意義のはずだった。

それが、意味をなさない。

それは、俺自身の存在を、否定されたにも等しかった。


脳裏に、あのトラウマが、これまでで最も色濃く、黒い靄のように立ち上り始める。

「(また、だめなのか……?)」

「(俺たちが、必死で築き上げてきたこの野球は、本物の『力』の前では、所詮、砂上の楼閣に過ぎないのか……?)」


俺は、ルーナに「少し、一人にしてくれ」とだけ告げた。

彼女が心配そうに部屋を出ていくと、俺は、力なく、椅子に座り込んだ。


どうすれば勝てる?

どうすれば、あの暴力を止められる?

どうすれば、俺は、仲間たちを、守れる?


俺は、自室から持ち込んだ、日本の野球雑誌や、自分が書きためた戦術ノートを、床一面に広げた。

深夜まで、たった一人で、光明を探し続ける。

だが、探せば探すほど、見つかるのは、自分たちの無力さを証明するデータばかりだった。


嫌な想像が、頭から離れない。

グランの腕が、イグニスの打球を受けて、砕け散る光景。

バルガスの自信が、イグニスの剛速球の前に、粉々に打ち砕かれる光景。


「(俺は、また、仲間を壊してしまうのか……?)」


あの時と同じだ。

親友を、俺の独りよがりな知識で、壊してしまった、あの時と。

俺は、何も成長していないじゃないか。


答えは、見つからないまま、作戦司令室の窓の外が、しらじらと明けていく。

モニターには、勝利の雄叫びをあげるイグニスの姿が、静止画で、ずっと映し出されている。

それはまるで、「お前の知識など、俺たちの前では無力だ」と、俺に、冷酷な宣告を下しているかのようだった。


俺は、力なく、乾いた笑いを漏らした。


「……どうすりゃ、勝てるんだよ……」


その呟きは、誰に聞かれることもなく、静かな夜明けの空気に、虚しく溶けていった。

俺の背中は、これまでで最も小さく、そして、孤独に見えた。


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